ごくたま昨日日記 in June, 2000

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Jun.1,2000 (Thu)

daylife

 定時退社して横浜へ。今日から私が以前所属していた劇団こちらKGBの公演が始まるのである。今回は8月に一緒に芝居するAとSも客演しているので毎日観に行くことになりそうである。
 劇場に到着し、受付のメンバーに挨拶し、図々しく中のベンチに座らせてもらう。元劇団員とはいえ、辞めてから既に5年が経ち、知らないメンバーも増えている。以前のような居心地の良さがないのはまあ致し方ないだろう。こちらKGBももう9年目。そりゃ人も変わるわな。

『』こちらKGB

 で、公演を見る。まず、その舞台に目が行く。今回は凝りに凝りまくってますね。こいつは凄いよ。今までの舞台の中でも一番手が込んでる。抽象的な舞台だけどこれはいいねえ。舞台屋さんの苦労が偲ばれる労作です。
 そして衣装。これまた手が込んでます。ああいう衣装が着れるから役者はいいよなあ。私自身は役者をやりたいと思ったことは一度もないんですが(でもなぜか2度舞台に立っている)、衣装に関しては羨ましいと思いますね。特に今回のような現実世界では絶対に着ないようなものが着れるのは本当に羨ましい。それにしても最近は西アジアが流行なんですかね?。ウリナリといい、モーニング娘。といいなんかお腹だしルックをよくみます。そうです、気がついた人は気がつきましたね。今回は女優さんがかなり色っぽい衣装だということです。あくまでも衣装がね(笑)。

 肝心の本編に関してですが、以前からこちらKGBに対して感じたいた不満は解消されていませんでしたね。これはまあ原因もある程度わかってはいるので仕方ない部分もあるとは思うんですけど。私としてはどうしても気になってしまいます。芝居自体はいいだけに、こういう部分での気の使い方が勿体無いと思うんだよなあ。そう、私はB型なのに結構細かい性格。
 ストーリーは、異世界ファンタジー。<水の国>と<砂の国>という二つの国があって、どうやらこの二つの国にはなにやら古くからの因縁があって、というのが本筋。そしてそれぞれのキャラクターが自分の立つ位置を探し、闘いや迷いの中で成長していくというビルグンドゥスロマンですな。
 正直ネタ的には目新しいものでもなかったけど、今までのこちらKGBとはちょっと違う感じでそれはそれで面白かった。ただ、個人的趣味から言わしてもらえれば大きな話を語るとどうしても細部の話が詰められないままで終わってしまうので好きではない。小劇場の演劇でスペクタクルを見せるのは凄く難しい。大劇場で金かけてやればそれなりのものも出来るとは思うんだけど。スペクタクルでは劇団四季には適わないしね。小劇団でそれがやれたのは今まで、惑星ピスタチオ、かなり昔の劇団新感線くらいしか思いつきませんね。どちらも劇場の大きさや凝った舞台装置に変わる武器を持っていたからできたわけで。そういう意味では新しいものに挑戦した勇気は買いたいし、決してつまらなかったわけではないんだけど、人間ドラマが見たかったかなあ、と。Kもそういう台本の方が向いてると思うんだけど。

 役者も相変わらず自己を脱却できてない。始めにキャラクターありきではなく、自分ありきっていうのはまあ仕方ないとしてもそれがキャラクターの方向に延びてないのが見え見えかなあ。本人とキャラクターが被った時には強いんだけどね。今回はそういう役者が少なかったので結構粗が見えました。ただそれは私が役者個人の普段の姿を知っているからなのかもしれません。なにも知らないお客様がどう見るか、私も知りたいんですよね、実は。
 なんてグダグダいってますが役者の技術はやはり高いし、そこらの劇団よりも体も動くし、魅せる役者が多いですよ。私は元劇団員ということもあるのでかなり見方が厳しいです。ま、それは彼らに期待しているからにこそ他ならないんですけどね。
 観に来て損する芝居ではないと思います。それはホント。ということでトップに宣伝をしておきましたのでご興味のある方はどうぞ足をお運びください。

