26 11 月 2000
オリンピックの顔と顔
2000/11/30 /木曜日
シドニー・オリンピックはとっくに終わってしまったんですが、今さらながら、やはり書いておきたい話題なので、どうかお許しください。あの、柔道100キロ超級決勝での涙の銀メダルについてです。
すでに、あれは未熟な審判の誤審であり、もしかしたらワザと日本選手に不利な審判をしたのではないか、いったい柔道はどうなってんだ。というのが日本での大方の意見のようです。ぼくも最初は、有働アナの涙を見て、何度も流されるビデオを見ていたら、これは誤審だ、ひどい、と思いました。でも、すこし冷静になって考えてみると、なんかおかしくありません?
まず、柔道って日本のスポーツですよねえ。そのルールも日本的なものです。「審判は絶対」なんていうのは、まさに体育会系の神髄みたいなもの。目上の人がクロと言えば、たとえシロでもそれはクロ。ヘボでも審判に、負けと言われればそれは負け。理不尽だけど、とても日本的です。欧米の格闘家に、ただ勝てば良いというだけの格闘技に飽き足らず、武道を志す人がいるのも、そうした格式や秩序に憧れるところがあるんじゃないでしょうか。もちろん、多分に誤解してる部分もあるんでしょうが。そうした日本的なルールに、金メダルが採れなかったからって、日本が抗議するってのもなんか変なはなしじゃありません?
いやそんなことはない、ビデオを見れば高度で微妙な技が決まっているのが判るはずだ。審判は信用できん、ビデオを導入しろ、相撲だってそうじゃないか。という意見もあります。しかし、ビデオに映っているのが、必ずしも真実とは限らないのです。自分で映像を扱ったことのある人なら解るでしょうが、いくらでもウソは作れます。映画なんて、ほとんどそうした映像のウソとトリックで出来ているといっても良いんです。それに、相撲もそうだと言ったって、はるか昔からビデオ判定していたわけじゃありません。いつのまにかテレビ中継してて、ビデオが導入され、スロー再生が出来るようになった。そして気がついたら実質勝敗はビデオが決めていた。今や行司さんはただそこに居るだけの人になってしまった。柔道もそうなるべきなんでしょうか。
ビデオが導入されたとして、今回とまったく逆の場合だったらどうでしょう。あの微妙な技の決まった後、審判が日本側の一本を告げる。これにフランス側から抗議が出て、ビデオ判定になる。今回、日本が国際柔道連盟に抗議し、あらためてビデオ判定した結果、あれはどちらも決まっていない、という結論でした。つまり国際基準ではあれは一本とは認められないわけです。それで「さっきの審判の一本はビデオで見たら一本と言えないので、さっきのところからもう一度やり直し」となったとき素直に従うだろうか、「おいおい、さっき審判が一本と言ったじゃないか」なんて言わないだろうか。
この出来事、よく考えるとけっこう奥が深いです。柔道精神とか、今のこの国のありかたとか。
「うるさい!! 柔道精神で飯が食えるか。おれたちゃ自動車やビデオ・デッキ売ってここまでになったんだよ」と言えば、まあ冗談にはなるんですけどね。
すでに、あれは未熟な審判の誤審であり、もしかしたらワザと日本選手に不利な審判をしたのではないか、いったい柔道はどうなってんだ。というのが日本での大方の意見のようです。ぼくも最初は、有働アナの涙を見て、何度も流されるビデオを見ていたら、これは誤審だ、ひどい、と思いました。でも、すこし冷静になって考えてみると、なんかおかしくありません?
まず、柔道って日本のスポーツですよねえ。そのルールも日本的なものです。「審判は絶対」なんていうのは、まさに体育会系の神髄みたいなもの。目上の人がクロと言えば、たとえシロでもそれはクロ。ヘボでも審判に、負けと言われればそれは負け。理不尽だけど、とても日本的です。欧米の格闘家に、ただ勝てば良いというだけの格闘技に飽き足らず、武道を志す人がいるのも、そうした格式や秩序に憧れるところがあるんじゃないでしょうか。もちろん、多分に誤解してる部分もあるんでしょうが。そうした日本的なルールに、金メダルが採れなかったからって、日本が抗議するってのもなんか変なはなしじゃありません?
いやそんなことはない、ビデオを見れば高度で微妙な技が決まっているのが判るはずだ。審判は信用できん、ビデオを導入しろ、相撲だってそうじゃないか。という意見もあります。しかし、ビデオに映っているのが、必ずしも真実とは限らないのです。自分で映像を扱ったことのある人なら解るでしょうが、いくらでもウソは作れます。映画なんて、ほとんどそうした映像のウソとトリックで出来ているといっても良いんです。それに、相撲もそうだと言ったって、はるか昔からビデオ判定していたわけじゃありません。いつのまにかテレビ中継してて、ビデオが導入され、スロー再生が出来るようになった。そして気がついたら実質勝敗はビデオが決めていた。今や行司さんはただそこに居るだけの人になってしまった。柔道もそうなるべきなんでしょうか。
ビデオが導入されたとして、今回とまったく逆の場合だったらどうでしょう。あの微妙な技の決まった後、審判が日本側の一本を告げる。これにフランス側から抗議が出て、ビデオ判定になる。今回、日本が国際柔道連盟に抗議し、あらためてビデオ判定した結果、あれはどちらも決まっていない、という結論でした。つまり国際基準ではあれは一本とは認められないわけです。それで「さっきの審判の一本はビデオで見たら一本と言えないので、さっきのところからもう一度やり直し」となったとき素直に従うだろうか、「おいおい、さっき審判が一本と言ったじゃないか」なんて言わないだろうか。
この出来事、よく考えるとけっこう奥が深いです。柔道精神とか、今のこの国のありかたとか。
「うるさい!! 柔道精神で飯が食えるか。おれたちゃ自動車やビデオ・デッキ売ってここまでになったんだよ」と言えば、まあ冗談にはなるんですけどね。