ごくたま昨日日記 in June, 2003

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Jun.1,2003 (Sun)

daylife

休日で予定もないのに私にしちゃあ珍しく午前中に起き出してしまった。とはいえ、することもないのでPCを起動させてネット巡回していると、ICQでmatsuoさんに「shakaさん、暇ですか?」と痛いところを衝かれ、「そうさそうさ、どうせ俺は30過ぎて休日に一緒に出かけてくれる彼女もいない独り者さ」といじけていたら、matsuoさんから「映画見に行きませんか」と誘われたので、暇なもの同士、映画を見に行くことになりました。

で、映画館に着いてみると物凄い人込み。「おお、日本映画は斜陽でも映画産業は盛り上がってるね」と思っていたら、実は映画の日だった、というオチでした。二人とも気づいてなかったよ。
おかげで、見ようと思っていた回のチケットは完売で、その次の回を見ることに。男二人、時間の潰し方も知らず、3時間もダラダラと過ごしていました。

男二人でソフトクリームを頬張りながら、やっとこさ入場。見た映画は『シカゴ』。感想は明日にでも。前から三列目だったので、ちょっとばかし疲れました。

『チャーリーズエンジェル・フルスロットル』の予告編で、トラックがダムに落ちるシーンを見て「すげえ、ここまで(アホなこと)やるか」と思ってしまった。思わず見たくなってしまったよ。しかも、あれってデミ・ムーアだよね?。

涅槃の読書模様

『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午読了。レビューは後日。

5月の読了本

計8冊。リンク先はレビューです。

戯れに、5月の購入マンガと読了マンガの一覧も作ってみた。
20タイトル、計41冊。2万円以上買ってるよ……。来月は自粛。

Jun.2,2003 (Mon)

daylife

やりきれない情報を知ると共に、自分が如何に人間関係を大切にしてこなかったか思い知らされる。自分にとって「人」が一番の財産だとかほざいておいてこのザマだ。聞いて呆れる。

いつでも会おうと思えば会える、なんてのは幻想だ。お前の勝手な思い込みだ。失ってから「大切だったのに」なんて嘆くのは愚の骨頂だ。大切にできるときに大切にしなくてなんになる。

自分の人生を省みることにする。

『シカゴ』(2002 アメリカ)[movie]

監督:ロブ・マーシャル、出演:レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、リチャード・ギア

“ミュージカルの神様”ボブ・フォッシーの最高傑作と名高いミュージカル『シカゴ』を、“現代ブロードウェイの寵児”ロブ・マーシャルが完全映画化。ちなみにロブ・マーシャルはこれが映画初監督作品。

いやはやテンションの高い映画だった。どんな映画にも緩急はあるものだが、この映画は「緩」が殆どなく「急」ばかり。小気味よい場面転換、ノリノリの音楽、圧倒的なダンス。2時間があっという間に過ぎていった。
これならばアカデミー賞6部門もわからないではない。
ミュージカル映画は数あれど、実際のミュージカルと、映画の組み合わせをここまで見事に撮りきった映画は初めてではなかろうか。

しかし、そのミュージカル部分が素晴らしすぎるがゆえに、「これはミュージカルで観たかったなあ」と思ってしまうのも人情である。だって、それくらい振り付けや音楽が素晴らしいんだもん。冒頭の『オール・ザット・ジャズ』でレニー・ゼルウィガーの顔が被った瞬間に「変な演出すんな!きっちり見せてくれ!」と思ったのは私だけではあるまい。
それをともかくとすれば、この冒頭場面はミュージカル的にはいきなりの白眉である。これだけでも「ご馳走様」と言いたくなるほどだ。あとは「6人の女囚」。これはホント、映画でここまで凄いと思えるんだからミュージカルで見たら、たまらなかっただろうなあ。

ソロでの踊りは役者の力量に頼ってしまう部分が多い。その点でロブ・マーシャルは一生懸命頑張ってはいるのだが、満足できるのはキャサリン・ゼタ・ジョーンズくらい。彼女の歌と踊りは必見。
それに比べるとレニー・ゼルウィガーの方は芝居はいいが、歌と踊りは正直ぱっとしない。特に歌。まあ、最初のゼタ・ジョーンズとの摩り替えの声がまるで「ニワトリが鳴いているような声」だったので、それがどうしても後を引く。ゼルウィガーのパートで唯一満足できるのが「腹話術」のシーンというのがなんとも皮肉。あくまでも比較の問題ではあるが。

リチャード・ギアにいたっては歌とダンスはこっちがヒヤヒヤしてしまうようなシロモノなのだが、それを補って余りある「やり手の弁護士」ぶりであった。裁判のシーンは独壇場。陪審員に向かって「観客の皆様!」って、オイ。さすがに「キリストがこの町にいたら、俺が死刑にはさせなかった」と言い張るだけのことはある。

この映画が内包している「現実の虚と実」に関しては、まあ語ると長くなりそうなので割愛するが。そういったテーマをわかる人にはわかるように、わからない人でも楽しめるように作られているのは、さすがに「フォッシーの最高傑作」と言われるだけのことはある。真のエンタテイメントは、掘り返そうと思えばどれだけでも掘り返せるものなのだよ。

とにかく出演者全員がエネルギッシュで脂っこい。絶対にアメリカ人にしか出せない「味」。ラテンの「濃さ」とはまた一味違う、Tボーンステーキのような「脂っこさ」が心ゆくまで楽しめます。ただし、観終わった後の胃もたれに注意。

面白かったことは間違いないのだが、あまり評価が高くないのは単純に好みの問題で、レニー・ゼルウィガーがそこまで“キュート”には感じられなかったのと、キャサリン・ゼタ・ジョーンズの肉付きがあまりにも良すぎて色気以上のものを感じてしまったからかなあ。マリリン・モンローとジェーン・ラッセルとまでは言わないが、せめてもう少しでも好みの美女だったらいうことなしなんですが。