 終演後、やはり今日観に来ていたYさんと飯を食う。Yさんはホンマにええ人でやはり元KGBメンバー。どれくらいええ人かっつーと、この5年くらい会う度に奢ってもらってる(笑)。まあ、すんげえ給料がいいお仕事に就いているってこともあるんですけどね。で、今日はなんとなく流れで回転寿司(もち奢り)に連れてってもらう。しかし、このお店がちょっとハズレで二人ともションボリ。でも、ご馳走様でした >Yさん。

 で、その後劇団のメンバーと合流。居酒屋で雑談。ま、初日だっつーこともあったし、そんなに今日の芝居の話はせずに思い出話に花を咲かせる。懐かしいねえ。もう10年以上前の話だ。そう考えると彼らとも長い付き合いだし、それ以上に自分が芝居始めてからもう10年近くになるということに結構ビックリ。そら年もとるわ。

 Kに車で送ってもらい、明日も見に行くことを約束してお別れ。帰宅したのは1時半。明日も会社です。早く寝ましょう。

新古書店問題・その3

 で、昨日の 「古書店(リサイクル書店)について」()。つーかまだ書くのか。今日の日記長すぎ。これでおわかりいただけるかと思いますが、基本的に私は書きなぐりです。推敲なんぞしちゃいません。というわけで論点がずれたり、なに言ってるんだかわかりにくいところが多々あると思います。申し訳ない。忘れないうちに書こうと思うとこうなってしまうんです。つーことで、昨日の話題について雫さんから疑問を呈されたのでお答えを。

出版社と書店をひとまとめにして「売り手」と括っているように見えるのですが。shakaさん的には峻別しないのですか?

 本来は「売り手」側も、出版(作家・編集)、印刷、流通(取次ぎ)、小売、と区別して語るべきなんだろうし、そうもしたいのだけれど、さすがにそこまでやったら一冊本が書けそうなので(実際そういう本がある)ここでは「供給側」という意味でまとめて「売り手」という表現を使用しました。かなり乱暴なまとめであることは認めますけど。

 ただ、今回の話題では「古書店(リサイクル書店)の浸透で新刊書店が圧迫され、ひいては作家にまでお金がまわらなくなるのでは?」という連鎖性が語られていたので、そういう風に括っただけです。つまり、消費者と供給側、という構図ですね。

後、それこそ適正価格なんぞは消費者が店頭で納得して支払えばそれが適正なのでは?
この場合「納得」には「財布から支払う金額は痛いけど、この本を読みたいという気持ちの方が強いので仕方なく」ってのも含みます。

 そうですね。だからこそ古書店(リサイクル書店)で本を買うのも適正価格ですよね。消費者にとってはそれが新刊であろうとなんであろうと値段での価値判断になるわけですから。ですから古書店(リサイクル書店)というのは正当だと思うし、それを問題にするのなら企業努力をまずしなくてはいけないんじゃない?ってことです。

商品の価格設定には必ずコストが反映されるので、同じ材質の紙で同じページ数の書籍なら、価格が同じでもおかしくはないと思いますけど?

 うーむ、これはちょっと説明が必要かも。というか私の書き分けがなってなかったな。昨日の日記では私は殆どの部分、「本」を「商品」として扱い、だからこそ適正価格という言葉を使用しました。ですから、この論に従えば雫さんの意見は全く至極当然ということになります。
 しかし、「本」というものは本来、商品でありながら創作物いう名の個人の芸術作品でもあります。ですから昨日も論じた通り、全ての作品が等価に扱われている現状というのに私は疑問があるわけです。いや、ホントは疑問があるわけじゃありません(どっちなんや)。ただ、好きな作家さんの本は新刊で買う、とか作家本人が「古書店(リサイクル書店)は作家の敵だ」とか言っているのを聞くと、「ん?」と疑問が湧いてくるのですね。等価の商品として扱うならば、全ての作品を新刊で買うべきでしょう。一人の作家の印税が上がったとしても業界全体が停滞化したら、それは意味がないことだし。「好きな作家」なんていうのは各人千差万別ですから、少数の努力がホントに救済になるかどうかはわからないわけで、抜本的な改革とは思えません。厳しい言い方をすればファンの自己満足に過ぎないでしょう。自分一人が新刊を買ったりすることで何かを救えるとは私には思えないので(その努力が全くの無駄だとは思いません)。
 というわけで話が少々ズレてしまいましたが、雫さんの疑問点はもっともです。私は昨日の段階では上記のような説明を一切していませんからね。ただし、私としては「古書店(リサイクル書店)問題」について言及している方々が、新刊書店(商品としての本)、出版社(商品と創作物の両方)、作家(創作物)のどれに対してどのように影響が与えられ、なにが問題なのかハッキリと提言されていないので、敢えてああいう発言をしました。そういう意味では私自身の発言もどちらつかずになってしまったことはお詫びします。

