ごくたま昨日日記 in December, 2001

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トピック

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Dec.1,2001 (Sat)

W杯抽選

 いやー、ドキドキしながら見てました。四年前もこうして見ていたなあ。結果的に日本は緒戦でベルギー、第二戦でロシア、第三戦でチュニジアという「当たり」といっていい組になりました。ここでいう「当たり」とはあくまでも対戦前から勝利を諦めざるを得ない相手はいない、という意味ですけど。抽選が終わっただけなんだけど語りたいことは山程あって、こんな調子であと6ヵ月私の頭の中はどうなってしまうのだろう。サッカーバカには注意しましょう。ご贔屓であるイングランド、ドイツ、ナイジェリアはいずれも日本が舞台。これで韓国行きはなくなったな。韓国はまだチケットが余っているということだったので密かに期待はしていたんだが。その韓国はグループリーグでポルトガルという強敵と対戦。ノ・ジュンユンは「楽しみですね」と言っていたけど現役の代表選手は正直キッツイなと思っていることでしょう。その他の対戦国がアメリカとポーランドというのも微妙。特にアメリカはテロの影響もあるからやりにくい相手でしょう。ポーランドも欧州予選を見る限りでは油断できる相手でもないし。まあ、とにかく日本と韓国には開催国は決勝リーグに進出という絶対義務があるわけでお互い頑張って欲しい。両国ともフランス大会よりは恵まれた抽選結果だし。

 しかし個人的には日本のことよりもグループリーグF組のことで頭がいっぱいだ。アルゼンチン、ナイジェリア、イングランド、スウェーデンというまさに「死のグループ」。ひたすらこのグループだけを追っかけたいくらいの凄まじい組である。それにしてもイングランドとナイジェリアが同じ組とは…ファンとしては辛いなあ。アルゼンチンの強さは半端じゃないし。過去の実績だけとってもみてもアルゼンチンが優勝2回、イングランドは優勝1回、スウェーデンは決勝進出の経験があり、'94年のアメリカ大会は3位。ナイジェリアはW杯ではベスト16が最高だけどアトランタオリンピックでの優勝と、とにかくこのグループからは目が離せません。
 その反面、フランス、スペイン、ブラジル、イタリアはかなり「堅い」グループに入りましたな。フランスはこりゃあひょっとすると二連覇もあるでよ。

 まだまだ語りたいところですが、ここの読者層とはあまりにも相容れないので自粛。別コンテンツでも作ろうかな(誰が読むねん)。

涅槃の読書模様

 『カリフォルニアの炎』ドン・ウィンズロウ【→bk1へ】読了。レビューは後日(こればっか)。

Dec.3,2001 (Mon)

飽和状態

 頭の中が飽和状態、と歌ったのは誰だったっけかなあ。まさしくその言葉通りの状態である。8割方はサッカー関連、残りの2割は台本関連。その飽和状態を脱するにはそれらの情報を消化するしかないのだが、これがまた面倒っていうかなんていうか…要は筆無精(誤用)なんですな。考えてばかりいないで書けよ!、と自分に喝を入れてみる。入れただけ。書いてない。ああ…。

 やっぱり家に篭ってばかりだと色んな意味で消化不良になるなあ。そろそろ本気で考えないと。いや、考えるな、行動しろ。

 サッカーの話題は引き続き自粛。

涅槃の読書模様

 『「ABC」殺人事件』有栖川有栖、恩田陸、加納朋子、貫井徳郎、法月綸太郎【→bk1へ】読了。
 レビューは後日ですが簡単に感想を。正直いってイマイチというのが率直な感想。「本格」の復権は難しそうだなあ、なんてこれ一冊読んだだけで言うべきことでないのはわかってるんだけど。或る意味で当代きってのミステリ作家五人の作品だし、アガサ・クリスティの原本に対するオマージュという意味でもやっぱり期待して読んだわけだ。しかし正直ハズレだったなあ。それぞれの色は出ていたと思いますけどね。ミステリ(「本格」)としてはかなり弱いといわざるを得ないんではないでしょうか。ミステリ的に一番なのは貫井氏の作品なんだけど、総合的な構成がハッキリいって失敗してる。法月氏の作品はちょっと致命的とも思える点がどうしても気になる。恩田陸はやっぱり恩田陸らしい作品なんだけど、正直これを「ABC殺人事件」というのは無理がありすぎる気がするんだけどなあ。加納朋子はまあ「アリス」シリーズということで、あのシリーズの一作品と取れば不満はないです(あるけど)。有栖川有栖はまさに真っ向から「ABC殺人事件」と向き合った作品で解決まではやはり一番興に乗った。解決もまあ許せる範囲ではあるけど、もう一つ欲しかったなあ。

