台風のおかげで我が家の木が折れて交通の邪魔になる。暴風の中、鋸で切断。いらぬ迷惑をかけるなよ >台風。
『はつ恋』を観る。感想は↓。
あ、Matsuoさん。「Forever Young!」です。微妙に違ってます(笑)。でも日記は今まで通り「ごくたま昨日日記」もしくは「ごくたま」だけでも結構ですよ。
「ごくたま」でGoogleると、ここがトップに出てくる。ビックリ。
監督:篠原哲雄、出演:田中麗奈、原田美枝子、平田満、真田広之
会田聡夏の高校2年の春休みは、失恋と母の入院という最悪な気分で始まった。ある日、母親の壊れたオルゴールを修理していると、中から一通の手紙を見つけてしまう。それは、母が25年前に付き合っていた男性・藤木へのラブレターだった。聡夏は、病床の母を元気付けるため藤木を探し出し、母に会わせようと考える。
『東京マリーゴールド』の一年前に撮られた映画。なのだが、たった一年で女優というのはかくも変わるのか、と驚いた。『東京マリーゴールド』では既に女優としての田中麗奈を観ることができたが、この作品ではまだ「18歳の少女」から脱皮しきれていない田中麗奈である。
だが、それが逆にこの映画を印象深いものにしている。なんというか彼女の持つ瑞々しさが、本来ならば暗くなりがちな映画の中で光を与えてくれるし、逆に彼女の若々しさが中年達の過ぎ去った恋を引き立てることになっている。
正直、平板な物語ではある。だが、それを補うだけの質がある。それ故に観ていて飽きが来ないし、奇をてらっていない分、素直に感動(というほど大袈裟なものではないが)できる。
なんといっても脇を固めるのが、両親役の原田美枝子と平田満、母親のはつ恋の相手に真田広之。またタクシーの運転手として重要な役を演じているのが佐藤允(いい味出してます)。それ以外の登場人物は殆ど無し。こういったベテラン達の渋い演技と田中麗奈の瑞々しさが一つのフレームの中で見事に融合している。
特に原田美枝子の演技は素晴らしい。平凡な台詞も彼女の口から発せられるのを聞いてしまうと耳に残る。決して裕福でもなかったし、ドラマチックでもなかった自分の人生を「それでも幸せだった」という、その言葉が嘘に聞こえない。そして、この映画もまさに派手(裕福)でも、ドラマチックでもないけれど「幸せ」を感じさせてくれるものになっている。
思春期の、恋に臆病な少女が、自分の知らない母親の恋を通して少しずつ変化していく様、昔の恋を通して現在の自分を取り戻していく男。残り僅かな時間の中で不安と戦いながら、愛を確かめ合う夫婦。それぞれが淡いトーンで語られ、派手なところは全く無い、しかし地味というのとは違う、古くて新しい感じのする映画でした。
少女から大人へ、「女の子」から「女優」へと姿を変えつつある田中麗奈の短い一時期を切り取ったポートレートでもあります。
映画に出てくる「願い桜」が、とても美しいです。映画では長野県という設定でしたが、本物は福島県田村郡船引町にある小沢の桜(HPで写真も見れます)だそうです。一度見に行ってみたいなあ。
本日はロシア料理サラファンで夕餉。なかなか雰囲気のある店でお味もGoodでした。特に『チューボーですよ!』でもお馴染み(*1)の白いビーフストロガノフは美味かった。これで白いご飯が食べれれば最高だったのに〜。でも満足でした。アクア・リベラなる飲み物も不思議な味でしたけど食べ物には合っていた。たまにはこういう贅沢もいいかもね。
「美食は人間を豊かにする」と言ったのは誰だったか。いい歳してファミレスやファーストフードばかりじゃなく、こういうお店での食事を月に一度や二度でもいいからしておかないと貧しい人間になってしまう。その分、財布は貧しくなるのだが。
毎度毎度ここで書いてるけど、昨今の小説やマンガの長大化は行き過ぎな感が否めない。そんな中、Walkerplus.comのよしながふみインタビューの最後の言葉はいっそ潔くて気持ちがいい。
Matsuoさん、ありがとうございます。「!!」もサービスしていただいて(笑)。しかし、このページをトップ扱いにするとなるとサイト名と日記名がごっちゃになるなあ。どうしよ。ま、おいおい考えるとするか。それよりも移転準備を整えよう。