 要するに、私自身が「論じている点が違う」と言ったのは、「古書店(リサイクル書店)問題」について言及したいのではなく、それを発端にして「出版・流通業界の体制」について苦言を呈したいと思ったからです。ま、支離滅裂で上手く伝わっていないとは思いますけどね。ただちょっとだけ皆さんの発言が本質を見失っている気がしたので」、焚きつきにでもなればと思った次第です。

 完全に、とはいかないとは思いますが、ある程度の答えにはなったでしょうか? >雫さん。
 個人的にはひっかかりがあってくれて嬉しいです。ちなみに私は昨日も言いましたが古書店(リサイクル書店)については肯定派です。全面的にではないですが。これを理由にして作家や出版社、小売店が「本が売れない」と言い訳するのだけは納得いきません。本が売れなきゃ古書店(リサイクル書店)も干上がるっつーの。そんなことわかりきってるでしょ?。
 問題の本質を見失っている論議を続けることにちょっと疑問があったのと、私自身が一番問題だと思っているのが何度も言う「適正価格」と「粗製濫造」についてちょっと語ってみたかった、というのが本音。文句を言うだけで努力をしないのは愚の骨頂だし。実際に井上夢人我孫子武丸のように自分たちで問題を打破するために動いている作家さんもいるわけですから。世の中の動きについていけず、これまでの「伝統」という名のハリボテに頼って、気がつけば崩れていたなんていうのはどんな世界にもあること。それは「本を愛する」消費者も同じだと思うんです。現状を守ることではなく、それを見直すことも大切なんじゃないかと思っているshakaでした。だからこそ雫さんの日記(6/1)にもおおいに感銘を受けたのでした。

Jun.2,2000 (Fri)

daylife

 こちらKGB公演に足を運ぶ。今日は結構客が入って椅子席が埋まってしまったので、見なかった。で、本番中はKGBの制作さんと制作についてのありかたなどを話す。まあ、5年も前から同じことを言いつづけてるんだけどさ。今まではそれを実行できる人がいなかったからね。頑張って欲しいものです。

 その後、何人かで飲みに行く。しかし、途中で座長の独演会というか愚痴語り(それも大声)になったので、寝る。お前のそういうところが嫌いだ。何でわざわざ全員の前で言うかな。それもあんな口調で。誰か座長は神様じゃないって教えてやれよ。これじゃ宗教だぞ。

涅槃の読書模様

 通勤読書は『冷たい方程式』トム・ゴドウィン。標題作以外はそんなに面白くもないです。短編の難しさを教えてくれる意味では良いかも。

 早退して、ちょいと医者へ。んでもって横浜に引き返し、久々に有隣堂で、

 を購入。ここのところ読書傾向が変な方に傾いてるな。まあ、よし。
 あと漫画も購入。

 『ヒカルの碁』は当初ほどの面白さはなくなってきた。それはひとえに主人公・ヒカルの成長物語というありきたりな話になってきたからであり、もう一本の軸となる佐為が全然活躍してないかあである。単にヒカルの師匠ということなら幽霊である必要はないと思うんだけど。しかし、成長物語としての面白さはある。なんといっても絵がキレイだしね。

 『20世紀少年』については一巻を読んだ時点では海のものとも山のものとも想像できかねたが、二巻を読んで結構面白くなりそうな手応え。この人はホントにキャラの作りが上手い。今回から出てきた「先生」なんかはこの人ならではのキャラだなあ。

Jun.3,2000 (Sat)

daylife

 今日も今日とてこちらKGBの公演へ。それはそれとして今日は久しぶりに会う人が沢山いて驚き。いたち隊メンバーで現在はアメリカに留学中のYくんとか、母校の演劇部の後輩のTとか。芝居ごとに会う人たちってのもいて今回のように関係者でない場合はお客さんの一人として気兼ねなく話しが出来るので楽しい。それにしても女性は変われば変わるものですな。まあ一番変わる年代なのかもしれないけど。ビックリしたよ。