 この名作をモチーフにしたシリーズ続くのかもしれませんが(*1)、やはり名作に対する挑戦というのは簡単ではないと思われるのでこうした読者の不満に負けずに頑張っていただきたい。そのうちに一作品でも「おお!」と思うものが出てくればめっけもん、みたいな。色んな意味でミステリファンを楽しませてくれてることは間違いないし、期待の上での不満なのです。


*1: 既に「Yの悲劇」は刊行されている

Dec.4,2001 (Tue)

テレビ

 テレビっていうのはかなりの部分で視聴率に影響を受けているわけで、それゆえにテレビで放送されるものに関しては高確率で視聴者に受けるものでなくてはならないという自然発生的な制限があるわけです。だからジャーナリズムとして見た場合でもそこには様々なフィルターがかかって(かけて)いるわけですな。最大公約数が喜ぶフィルター。その点がまず第一にどのテレビ局も似たような番組作りをしてしまうというところに出ているのではないかと。要するに自分達の色を出す前に出してもらいたい色を意識してしまうという状態。そしてそのフィルターを選ぶためにはどうしてもマーケティングという工程が必要で、その工程の分だけ情報が遅れる。

 この現象はメディアとして大衆化(*1)されればされるほどに顕著になります。したがって『ハリー・ポッターと賢者の石』や『冷静と情熱のあいだ』が本業界(読書世界)で言えば一年以上前からの話題だったのに対し、それに映画が飛びつき、そしてさらにテレビが続いたわけです。本→映画→テレビという流れの分だけ情報が遅れることは当然ですが、そこにはそれが最大公約数にウケるのかというマーケティングとウケさせるだけのモノに仕立て上げる時間がかかるわけです。

 なんかよくわかりませんがこんなところかな→ひろえさん

ジンジャー(いやセグウェイ?)

 確かに面白い乗り物だ。欲しいとも思う。しかしパソコンやインターネットを超える発明、というのはどうかしら。ま、いいけど。

 この報道に関してもメディアやテレビ局毎に言ってることが違いすぎ。最高時速に関してはテレビ局は全て違うという徹底ぶり。18キロから32キロってかなりの誤差だよなあ。それでも売価に関しては37万円と一致してるのが不思議だけど。絶対にマイルとキロを間違えてる媒体があるに違いない。

涅槃の読書模様

 一ヶ月前に買ったはずの『サンタクロースのせいにしよう』若竹七海【→bk1へ】が全然見つからない。この部屋ホントに異世界に繋がってるって。


*1: ここでいう大衆化とはそのメディアを選択する人数のことではない

Dec.5,2001 (Wed)

天才脚本家 G2プロデュース

脚本◆後藤ひろひと、演出◆G2、新宿全労済スペースゼロ
出演◆三上市朗(劇団M.O.P.)/腹筋善之介/久保田浩(遊気舎)/山内圭哉(Piper)/神野美紀(劇団離風霊船)/コング桑田(リリパット・アーミー)/野田晋市(リリパット・アーミー)/高倉良文(MOTHER)/河居綾子(MOTHER)/関秀人(立身出世劇場)/川下大洋(Piper)/後藤ひろひと(Piper)

 脱帽。とにかく面白かった。気に入った芝居っていうのは脚本がいいとか演出がいいとか役者がいいとかとかく限定条件でクローズアップされがちなんですが、これはもう全てが良かった。あまりにも面白すぎてアンケートにも陳腐な感想しか書けなかったよ。超ド級のオススメ。っていっても今からじゃ観に行けないと思いますけど。おまけに時事ネタや旬の話題がてんこもりなので今観るのが最高の作品です。もし映画にしたとしても超一級の作品になったであろう、それくらいの逸品。あ、まだ関西ではチケット買えるかも知れない様子。絶対に損はしないと誓いますから今からでも遅くはない、関西の人は観に行くべし!
 個人的にはこれまで観た芝居の中でトップクラス。『飛龍伝』や『熱海殺人事件』(ともに、つかこうへい作)と並び称される作品だな。あまりに面白かったのでこの貧乏な時だというのにパンフレットもビデオも買っちゃったよ。かなり悩みましたけど。ビデオは一月中旬に送られてくるそうだ。観たい方はお早目に。だがしかしパンフレット1200円はいくらなんでも高いだろ。