『流れよわが涙、と警官は言った』フィリップ・K・ディック読了。レビューは後日。
どこまでも殺されていく僕がいる。いつまでも殺されている僕がいる。
6歳の入学式の日に叔母に殺されて以来、7度も殺された「僕」。そして今、8度目に殺されようとしている、という謎の手記。そして、高校教師、横田の元にかかってきた一本の電話は「僕は殺されようとしています。たすけてください」と告げる。果たして、この電話の主は誰なのか?。横田は生徒と共に捜し出そうとするのだが…。
7度も殺された「僕」の話、といえば『七回死んだ男』西澤保彦が思い浮かぶが、この小説はそれとは毛色が全く違う。また、同じ連城三紀彦による『私という名の変奏曲』も想起されるが、この小説はその亜流として生まれたと邪推することもできる。
いったい、一人の人間が7度も殺されるのか、という謎と、助けを求める生徒は誰なのか、という謎が徐々に一体化していくその紡ぎ方はまさしく連城三紀彦の巧緻な文章ならではである。
叙述トリックであることは間違いないのだが、単に読者を騙すことだけを意識した叙述トリックではなく、そこはそれ連城節。人間の罪深さ、奥深さ、悲しさ故の産物。最後の謎解きは見事な鏡像を描き、倒れたドミノが元通り立ち上がるかのようである。
とはいえ、いわゆる島田荘司流の「不可解で幻惑的な謎」の解明を期待してはいけない。ここで知る驚きは作者の巧さであり、決して「壮大なトリック」ではない。「言葉」ではなく「文章」で読者を惑わせる、さすがの一冊。読み終わったあと、確実に二度読みしたくなる作品です。
会社のマシンがあまりに不安定になったのでSPを当てることにする。XPのSPはまだマシだったんだが、OfficeXPのSPはもうふざけんな、って感じ。SP1だけで18MB、SP2は15MBである。併せて33MB。そりゃもうSPっていう体裁じゃねえだろ。新たにソフトをダウンロードしてるようなもんである。おまけにこれで動作が安定するっていう保証もないんんだもんなあ。
大体が、Word文書開いただけでマシンが止まったり、ページ設定を変えようとすると2分もメニューが出てくるまで待たされたり、こんな製品を平気で売ってる会社の社長が全米一の収入ってどーゆーこと?!。世の中間違ってるとホントに思うよ。
会社帰りの私が大概取るコースはコミック高岡→書泉グランデ→書泉ブックマートというコース。で、コミック高岡で何冊かマンガを買って書泉グランデで本を買うと、いつもなら「手提げ袋に御一緒にお入れしましょうか?」と聞いてくれる。しかし、今日に限って聞いてくれず。他の荷物もあったので今日は欲しかったんだけどなあ。
というわけで、この反省を生かして鞄には書泉の手提げ袋を常備しておくことにする。万引き犯に間違えられないように注意しなくちゃ。
『黒いトランク』鮎川哲也【→bk1へ】読み中。
偉大なる先達に敬意を表して。ちなみに今年復刻された光文社文庫版です。ある意味、予想を裏切らない退屈さだ。
購入物。
最近(?)、読みたい本が増えたなー。スピードが追いつかない。
ディック後期の長編としては名作の評価が高いこの作品。巻末の大森望の解説を読むと、完成までには紆余曲折があったようだが、果たして。
ジェイスン・タヴァナーは3000万人の視聴者を抱える看板番組を持つスターだった。だが、ある朝、見知らぬ安ホテルで目覚めてみると、誰も自分のことを覚えていなかった。それだけでなく彼の存在を立証するIDも何もかもなくなっていたのだ。この世界は本当に自分が存在していた世界なのか?。底知れぬ不安と戦いながらジェイスンはホテルを後にした。
舞台設定が1980年代後半。もはやとっくに過ぎ去った時代。それはそれとして、これはまさに後期ディックの特徴を凝縮した作品である。つまり、不完全であり、不安定であり、深遠なテーマを内包している。上記のあらすじもハッキリいってその結末に納得できない人もいるだろう。これはもはやSFとかそういうジャンルの問題ではない。ディックの世界であり、むしろ定義するならば「ドラッグ小説」である。