 というわけで久々にいたち隊のメンバーと飲みに行く。楽しかった、いや、楽だった、それだけ。言葉はいらん。そういうメンツはいいものだ。

Jun.4,2000 (Sun)

daylife

 というわけでこちらKGBの公演も今日は千秋楽。というわけで無理矢理席を取って楽に見た。さすがに初日よりは良くなってたし、自分も3回目ということもあって、楽しんで観てみた。うん、なかなかいい芝居だったね。変な評論家っぽい色眼鏡を外して観るとなんだかんだでいい芝居でした。まあ、勿論好みの問題とかはあるし、全てが全て良かったというわけでじゃないけど。先日Yくんが言っていた「刺身は生きもいいし、高そうなんだけど、醤油が足りない」という表現は私も賛成ですけどね。わさびも足りないかな。それでも上マグロ(極上とまではいかないが)の良さはあったと思います。

 気がつくと人数調整のために打ち上げに行かされる(それ以外の理由もあったが)。もともと打ち上げが嫌いでおまけに基本的に部外者だからなにするわけでもなく一人でちびちび烏龍茶を飲む。まあ、それでも役者や制作で声かけてくれる人もいたからよかったけど。やはりどうにも打ち上げは苦手である。

蹴球微熱

 夜中に帰宅したものの、寝るわけにはイカン。今日はサッカー。ハッサン2世国王杯で日本対フランスの試合。結果はまさかまさかの2対2のドロー。PKの結果敗れてしまったが、まさかこんな結果になるとは誰も予想しなかったであろう。確かにフランスは思いっきり調整試合だったが、それにしても森島、西澤のセレッソコンビはよくやった。世界一の守備陣から2点取ったんだからね。なんてったってフランスはフランスワールドカップで大会を通じて1点しか取られていないのですから。
 しかしそれ以上に凄かったのはフランス。調整試合とはいえジダンのテクニックは素晴らしかったし、先行されても結局は負いついちゃうし(焦りもなかったように見えた)、最後はEURO2000の練習とばかりにPKも実践練習。やはりなんだかんだいっても格は違いますな。
 次は因縁のジャマイカ戦だが、メンバーはどうなるんだろう。短期間での2試合なので、疲れも残ってるだろうし、大きく入れ替えてくれることを望む。特にGKは久々に川口能活で見てみたいですな。あとFWには久保を使って欲しい。まあ、トゥルシエも進退問題かかってるからまたもセレッソコンビで確実に勝ちに来るかもしれないけど。フラット3のメンバーも変更してみて欲しいね。宮本にはもう一度チャンスを与えてあげて欲しい。ジャマイカはスピードのあるチームだから服部も見てみたい、なんて勝手なサポーターの意見でした。

Jun.5,2000 (Mon)

daylife

 諸所の事情で体調が悪い上に夜更かしの連荘が祟ってダウン。一日寝こむ。といいつつ夜には8月の芝居の会合があったのでそれには顔を出したが。KGBの公演が終わったのでこちらも本格的に稽古にはいります。今日も早速、演出家(私)と役者がぶつかる。こういう互いの芝居論を実践的にぶちかましあえるのは楽しい。エンジンかかってきたぜ。いい芝居になりそうな予感です(マジで)。

新古書店問題・その3

 で、BOOKOFF問題(笑)。すっかりこの話題に関しては悪モノとしての立場を固めつつあるが、まあ、それも至極当然だと思うので、これ幸いとばかりに更に悪モノぶってみたいと思う。BOOKOFFの問題とは離れるが。ただし、長く書くのに飽きたこともあるので、端的に。その結果いらぬ誤解を招くことになるかもしれないが、あとは野となれ山となれである。

 まず断っておくと、私自身は現在の本の流通とかBOOKOFFの増加とかに対して文句もないし、問題だとも思ってません。現状支持派。というか諦観派。なるようにしかならん。それでいいと思う。ただ、あえて「BOOKOFFが問題だというならば、それ以外にもというかもっと根本的な問題はあるのでは?」という主旨です。これだけはご理解頂きたい。