 この芝居、音響やパンフレット、脚本の一部(テーマ的な部分)でかなり『ソー○フィッ○ュ』を意識しています。英訳してジョエル・シルバーに売り込めば買ってくれそうな気がするけどなあ。『○ード○ィ○シ○』よりも確実に面白いし。あー、ホントに観れてよかった。

 ここのところ毎週のように芝居観てるなあその割に感想書いてないけど。見終わった後、劇団連中に新しい脚本の粗書きを見せるはずだったんだが、見せなくて良かった。あんな芝居観た後じゃどんな粗書き見せてもつまらないと思われるよ。

新宿湘南ライン

 で、新宿に出るってんで12月1日から新しく出来た新宿湘南ラインに乗って新宿まで出てみようと思いつく。この路線、神奈川県民にとってはまさに僥倖のような列車。通常の横須賀線の路線に品川から渋谷、新宿を通って池袋まで行く列車を新設したものなのだ。これがどれくらい便利かは神奈川県民にしかわからないだろうなあ。ま、とにかくそういうわけでこれに乗ってみようと少し早目に駅に向かったわけだ。新宿までの時間は短縮されるんだけど一時間に1、2本しか出てないらしいので余裕を持ってね。で、5時くらいに駅に着いてみて時刻表を眺めたら、なんと3時55分が最終…使えねえよ。

涅槃の読書模様

 結局『サンタクロースのせいにしよう』若竹七海【→bk1へ】が見つからないので『頭蓋骨のマントラ(上)』エリオット・バティスン【→bk1へ】を持って出る。チベット国境を舞台にしたミステリなんだけど、登場人物の名前が憶えにくい。シャンとかシャオとかフェンとかタンとか。それにしてもこの作品の舞台の時代っていつだ。現在なのだとしたらかなりのカルチャーショックだ。

Dec.6,2001 (Thu)

芝居という文化・その1

 昨日、『天才脚本家』を観て大興奮してああいうオススメ評を書いた。で、今日になって色々な演劇感想ページをまわってみる。半ば予想はしていたことだが、演劇を熱心に見る人ほど評価が低い。その評価の低さの要因は千差万別だが、概ね「新しさがない」とか「予定調和的である」とか「ストーリー重視で役者を活かしきれてない」というものが多いように思う。
 そう、これが今の日本の演劇界をとりまく現状だ。単純に誰もが楽しめるものは「面白くない」「物足りない」と評価される。この現状が続く限り日本に芝居文化(演劇文化)は決して根づかないだろう。いつまでも経っても演劇は一部の文化人気取りエセ特権階級の嗜好品としてしか生き残ってはいけない。より多くの人達を楽しませる大衆文化としての演劇の発展というのはまず見込めないのではないだろうか。

 以下は当たり前のことを当たり前に述べているだけなので、面白味の欠片もない内容となっています。筆者個人の憤懣を消化するために記述したものです。

 演劇と映画と比べてみればその差違がハッキリとわかる。確かに映画は芸術作品としての形骸を持ってはいるが、基本的には娯楽のための文化である。より多くの人が単純に楽しめるためのモノとして作られてきた土台があるからこそ発展した。勿論、中には非常に芸術的価値が高いものや、哲学的なものを訴えるもの、テーマを全面に押し出したもの、前衛的なもの、様々な映画がある。しかしそうした映画を提供できるだけの環境を作っているのは間違いなく「ハリウッド映画」と半ば揶揄の対象ともなり兼ねない言葉で説明される一連の大衆娯楽作品だ。誤解しないで欲しいのはそこに「目新しさ」がないと言っているわけでもそれらの作品が全て「予定調和的」と言っているわけではない。しかし、大衆娯楽作品というのは基本としてより多くの人達を楽しませるために必要以上に目新しさを求め前衛的になりすぎたり、観客の欲求を無視するほどに予定調和的でありすぎるということもない。大事なのは「楽しませる」ということ。それは失礼を承知で言えば「一部の観客に優越感を持たせる」ことではない。誰もが楽しめる作品、自分以外も楽しめる作品は大した物ではない、そう考える一部の過信した人間たちを喜ばせるものではないのだ。楽しめる人が少なければそれは商業的に成功しない。それはつまり文化として狭義なものにしかなり得ない。映画という文化のなんでもあり、ごった煮環境はまず、大衆娯楽映画があってこそ成り立つ文化なのである。そしてそうやって映画という文化は成功してきた。