後期ディックの特徴としてのドラッグのような小説であり、小説中にも数多くのドラッグ(想像上のものまで)が登場する。ゆえにこの小説を理解しようとすることは、ある意味で徒労である。ジェダイのセリフではないが感じるのだ。そしてまた、この小説がドラッグと同じ効用を示すのは、読んだときの読者の精神状態に大きく左右されるということだろう。何も感じない人もいれば、痛切に感じ入る人もいるはず。私の場合は、中間といったところだろうか。しかし、次に読んだときはわからない。
テーマとしては(*1)「人間は涙を流すことができる」という『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の頃から通底して語られている「人間と人間でないものを分けるのはなんなのか?」ということだろう。しかし、それすらあえて強調しては語られてはいない。とにかく軽く読んでしまうと「なんじゃコリャ」で終わってしまう可能性すらある作品である。
しかしディックの小説を何作か読んだことのある読者ならば、ディックの描くメディアという存在の虚無性、「名前」の不確かさといった彼が常に問いかけてきたものの象徴としての作品ということに気付くでしょう。そこに共感できるかどうかが分かれ目だと思います。
というわけでディック初心者にはまずオススメできませんが、ディックの作品世界に惹き込まれた人なら是非読んでおかねばならない作品。少なくとも同じ後期の作品でも『暗闇のスキャナー』や『ヴァリス』よりかは遥かにとっつきやすく、読みやすいとは思います。
実のある仕事のためなら残業も厭わないが(*1)、不毛な仕事のための、もしくは不毛な仕事の結果の残業は御免被りたいものである。
ああ、もうバスもない…。
NHKの15分ドラマ『ロッカーのハナコさん』を実はずっと見ていた。ドラマ自体は面白くも何ともない。では、なんのために見ていたかというと、ともさかりえ、精確には彼女の衣装見たさである。
とりわけ彼女のファンというわけではないのだが、このドラマの衣装はなかなかセンスがよろしく、こうして見るとやはり彼女のスタイルというのは抜群で、衣装さんが頑張っちゃうのもわかるんである。相乗効果というか、彼女も衣装も引き立って見えた。逆三角メガネも似合ってたし。
彼女にはまた、ああいう衣装を着こなしてドラマに出て欲しいなあ。ホント、それだけでかなり満足。こういう感覚は珍しい。
『NEWS23』で、先日番組が打ち切りとなり、大きな波紋を呼んだ『ザ・スクープ』の特集がやっており、鳥越俊太郎も出演していた。番組終了に際して1万2千人から署名が届いたり、シンポジウムが開かれたりと、この問題はテレビという媒体における「ニュース」という存在、そしてメディアの今後を考えさせるきっかけとなった。
この問題と、そこから派生する問題に関しては、思うことは山ほどあるのだが、切り口が大きすぎてなかなかまとまらない。いずれ機会を見て何らかの形で述べたいとは思っているのだが、こういう風に後に回すと大概それはお蔵入りになるのも事実である。
個人的には、この問題に関しては多くの人の意見を聞きたいと思っている。何方でも構わないし、どんな切り口や視点でも構わないので意見をお聞かせ願えると幸いである。
TBS深夜の名物番組『ワンダフル』が先週で幕を閉じ、今週から新たに『Pooh!』なる番組が始まった。これがまた、うーん…。
MCは『ワンダフル』に引き続き白石美帆ちゃんを起用してくれて、TBSのバックアップぶり(*2)にはファンとしては頭が下がる思いだが、ハッキリ言って荷が重過ぎるのではないかと。というのは一緒に番組を進めていくのが、ワンギャルと同レベルのよくわからんなんちゃってアイドル4人。当然、話も下手だし、一人一人に魅力があるわけでもない。最初に見たときには量から質への転換かと思ったのだが、正直ワンギャルと大差ないどころかもしかしたらレベルダウンかもしれない。そんなメンバーを仕切って番組を進めていくだけの技量はまだ美帆ちゃんにはないと思う。
ファンとしては残念だが、このままでは1クール打ち切りとなるのが目に見えている。だけども、これが彼女の責任にされてしまうとしたら納得いかない。番組変更の意図が全然見えない上に、人選ミス。プロデューサーとディレクターの責任だろう。