 私の場合「BOOKOFFが増えても問題ないと思うし、それで小売や出版や作家が苦しんでも知ったこっちゃない」と言っているのは、あくまでも初期的な問題ね。そのまま全部がブっ潰れてしまっても構わんということではないです。ただ、現状に問題があるならば、BOOKOFFがその問題を浮き彫りにすることで、供給側に変化を与えることの出来るきっかけになるのではないか、ということ。私自身が思うことはBOOKOFFの蔓延以上に切実な問題が供給側にはあるんではないの?、ってことで。でもいきなりそれを変えろっつってもなにも変わらんと思うからBOOKOFFがきっかけになってそれらが変わっていけばいいなと。
 じつはここからが一番の本題なのだが、私が一番言いたいことと、その対象は作家でも出版社でも小売でもなく、この問題に言及している自称本好きの方達である 。要するに、この問題の渦中の中で「好きな作家は新刊で買う」なんつーのは、あくまでもエゴでしかないのではないかなあ、と思ってしまうのだ。別にこの問題に言及せずに上記のような努力をすることは無駄ではないと思うし正しいとも思うんだけどね。ハッキリ言えば自分の行動を正当化してるように見えてしまう。それはホントに問題の解決になっているのか?という意味で。作家が助かれば出版社のことは知ったこっちゃない、という意見にしても現状では出版社が作者を養っているのだから(結果的に)ちょっと無理があるんじゃないかなあ。結局はBOOKOFFを利用している時点でBOOKOFFに利潤をもたらして新刊業界を苦しめていることになるんじゃないのかなあ、っつーことです。ありていに言えば偽善的?。

 まあ、あとは個人的(それもかなり)な意見だけど、消費者に助けられなきゃやっていけない作家なんて、そのまましぼんでも構わない、ってことかな。ホントに「書きたいモノ」がある作家はどんな苦境に陥っても書くだろうし。私自身は読むものがあれば読むだけで、本業界がダメダメになって一部の売れっ子作家の本しか店頭に並ばなくなっても好きな本があれば読むし、頑張る作家はWebでだろうと自費出版でだろうと書くだろうし、私は読みたければ読むし、その分の対価も払うだろう(必要ならば)。
 まあこれには納得できない人が沢山いることは了解してます。でも芝居なんてやってる人は多かれ少なかれそう感じるんじゃないかなあ。芝居で食っていくことが事実上不可能な日本という国でそれでも芝居をやっている人にとっては食える食えないっていうのはあくまでも二次的な要因だから。だからといって文句をいっても始まらないわけで、どうやったら芝居で食っていけるか、もしくわいい芝居を作るか、ってことしか日本の芝居事情を良くしていくためには考えていくしかないでしょ。
 こうやって他のジャンルと比べても意味がないことも重々承知していますが、ちょっと作家に対して甘すぎる、甘すぎるって言葉は厳しいかもしれないけど。それが粗製濫造を招いていることも事実だと思うから敢えてここでは言わしてもらう。こういう言い方は更に火に油を注ぐかもしれないけど、出版されても売れなくてあっという間に絶版になる本のために他の本が迷惑を被っている部分もあるわけで、(ああ敵を作りそうな発言)そんな本は同人で出してくれ、というのが私の結論。もしくわ、そんな本はBOOKOFFで買われても文句言うなってことかな。それだけの価値しかないんだよ。

 ま、もう一つ言っておくとすれば売れてなければBOOKOFFにすら並ばないってことかな。

 んで、いくつかメールやフォームでご意見をいただいたのでそれに対するご返事。簡単にでお許しいただきたい。

「古書店(リサイクル書店)は作家の敵だ」っていうのはある意味正しいと思うんです。というのも、新古書店のような2次市場に回ってしまうと、いくら売れても作家に入る印税が0になってしまうからです。shakaさんの言う適正価格は、市場原理にまかせて、評価される本は高く、そうでない本はそれなりに売れということだと思うのですが、それならそれで、作家としては全然問題ないわけです。量の多少はともかく、印税は入ってくるわけですから。(中略)つまり、2次市場が拡大することで、印税という名の著作権料が全く作家に入ってこないことをが問題なわけですね。著作権料を飯の種にしている著作者にとっては、それは当然主張すべき権利なわけで、2次市場をそういう側面から疑問視するのは、間違ってはいないと思うのです。という意味で、「古書店は作家の敵だ」と言っているのだと思うのですが、どうでしょう。