 『ハリー・ポッター』は前衛的で目新しいか?。予定調和的ではないのか?。否、ハッキリ言えば『ハリー・ポッター』ほど昔ながらの物語はないし、予定調和的なストーリーはないだろう。しかし、それが面白くない、ということではない。それは『ハリー・ポッター』が本で、映画で巻き起こしたこの一大旋風を見れば明らかなことである。

 これは映画や演劇だけでなく全ての芸術的文化に言えることである。本(小説、詩、短歌、俳句)であろうと音楽であろうと。しかしなぜ、演劇は、芝居はこうした日陰の存在になっていってしまっただろうか。
 論文ではないので詳細に述べることは避けるが、私が思うに演劇は必要以上に「テーマ」とか「前衛」といった要件を求められているからだ。これには1970年代のアングラ演劇が大きな影響を与えている。それまでの大衆演劇とは異なるアングラという波。確かにアングラは演劇界に大きな影響を与え、演劇に貢献した部分も大きい。しかし同時にアングラは「演劇は前衛的で難解なテーマを内包し、時に理解しがたい」というイメージもまた演劇に背負わせる結果になった。寺山修司の作品を本当に皆が理解できているのか?。あの世界を楽しめる人がどれだけいるのか。しかし、それがまた一部の人間達の優越感をくすぐったこともまた事実なのである。「他人は理解できないかもしれないが自分にはわかる」こうした優越感。これは演劇というパフォーマンスの特性も手伝っている。演劇は映画や本と違い、非常に小さな限定空間の文化だ。同じ物を皆が同じように観れるわけではない。ある一定の人数だけが同じ空間を共有できる、そういう特性を持っている。このことがまた演劇に対する他者への優越性を促進する材料になる。「ここにいる自分達だけが」という限定性、ある種の選民意識がそこに宿る、そう言っても過言でないのかもしれない。(続く)

好調で不安

 なんだか台本の執筆が今までになかったくらいに順調に進んでいる。それはそれで嬉しいのだが、なんだか落とし穴が待っているようで恐い気もする。被害妄想狂の本領発揮ですな。

Dec.7,2001 (Fri)

ミステリランキングの話

 ぶこうさん市川さんの論議から各所へ派生しているミステリランキングについての話ですが、ミステリ的にも新刊的にも薄い私の場合は皆様の意見を興味深く拝聴するのみ。その中でGAKUくんの意見には大いに頷くところあり。確かに編集部も大変だとは思うが、同じ順位にランクされた作品でもそれが100人の人が読んで10人が投票したのか、10人の人が読んで10人が投票したのとでは大きな違いがあると思う。原書房(と『このミス』編集部)の方々には是非頑張って実現していただきたいものだ。

芝居という文化・その2

 勢いに任せて物事を論じるのは良くないと書いてしまってから気づくのは何度目だろうか。誤解して欲しくないのはここで述べているのは一部の演劇観覧者や批評家、そして勿論演劇関係者に対する批判ではない。こうした現状に陥った演劇界に対する憂いを吐露しているだけである。そうした現状に対する提言にすらなっていないのは私の筆力不足であり、思い付きで書き始めたが故の結果である。

 (続き)こうした潮流が演劇界に何をもたらしたかというと、インテリ気質への傾倒とマニア化である。しかしこうした傾向を単純に嘆くわけにもいかない。なぜならば現在の演劇界を支えているのはこれらの条件、特に後者のマニア化だからである。一部のマニアが劇団を支え、役者を支え、ひいては演劇界を支えているといっても過言ではない。逆に言えば、マニアを取り込めない限り劇団として役者として食いつないでいくことは不可能に近いのだ。