ちなみにこの『Pooh!』、番組の最中に別の番組を挟み込む形になっている。別の番組とは日替わりなのだが、これらも正直面白くない。松本人志まで起用しておきながら、あの番組じゃなあ。今の気持ちとしては『ワンダフル』に戻してくれ、という感じ。別に見てたわけじゃなかったけど、あっちの方がいくらかマシである。
『黒いトランク』鮎川哲也【→bk1へ】読み中。
昨日、「退屈」と書いたが「面白くない」ということではない。この淡々とした進みぶりを評してのことである。確かに20年位前はこういうミステリが隆盛を誇っていたものだ。懐かしい。むやみに派手にしたりすることなく、今のような「萌えキャラ」もいない、「普通」の人間たちが「普通」の事件(*3)を解決していく推理小説。それでも読ませることができるというのは凄いことである。
角川映画を懐かしむ企画第二弾。『人間の証明』を観る。感想は後日。
割り切って考えてみれば(それをするまでが簡単ではないのだが)、気持ちの転換はおもったよりも楽にできるものだ。貼り付けた笑顔も気づけば自然なものになる。
結論さえ出してしまえばあとはどうにでもなるものだ。
K-1グランプリ。注目はやはりアーネスト・ホーストVSボブ・サップ。ヘビー級とはいえさすがに60キロの体重差は階級違いも同然。パワーはテクニックを凌駕するのか。テクニックはパワーを封じるのか。
だが、試合は予想だにしない展開に。テクニックで躱すかと思われたホーストが、正面からサップと打ち合う。しかも得意のローキックを連打するとあっという間にサップの顔が歪む。もし、このままホーストのローキックでサップが崩れ落ちたら涙を流すほど感動したかもしれない。しかし、試合はさらに驚きの展開へ。
足の止まったサップを見て、ホーストは勝利を確信したのか、余裕を見せローキックだけでなく多彩な技を見せようとする。この油断がホーストの敗因だろう。瀕死に見えたサップであったが、攻撃の手を緩めたホーストの一瞬の隙を見逃さず、巨体で相手をロープ際まで追い詰めラッシュラッシュ。死に体だと思っていたサップからまさかの反撃を受けたホーストは為す術なくパンチを貰う。ガードはしていても170キロの体重を全部乗せたパンチは威力十分。そのうちの一発がホーストの左瞼を切り裂いた。
その後は、サップのラッシュとホーストのローキックの打ち合い。だが、完全に息を吹き返した野獣はローキックでは止まらない。ホーストがやられるかと思った瞬間、1ラウンド終了のゴング。
最高に興奮する展開、いったいどんな結末を迎えるのか観客の期待は最高潮に。だが、そんな期待をレフェリー角田信朗の声が打ち破る。
ホーストの左瞼の傷が思ったよりも深かったため、ドクターストップ。この試合の結末はサップのTKO勝ちとなった。
長々と語ったが、それだけの価値がこの試合にはあった。試合前、石井館長が「ホーストが負ければ、これまでK-1が築きあげてきたものが無意味になる」と言っていたように、結果TKOとはいえスリータイムズチャンピオン、ホーストがサップという道場破りに敗れ、東京ドームに進めなかったという事実はあまりにも大きい。特に、「勝てる」と思わせた瞬間があったにもかかわらず、そのチャンスを活かせなかった。逆に、サップの打たれ強さ、精神力はその他のK-1戦士達に充分な脅威を与えただろう。果たして、東京ドームでサップを止めるのは誰なのか、止めることはできるのか。
おそらくは石井館長ですら予想しえないこの波瀾万丈の物語が、今のK-1の魅力だろう。もしサップが優勝したらしたで、K-1を取り戻せ、というストーリーができるわけで、それはそれで面白い。結局は館長の一人勝ちだな。
それにしてもミスターパーフェクトと呼ばれるホーストを狂わせたのはいったいなんだったのか。やはり「恐怖」だったのではないかと私は思う。その「恐怖」が「勝てるかもしれない」という気持ちに変わった時、油断という魔物が忍び寄ったではないだろうか。
その他のPRIDEVSK-1の戦いではゲーリー・グッドリッジVSジェロム・レ・バンナの試合が笑えた。この試合のバンナはホーストのお株を奪うかのように冷静だった。一見、荒っぽい殴り合いに見えたこの試合だが、開始早々にバンナが放った左ハイキックがその冷静さの現われであり、この一発が(グッドリッジはガードしていたが)全てを決めたといって過言ではないだろう。