 ご意見ありがとうございます。確かに仰るとおりだと思います(笑)。おいおい、話が違うじゃないか、と言われるかもしれませんが、上記にも言及した通り、本来は新刊業界の方達ではなく、本好きの方達に対する裏メッセージだったのでああいう書き方をしました。誤解を招いてスミマセン。
 ただし、確かに古書店(リサイクル書店)は作家の収入に対し影響を与えるかもしれないが、それを規制、もしくは排除することが根本的な解決になるとも思ってません。高い本しかなければ読まない人も増えるかもしれない。安いから手が伸びる、ということは間違いなくあると思います。ですからあくまでも本業界に対する現状の問題を考えさせるためのきっかけとしてBOOKOFFが新刊業界を圧迫することに対しては「問題ない」と発言してみました。
 あと、作家自体が食える食えないということに固執するのも個人的には好ましくないので。

本の適正価格など、一連のBOOK OFF問題についてのご意見を拝見させていただいて、感じたことがあります。買い手から見れば、本の価格が適性か否かを判断する意味で、BOOK OFFの在り方は肯定とのご意見と拝見しました。私は、古書店に否定的な立場なのですが、その理由というのが、古書店は「何も作り出してはいない」と言う点にあるのです。作家や出版社は、無から「本」を作り出して世に送り出します。しかし、古書店は、実は、何も作り出していない。誰かが作ったものを、安く買い取り、売ることで利潤を得ている。その点に疑問を感じるのです。こういったこと、いかが思われますか。不躾な質問で、申し訳ありません。

 ご意見ありがとうございます。こちらこそ不躾な意見を偉そうに語って申し訳ありません(^_^;)。
 これは難しい問題ですね。やはり極論になってしまいますが、基本的にはそこに「市場」がある限り、モノを売り買いするのは経済原則的に正しいと思います。
 さて、しかしなにが難しいかと申しますと、「作り出す」というのがどこまでを意味するかですね。作家は物語を作り出します。これは確かに創造物です。しかし、いわゆる出版社や印刷会社、取次ぎ、小売はあくまでも「商品」を扱うに過ぎません(出版社は作品にも大きな影響を与えていますが)。こと「商品」を扱うというレベルに関しては古書店(リサイクル書店)も同様だと思います。そういう意味では作家にもっと恩恵が払われるべき、ということになるのかもしれませんが、何度も言及したように私は作家(芸術家と言い換えても良い)は食える食えないを語るべきではないと考えています(極論ですよ)。結果として食えればそれは問題ないんですが。
 また、古書店(リサイクル書店)が2次市場だ、という風に考えるのだとしたら、一つ上のご質問に対するお答えをご参照下さい。消費者はそれが1次市場であるか2次市場であるかが問題なのではなく、同じモノが安く買える、ことが重要なのです。ですからあくまでも業界の現状を揺るがす意味で古書店(リサイクル書店)の在り方は正しいと私は考えます。

「売り手」側も、出版(作家・編集)、印刷、流通(取次ぎ)、小売、と区別して語るべき

 ご意見ありがとうございます。えー申し訳ありません。これに関しては時間もないし、現時点では勉強不足のために不可能です。筆者の力不足をお許し下さい。

 また、業界関連の方々や、この問題に詳しい方々から見れば「勉強してからモノ喋れ」と思われる向きも多いと思いますが、私は「素人考え」も捨てたもんじゃないと思っておりますので、これからもこういった事象に関して語りつづける所存です。今回の場合であれば消費者は素人であり、その消費者の立場からの言及です。消費者の動向を見る上で業界には何らかの得もあると思うし。素人が素人同士の考えで議論しあうのが不毛とは一概には言えないと思います。ま、賢者にとっては「バカバカしい」というのもわかりますけどね(^_^;)。

 大変長くなりましたが以上。

Jun.6,2000 (Tue)

daylife

 ちょっと体調が辛いことになっているので早々に就寝。でもそれもまた辛い。

涅槃の読書模様

 通勤読書は『エサウ』フィリップ・カーカーの作品を読むのは三作目だが、実は訳者の東江一紀にも惹かれて読みつづけている。この訳者は今一番好きな訳者である。ドン・ウィンズロウのニール・シリーズを手がけている訳者といえばわかりやすいかも。今回はヒマラヤを舞台にした冒険アクションものらしい。芸風の広い作家である。


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