 こうした流れは現状の演劇界を辛うじて救ってはいるものの、文化としてメジャーになるための壁にもなっている。すなわち万人受けするようなものはマニアの支持を得にくいからだ。そしてメジャーになればなるほどインテリ気質からは評価が得られなくなっていく。その一つの例として「演劇集団キャラメルボックス」の存在が挙げられる。この劇団はまず間違いなく現在ナンバー1の観客動員数と商業的成功を収めた劇団と言ってよい。なにせMX-TVでは劇団の番組まで持っているほどだ。私が高校演劇に関わっていた10年程前などは高校が10項あれば1校はかならずこの劇団の芝居をしていたし、高校生の大半がこの劇団のファンだと答えていた。この現象の要因は「演劇集団キャラメルボックス」の大衆性にあったことは間違いない。彼らの芝居に芸術性がないといっているわけではない、しかし間違いなく彼らの芝居はエンタテインメントを重視したものであり、高校生に広く認められたことからもわかるように、決して一部の人間が楽しめるような小難しいものではなかった。そして辣腕プロデューサーの力もあり、彼らは現在の地位を築いた。
 だが、翻って演劇界での彼らの評判は必ずしも高いとは言えない。それはキャラメルボックスの客層を見ても一目瞭然だったりする。熱心な演劇ファンとキャラメルボックスのファン層は必ずしも一致しない。要するに演劇界で一番メジャーなものを演劇界を支えるコアな演劇ファンは求めていないということだ。あくまでもこうした傾向が強い、というだけで「私はキャラメルボックスも他の芝居も良く観る」という方はいらっしゃる。しかし、そうした方々もどこかでキャラメルボックスは演劇界の中でどこか浮いている、という印象を持ったことがあるのではないだろうか。少なくとも私は常々そう思っている。そして私自身必ずしもキャラメルボックスのファンではないながらも彼らが演劇に対する間口を大きく広げたことに大いに感謝、尊敬している。

 三谷幸喜の存在も演劇界には大きい。彼は「東京サンシャインボーイズ」という劇団を率いて活動していたわけだが、彼が世の中に知られるようになったのは当然サンシャインボーイズとしてではなくテレビドラマの脚本を書くようになったからだ。「やっぱり猫が好き」に始まる一連の人気テレビドラマが彼の人気に、ひいてはサンシャインボーイズの人気に火をつけた。しかしこれまた皮肉なことに三谷やサンシャインボーイズの役者達がテレビに進出して認められるようになった時、サンシャインボーイズは活動停止と相成った。これは演劇界とテレビという文化の関係を語る上で大きな要因だと思う。これと良く似た現象が、溯れば「夢の遊民舎」の解散、今年の「第三舞台」の活動停止などに当たるのではないだろうか。必ずしも確信はありませんが。また最近の三谷幸喜の芝居は正直かなり高価なチケット代にもかかわらず、大盛況でチケットを獲得するのも容易ではない。これは古くからのファン層に加えて、テレビで三谷の存在を知った人達が大勢詰め掛けているからに相違ない。そういう意味でも三谷幸喜は演劇界の間口を大きく広げた一人であり、現在の演劇界で特殊な位置にいる人間の一人である(続く)。

 ここまで書いてきてまとまらないことがほぼ確認されました(オイ)。というわけなんであと一回だけ言いたいことを語って無理矢理まとめとさせていただきます。やっぱりまともなことを書こうとしたらしっかり考えてから書くべきだな。

佐々木蔵ノ介

 昨晩深夜の「裏まるカフェ(*1)」に佐々木蔵ノ介が出演していた。「惑星ピスタチオ」を脱退してからおよそ二年ちょい。あっという間に人気役者になったなあ、と嬉しくなる。NHKの朝連ドラマ『オードリー』に始まって、現在放映中のドラマ『ハンドク!!!』(TBS)、『本家のヨメ』(日テレ)でレギュラー、先日NHKで放映された東野圭吾原作のドラマ『悪意』ではなんと二番手として出演していた。ホントに売れっ子である。