真正面からの殴り合いの求めたグッドリッジ、それを受けると見せかけて一発のハイキックを放ったバンナ。これで完全にペースはバンナのものに。あとはひたすら殴り合いなのだがハイキックの意識するグッドリッジに先手先手で攻め続けるバンナ。勝負は見えていた。それでもこの殴り合いは思わず笑いが飛び出るくらい最高の試合。それまで地味な試合が続いていただけに爽快感は大きかった。
その他の試合はたいして面白くもなかったが、マーティン・ホルムが判定で負けたのは納得できない。あれはエクストララウンドでしょう。
フジテレビは、長嶋一成と藤原紀香のくだらない解説を流す時間があるなら、ラウンド飛ばして流すのはやめて欲しい。特に、いきなり2ラウンドから流しはじめるのだけはやめてくれ。視聴者は試合が見たくてチャンネルあわせているのであって、素人解説が聞きたくて見ているわけではない。それを流すくらいだったら藤原紀香、長谷川京子、畑野浩子の三人をじっくり見せてくれた方がなんぼかマシである。
うう、思ったよりも忙しくなってしまったせいで半額キャンペーン中に借りた『八月のクリスマス』を見る時間がなかった。残念。また借りよう。
そうは言ってもやはり居場所には困るんである。
原作:森村誠一、監督:佐藤純弥、出演:岡田茉莉子、松田優作、ハナ肇、岩城滉一、ジョー山中、ジョージ・ケネディ、鶴田浩二
1977年公開。角川映画第二弾。森村誠一の原作は角川小説大賞を受賞。邦画界初の本格的ニューヨークロケを敢行した映画としても有名になった。
また『読んでから観るか、観てから読むか』が流行語になり、角川がメディアミックス戦略を前面に押し出し始めた作品でもある。ちなみに脚本は公募。
母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで
谿谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ
(西条八十詩集 -『帽子』より-)
誤解を恐れずに言えば、ハンパじゃなく金をかけ、キャスティングを超豪華にした二時間ドラマ。今の時代にこれを観てもあまり目新しさは感じないであろう。
内容的にも'60年代から松本清張を中心に隆盛を誇った「社会派」と呼ばれる流れに即しており、今現在、宮部みゆきや高村薫、その他のより深い人間像を描き出そうとした小説群を読み慣れてしまった私達にとっては物足りなさを感じる部分もあるだろう。特に戦後間もない混乱期が鍵になっていることもあり、25年前と現在では、その当時に関する思い入れや考え方においても差違があるのは否めない。
ただ、最初に述べたように2時間ドラマとしては物凄く上質なものを見せられたという思いにはなる。それとなんといっても『人間の証明』というタイトルがドラマに重みを与える。『野生の証明』もそうなのだが、森村誠一のタイトルというのは優れたものが多い。タイトルがそのままイコール、テーマを語っており、それを頭に映画を観たり、小説を読んだりするだけで受ける印象が全然違う。
正直な気持ちとしては、今ならこの映画を観るよりも原作である小説を読んだ方がいいような気がする。特に、最近の社会派要素の強い小説しか読んだことのない人は30年近く前に既にこういう骨太な人間ドラマを軸にしたミステリが書かれていたと知るいい機会にはなるだろう。
もったいないなあ、と思うのがラストシーン(精確にはラスト直前)の霧積渓谷での映像はもっと美しく撮って欲しかった。そこそこいい出来ではあるのだが、あれだけ美しく撮れる要素がありながらあの程度の映像では満足できない。カットとしても平凡すぎる。完璧に撮ることができれば邦画史上に残る名シーンになったであろうに。
ちなみにこの映画ではホテル・ニューオータニ(作中ではホテル・ロイヤル)がちょっとした役を担っているのだが、それは原作者である森村誠一が作家になる前、ホテル・ニューオータニで働いていたことが経験となって活かされている。おまけに原作者御自らフロントマンとして出演している。これこそまさしく昔とった杵柄である。
