宮入する双六町曳山

見送幕 平成十年(1998年)新調
惟喬親王(これたかしんのう)は文徳天皇の第一王子であったが貞観元年に出家して、近江日野にこられロクロを発明し、塗を始められたのが日野塗りの始まりだといわれている。その塗りを職としたのが三十坪の双六村の人で、元和八年(1623年)に双六村から城下に十五戸が移住し、親王を職の祖神として信仰した。この由来から見送幕の図を惟喬親王を選び新調しました。

 

寛政五年(1793年)頃建造、安政六年(1859年)大修理。
上部欄間には明治十年に、今在家村の忠兵衛作による樹花鳥獣の素木彫刻が付けられている。 双六町には、安政五年から明治四十二年(1909年)に かけて祭礼に参加した曳山及びダシが詳細に書き留められている大変貴重な資料が残されています。

高さ:5m36cm


惟喬親王図見送幕