 彼を初めて見たのは、「惑星ピスタチオ」が関西から東京に進出し、ブレイクするきっかけになった芝居『破壊ランナー』(シアタートップス)でだった。この作品を観て私は完全に「惑星ピスタチオ」のファンになり、それこそマニア化した。この劇団には素晴らしい男優が四人おり、そのうちの一人が佐々木蔵ノ介だった(ちなみに私は宇田尚純という役者が好きだった)。あれから随分経ち、彼が脱退する時は悲しい思いもしたが、こうして活躍している姿を見れるのは本当に嬉しい。残念ながら「惑星ピスタチオ」自体も解散してしまったが、彼が番組内で自分のルーツとして劇団のことをわざわざ取り上げて語っていたのは嬉しかった。出来れば久々にパワーマイムもやって欲しかったけど(笑)。

 一度だけ、役者でない素の彼にあったことがある。惑星ピスタチオの公演で女性だけの舞台があった。その公演を観に行った時、私は遅刻してしまったのだが、そこでチケットをもぎり、客席まで案内してくれたのが彼だった。素の彼はファンの私ですら一瞬佐々木蔵ノ介だとわからないほどフツーの青年で、舞台の時よりも10センチ以上は身長が低く見えた。それが深く印象に残っている。昨夜の番組でも芝居やドラマで見せる彼とは違い、シャイでオーラのない(いい意味で)いい味が出ていた。まあ、まだテレビに進出して間もないわけだから当然なのかもしれんが。これからも頑張って活躍して欲しい、と単純に願う。

 そうか、佐々木蔵ノ介ってそういう意味(*2)でネーミングされたんだ。初めて知った。


*1: 「はなまるカフェ」の深夜版
*2: 実家が造り酒屋だそうだ

Dec.8,2001 (Sat)

K-1 WORLD CHANPIONSHIP 2001[battle]

 今年の優勝者は既に抽選会の時に決っていたのかもしれない。誰もが対戦を避けようとしたジェロム・レ・バンナに自ら対戦を申し出た。あの勇気が全てでしょ。緒戦のバンナとの徹底した打ち合い、サイコーでしたね。バンナがフィリョを倒したあの闘いが「1000年に一度のKO」だったとしたら、あの打ち合いは「1000年に一度の殴り合い」だった。準決勝、決勝もハートで勝っていた(この表現はあまり好きではないのだが)のは間違いなく彼だった。チャンピオンの称号は彼にこそ相応しい、おめでとうマーク・ハント

 ホーストの骨折は不運以外のなにものでもなかったです。しかし、まあ実力で敗れたわけじゃなし、また来年頑張ってくれい。三連覇はなくなったけど史上初の四度優勝は狙えるし。

 対してアーツはそろそろ限界なのか、正直見るべきところはなかったですな。あの程度のフィリョを崩せないようじゃなあ。フィリョもクジ運だけで決勝までいったような感じ。イグナショフは将来が楽しみです。あのヒザは驚異だよ。それにしてもバンナ…また口だけに終わってしまったか。ま、でも予告通り一番面白い試合はしたけどね。

Jリーグ チャンピオンシップ 2001・第二戦[football]

 前半は両者ともに意識が高すぎてファールばかり、それでもぶつかり合いは楽しめた。そして後半、得点こそ入らなかったものの鹿島の本山投入後試合は一挙にスピードアップ。元々がレベルの高い両チームだけにギリギリの闘いを存分に楽しませてもらいました。それにしても鹿島の選手はシューと外しすぎ。まあ、ヴァンズワムの好守もあったけどね。磐田は中山を完全に抑えられたのが敗因じゃないでしょうか。結果的には延長前半、小笠原のFK一発で決ってしまったわけだけれども試合展開的には鹿島が勝つのが正しかったかな。いやいや第一戦に引き続き楽しませてもらいました。

 それにしても鹿島と磐田の2チームが完全に頭一つ抜けているJリーグ。他のチームも頑張ってくれなきゃつまらないことになっちゃうぞ。頑張れ浦和レッズ!(身びいきかよ)。