『おシャレ関係』を見ていてテンピュールなる製品を知る。いわゆるひとつのNASA開発製品なわけだが、なんか良さげ。だがしかし予想通り高い。とはいえ枕(ピロー)は買えない値段じゃないし、一回試してみたくはある。この慢性肩凝りをどうにかしたいしな。それと、クッションかなあ。座り詰めの仕事だしね。っていうか会社で買ってくれ。
Mystery Laboratoryが新装開店。凄く見やすくなりましたよー >Matsuoさん。ミステリ系リンクに加えていただいて恐悦至極。頑張りまっす <なにをだ。
今日もバスがなくなるまで残業。こんな夜は味噌煮込みうどん。あったまるねえ。
明日は5時半に起きて出勤どすえ…。
『黒いトランク』鮎川哲也【→bk1へ】読了。レビューは↓。
『月光ゲーム』有栖川有栖【→bk1へ】読み中。
奇しくも(狙ったんだけど)鮎川哲也の言葉で解説が始まる。二つ作品の間には30年以上の時の隔たりがあるが、志同じくして書き上げたデビュー作(*1)を読み比べるとしよう。
先日、惜しまれながら亡くなった「日本本格ミステリの父」、鮎川哲也のデビュー作(*2)。光文社から初版当時の形で復刊されたもの。巻末の解説や付録が充実している。
1949年12月10日。東京・汐留駅に届いた黒いトランクの中から男の腐乱死体が発見された。送り主は近松千鶴夫。しかし、彼もまた遺体で発見される。
近松と学友だった鬼貫警部は、近松の妻・由美子の依頼で、真相究明に乗り出すのだが…。
んはー、やっぱり古く感じてしまうのは仕方がない。まさしく本格なのだが、この作品を「アリバイトリック」とか「アリバイ崩し」って紹介するのは果たしてどうなのか。
鮎川哲也の言う「純粋な論理小説は数学的であるべき」という説は理解できなくもないが、あまりにも人間の感情を無視しすぎというか踏みにじりすぎというか。若さ故っていうのもあるんでしょうけどね。それにしたって平然(嬉々として、に近いかも)と友人を追い詰める鬼貫はまるでサイコパスです。
などと言いつつ、ラストの鬼貫の台詞には我が意を得たり、と思ってしまったり。いや、全面的に賛成はしませんが(と、断っておかねば白い目で見られかねん)
正直、時なお経ても名作、というには少々キツイ。特に新本格以降の読者にはついてこれない人もいるだろう。創元推理文庫版は加筆修正されているそうなので、そちらの方が読みやすさや洗練度というてんではいいのかも。ひとまずは偉大なるミステリ作家の第一歩ととしてとらえるべき作品。
全てはここから始まったのだ。
さすがに朝6時台の電車は空いている。座れたので寝てしまおうかと思ったが、なぜかスッキリした気分だったので本を読む。うーん、やっぱり早寝早起きが人間の正しい生活ということか。
昨日のテンピュールについて早速タレコミ情報が入った。やはり枕はかなり気持ちいいそうである。肩凝りも減ったらしい。これはやっぱ買いか。売り場では実際にベッドに寝転がって使用感を確かめたりできるそうなので、それだけでも試してみる価値はあるかもしれない。それにしてもやはりトレンドな話題には強いですな。
明日からの東京国際フォーラムのイベントに会社が出展している。なぜか私が現場責任者なので、今日から準備のため国際フォーラムへ。展示ホールの中には入ったことがなかったのだがこういう風になっていたのね。
それにしても各ブースを見ていると不況なんてホントかしらん、と思ってしまう。何処のブースも派手である。金が掛かっている。イベントがイベントだけにキレイなオネーチャン達は見当たらないが(明日から本番だからもしかしたら来るのかも)。自分の会社の貧弱な装飾が逆にシンプルでいいかも……とはやはり思えないか。金はあるところにはある。
液晶テレビがこうしたイベントを大きく変えつつある。これまでプロジェクターで行われていたプレゼンテーションが軒並み液晶テレビに変わっていた。これはインテリアとしても見栄えがするなあ。確かに一家に一台欲しいかも。ちなみにプロジェクターを使用しているのは自分とこの会社以外では一社しかありませんでした(笑)。
というわけで明日から三日間、国際フォーラムに軟禁状態です。ネタがあったらイベントレポートでも書くとしましょう。
『月光ゲーム』有栖川有栖【→bk1へ】読み中。