芝居という文化・その3

 無理矢理だがまとめてみる。

 (続き)前述したように日本の演劇界ではなぜかメジャー路線、エンタテイメント路線はなかなか認められないという現実がある。またそうした現状から演劇で食っていくことが困難になり、脚本家として役者としてメジャーな存在になった人達は少しずつ演劇から離れてテレビや映画に流れていってしまう。ちょっと待て、テレビに進出してからも演劇を続けている役者もいるではないか、と反論する向きもあるだろうが、残念ながら彼らは確かに演劇という舞台には乗っているが以前の彼らとは違う。テレビに進出していない他の役者とは一線を画す存在になってしまう。いい例が演劇集団キャラメルボックス出身の上川隆也である。彼自身も述べているように、様々な理由から彼はキャラメルボックスの舞台に立つ機会は殆ど無くなってしまった。しかし、舞台には立ちたい、そうしたジレンマの中で舞台を選ばなくてはならないのだ。様々な理由、と濁しているのは私自身が裏事情を詳しくは知らないながらも相当に泥臭い事情が隠されていそうだと思うからである。

 んで、結果として何が言いたいのかというと、演劇をもっとメジャーにしたい、大勢の人間が文化として認められるようなものにしたい、ということである。お金を払って芝居を見たことがある、という人があまりに少ない現在の状況をなんとかしたい、ということだ。そのためには演劇自体がもっと間口を広げていかねばならない。一部のマニアやインテリ層だけが楽しめるようなものにならず、より多くの人達が楽しめるような芝居がもっとあっていいじゃないか。そして演劇を愛する人達(観る側も演る側も)は、決して自分達を特別な存在と感じず、面白いものは面白い、と言える環境にしよう。テーマがないとか前衛的でないとかそういうことではなく、楽しめるものなのかそうでないのか、そこをもっと追及しよう。プラスαは確かにあるにこしたことはないが、それがなくても面白いものは沢山あるはずだ。そうは思いませんかね。

 先日、ある国立劇場が政府からの助成金を打ち切られる、という報道を見た。悲しかったのはそのことに対し、井上ひさしが「政府からの援助がなければ公演が打てない」と記者会見で述べていたことだ。援助がなければ(それも政府の)できないような演劇なんて…。演劇界はそろそろ自分達の置かれている状況を足元から見詰め直す時なのではないだろうか。私は少なくともそう思うものである。

 うーん、やっぱりまとまってないなあ。ま、いいか。以上で終わります。

 (注)私個人の中では「演劇」というのは芸術性やテーマ性を持っている(決して誉めているわけではない)もの、「芝居」というのは大衆に向けた(蔑んでいるわけではない)もの、と区別している。私個人は「一芝居人」でありたい、と願っている。

涅槃の読書録

 ここのところの日記が長い上に、少ない脳味噌を酷使するもので、更に台本の執筆に追われている。で、Jリーグ見たり、K-1見たり。当然ながら読書は全然進んでません。このうえ「機動戦士ガンダム・連邦VSジオン」なんて買ったらますます読書の時間がなくなりそうだなあ。台本あがるまでゲームは我慢するか…。

Dec.10,2001 (Mon)

ケーキオフ

 昨日の日曜日はわっちょさん主催のケーキオフ。おされな元町付近で山の手マダムを気取っておハイソにケーキでも食してみようかしらオホホって感じ(*1)

 2時に石川町に集合だったので1時半に車で家を出る。いやあ、いいねえ地元でのオフは近くて。しかし途中たっきーが遅刻するとのことで関内まで迎えに行く。ついでに私も遅刻じゃ。んで石川町に舞い戻って車を停め、皆に合流するために急ぎ足で中華街へ。しかし20分以上前に集合して移動しているはずのわっちょさん達が目の前に見える。とりあえず追いついてみる。後で知ったのだがどうやら彩さんが集合場所の石川町と桜木町を勘違いしていたために結局待っていたらしい。お久しぶりのみずたまさん、お初にお目にかかります高橋さん(ぺこり)。なんにせよささっと合流できて良かった。

 中華街を散策。チャイハネに立ち寄ったり、小物を覗いたり、一年半振りくらいに中華街には行ったが、微妙に変化しているなあ。萬泉酒家って昔は肉まんとあんまんしか売ってなかったような気がするんだが種類が軒並み増えてた。これも江戸清の影響か。江戸清には大勢の人が群がっていた。おそらくは地元民はあまりいないに違いない。中華街の肉まんも10年前はもっとデカかった気がする。確か値段も250円くらいだったような。これも時代の流れか。

 中華街散策後、イタリア山公園というところへ。恥ずかしながらここの存在は知らなかった。昔からあったっけ?。当然初めて足を踏み入れたわけだが、ここは凄くいい場所ですね。なんといっても景色がいい。横浜の主要なオブジェが一望できます。5時閉園(*2)なので惜しくも夜景は楽しめないが、それでもこの景色は貴重です。さすがに昨日は風が強くて寒かったけどね。
 この公園には二つの建物がある。一つは旧外交官邸。もう一つはブラフ18番館という元はイタリア人が住んでいたらしき洋館。両者ともいかにも「横浜」といった雰囲気を楽しませてくれる建物で、ツアー客らしき人達までいました。ま、この辺は一度見てみると楽しいかも、という感じ。ちなみにブラフ18番館の本棚には古そうな想定の書物が何冊かあり、一冊はアレクサンドル・デュマの本だった。本物だったら結構な値がしそう。景色、建物、総じてオススメ。この辺りにある他の公園よりは遥かに雰囲気はいいです。

 閉園の5時直前に公園を後にし、いよいよメインとなるケーキ屋さんへ。当初は汐汲坂ガーデンという元町に程近いケーキ屋に行く予定だったのが、前日にたっきーと御大が下見がてら行ってきて、その報告からもう一軒の候補であるブラフMOTOYAというお店にいくことにする。満席だったので少々待つことになったが(6人だったし)、10分ほどで席に着く事が出来た。
 で、本題のケーキ。う、美味い。私はブルーベリーのヨーグルトクリームケーキをいただいたのだが、クリームのマイルドな風味がなんとも言えなかった。ヨーグルトの酸味と生クリームの甘みがほどよく整っていて、これならあと2つは食えるね(同じものを食べたみずたまさんも同意)。他の方々の頼んだケーキもそれぞれ一口づつ食べさせていただいたが、それぞれ美味。しあわせ〜って感じである。今度行った時はいちごのムースタルトを食ってやる。そういえばわっちょさんがウケ狙いのために注文したブネッなるイタリア風プリン(*3)は一口もいただけなかったなあ。
 ここで今回のオフ最大のネタがあったのだが、その内容はわっちょさんに譲ろう。あっちはネタ系日記だからね。

 美味しいケーキと紅茶、お喋りを楽しんだ後、寒風吹きすさぶ中、元町まで移動。皆さん、まともに食事を取るほどお腹が空いていないということで(私は全然食べられたのだが)、結局予約をキャンセルした汐汲坂ガーデンに足を運ぶ。二時間ほど軽い食事とお喋りを楽しむ。みずたまさんがいたこともあって、子供に関する話題が多かったかな。9時半過ぎにお開き。小人数でいつもと一風違うオフ会でした。美味いものは人を幸せにするね。あ、元町のアンミラが無くなってたのはちょっとビックリだった。

 いつも思うのだけれど、我々の様な集まりに初めて参加した人(今回は高橋さん)は、戸惑いとかあるんだろうなあ。そういう意味もあって今回は多少セーブしたつもり。何を、って、寒さを。

涅槃の読書録をnDiary

 日記をnDiary化してみてやっぱり楽になったので、この際だから書評もnDiaryで作成してみようかと考える。一度、nDiary化しちゃえばあとは毎回文章を書くだけになるのでそうしたほうが少しはまともに書評を書くようになるかも、という期待。ま、青木みやさんのところを見て、思いついたんだけど。色々やってみて(かなりカスタマイズの方法忘れてるよ)、困ったというか、こうしたいけど出来ない、っていうのが拡張子の変更。拡張子diaryのままだと日記と混乱しそうだったので拡張子bookとかにしてみたんだけど、そうするとうまくいかない。どうしたらいいのかしら。

 そんなことやってないでさっさと書評書け、って声が聞こえなくもない。

チュッ鍋パーティ

蔓葉さんの替え歌(『チュッ鍋パーティ』)に爆笑。特に、

積極的にあく抜き 鳥団子に蓮根入れて!

のくだりは最高。


*1: 激しく違う
*2: 夏季は6時
*3: わっちょさんのコメントによるとティラミスそのもの

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shaka / shaka@diana.dti.ne.jp