一昨日は日記を書いたところで気分が満足してアップする前に寝てしまった。そして昨日は帰宅して飯食ったらバタンキュー。それくらい疲れてます。折角書いたので一昨日の日記はアップしておこう。たいしたことは全く書いてませんが。
で、なぜ疲れてるかというと↓で書いている通り、東京国際フォーラムで行われているイベントに仕事で出展しているからです。一日の殆ど立ちっぱなしだし、あまりにも(バカという表現では甘すぎる上司達のせいで)ストレス溜まることが多すぎて精神的にも疲労困憊です。ま、愚痴はここまで。
今日はお昼休みにシネ・ラ・セットを下見に。そらたさんの日記でも書いてあったけど『木曜組曲』のポストカード付きの特別鑑賞券を売ってました。買おうかどうか迷ったんだけど、『木曜組曲』だけに木曜は1,000円で観れるらしいので保留にしました。初日に舞台挨拶があるらしい。鈴木京香も富田靖子も西田尚美も原田美枝子も好きな女優さんだから彼女達が来るんなら観たいなあ。原作者として恩田陸が来たりはしないのかなあ。
それにしてもシネ・ラ・セットって…しょぼ。
イベント閉演後、上司(この方は非常にまともで尊敬できる)が鰻を奢ってくれる。それも帝国劇場地下の神田きくかわ。話には聞いたことがあったが足を踏み入れるのは当然初めて。いやー、美味しかった。うな重の中で鰻が折れ曲がってる(それも二尾)のを見た時は思わず涎が出そうになりました。
イベントの愚痴をさんざんしていたのですが、この鰻の美味さにくだらない話題も吹き飛びました。美味しいものを食べる喜びを大切にしようと考え始めた矢先だったので、上司には感謝。
身の丈に合わない贅沢はするもんじゃないけど、ちょっと背伸びして贅沢をしないといつまでたってもそこには行き着けない。少しずつ身の丈を延ばしていきたいと思う。
昨日は有楽町に来たってことで、メールにて教えていただいたREGALの数寄屋橋店に寄ってみた。REGALはものによってはサイズが23のものからあるとお聞きしたので。
銀座のお店って緊張しますねえ。でも店員が気持ちよく応対してくれたのでちょっとリラックス。サイズの話をしたら23で紐のついているもの(23でもちょっと大きいので)を何足か用意してくれた。REGALの靴って「重い」っていうイメージがあったんだけど、最近では軽いものもあるようだ。履き心地はさすがにしっかりとしていて履けば履くほど馴染みます、という。
ちゃんと修繕して履き続ければ10年でも履けますよ、と言われ、私の横でも実際に修理をお願いしに来たお客がいて、なんというかその「行き付けの靴屋」の雰囲気にとても憧れる。値の張るものを大切に使い続けたり、安いものに妥協するのではなく、こだわりのために対価を払ったり、というのが今の私には「大人」なものに映るのである。そして、自分自身もそろそろそういった「大人」な部分を身につけていきたい、と最近良く思う。先日の「食の贅沢」にしてもその一部分。
そんなわけで心はかなり動いているのだが、財布は簡単には口を開いてくれない。それだけのお値段がするのである。とりあえず、この日は試し履きだけさせていただいて、もう少し悩むことにする。
とはいえ、ここ数日のような立ち仕事や、電車の中で1時間近く立ち続けたりする生活を思うに靴の大切さというのは身に沁みる。実際、私の足の指はサイズの合わない靴を履き続けたせいで変に曲がったりしている。これ以上体に無理をかけるのも嫌だし、多少の出費は覚悟してでも自分のために必要な贅沢をするのもアリかなあ。
誰に問い掛けてるんだ。
まあ、REGALで靴を買ったとしても、それ一足をひたすら履いてるわけにもいかないし、もう少し安いものでサイズのあるものも探すことは決定。ヘルプしてくれる方、よろしくお願いします。
『月光ゲーム』有栖川有栖【→bk1へ】読了。レビューは後日。
で、昨日は銀座の旭屋書店で『闇色のソプラノ』北森鴻【→bk1へ】購入。読み中。
実はこれ、以前にハードカバーでいただいたんですが、その当時は北森鴻にはあまり興味がなく積ん読にしていて、興味が出た時にはどこにしまったかわからなくなったのでした。で、文庫化されたので購入。こういう怪しい話は大好きです。面白い。