涅槃の読書模様

『覇者(上)』ポール・リンゼイ【→bk1へ】読み中。

購入物。

『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午(本格ミステリマスターズ・文藝春秋)

個人的には『ブードゥー・チャイルド』以来の2冊目になる歌野晶午の作品。

やっぱりね、作品を読む前に先入観を持ってはイカンのよ。というわけなので、未読の方は読まないほうが吉。ネタバレは(露骨には)しませんが。

何でそう思ったかと言うと、期待値が大き過ぎたってことなんだろうな。周りの並み居るミステリ愛好者達が「コリャ凄い!」と叫んでるのを聞いたら期待もするでしょ、そりゃ。おまけに、帯の煽りにもあるように、どうやら、この作品には「なんらかの仕掛け」があって、それが大きなサプライズに結びついていると想像したら……。

いや、ビックリしましたよ。やられた、とも思いましたし、その力技に感心もしました。だけど、思ったほどではなかった。というか、自分が期待していた方向性とは違ったなあ。

しかしまあ、そういう(個人的な)マイナスはあったにしろ、なかなか楽しめる作品です。一番、「参ったな」と思ったのは、一々出てくる薀蓄臭い文章が、実はあとで作用してくる、ってことかな。なかなか大胆な伏線はりだと思いましたです。
読み返してみると、結構細かいところまで気を遣われていて、それがまた面白い。

ただ、大仕掛けに目を誤魔化されがちなんですが、いわゆる本編自体のトリックというか、決着の付け方が物足りないのと、なぜかこの事件を並行して描くのか(もちろん理由はあるわけですが)、そちらの事件の解決の方が鮮やかなのは、ちょっとバランス悪いな、と感じました。欠点というほどのものじゃないですけど。

まあ、一番気になったのは、「ポジティブだから」という理由だけで愛を貫けるという感覚ですけどね。そういう意味では、ミステリとしては秀作だが、小説としては認めたくないというか、この部分だけは私には理解できないです。

Jun.3,2003 (Tue)

daylife

今日の日記は、極私的な日記です。そして、一部の関係者に対する私信でもあります。こんなことをすることにどれだけの意味があるのか自分でもわかりませんが、何かせずにはいられなかったので。

古いアルバムを開き、彼女の姿を探す。写真嫌いだったので、枚数はそんなに多くない。それでも、その姿から様々なことが思い出されてくる。高校時代の部誌や部日誌をパラパラと捲ってみる。そこには確かに、彼女がそこに存在し、その当時感じた、考えたことが書いてある。私が好きだった、細く、小さく、柔らかい字で。

自分に、何ができるだろう。既に彼女が存在しない今、何をしても遅きに失しているのはわかっている。

自分にできるのは書くことだけだ。彼女のことを書き残しておくことしかできない。もう二度と、彼女と「あんなことがあったねえ」と語り合うこともできないのだから。忘れぬうちに、記憶に残っているうちに、彼女の存在を書き残しておくことにする。

公開することに関してはまだ、迷いはあるが、それは自分の性だ。そして、もしこの日記を読んでいる関係者がいるなら、どうか私に連絡して欲しい。もう、間に合わないのはまっぴらだから。知られたくないのなら、それも仕方がないが。

追悼

彼女と出逢ったのは、今からもう16年も前のことになる。当時、高校生だった私が所属していた文芸部に、彼女は新入部員としてやってきた。2年になると共に部長という立場に任ぜられた私は、この「こじんまり」とした率直に言って「人気があるとはいえない」部活に、新入部員が入ってくれるものだろうかと胸をやきもきさせていた。
彼女は、他の部員たちと違い。高校に入学が決まった時から文芸部に入部しようと決めていたという風変わりな存在だった。その理由は、私のひとつ上の先輩で、彼女にとっては中学の先輩にあたるO先輩の文章に憧れていたから、というものだった。

私は彼女のことをいつも「Hinata」と呼んでいた。それは彼女のペンネームであり、「自分の名前はあまり好きじゃない」と彼女が常々言っていたからだ。今思えば、この名前に対するコンプレックスが、彼女の未来に大きな影響を与えていたようにも思える。

入学当初の彼女は、長い髪を束ね、薄紅色の頬をした、見るからに「女の子」だった。しかし、そんな「女の子」が、実はとても芯の強い、自分の意見をはっきりと持った「頑固者」だということに、私はやがて気付かされる。
彼女は例え先輩に対してであっても、物怖じするということは殆どなかった。普段は決して多弁ではない、どちらかといえば聞き役に回ることの多い彼女が、「自分が正しいと思うこと」を語るときには、人の目を見据え、一から論理的に、手抜きすることなく語った。私はしばしばその勢いに押されてしまい、その場を取り繕うような言葉で逃げたりすることもあった。そんなとき彼女はいつでも「先輩はズルイ」と、ピンク色の頬をさらに紅潮させて怒ったものだった。

だが当時の私は、矢鱈と口ばかり回るというどうしようもない男で、そういう「口だけの男」を嫌う彼女とはよくぶつかり、喧嘩した。彼女は決して怯みはしないが、口での戦いなら一日の長がある私を言い負かせないことがよくあった。そんなとき、彼女はよく涙を流した。涙を流してもそれを恥じる様子もなく語り続けた。実際のところ、あの頃の私は彼女の涙が見たくて議論を吹っかけたり、彼女が聞き流せないような言葉を吐いていた。後にそのことを彼女に話したとき、「サイテー」と言われたのは当然だ。だが、あの頃の私たちの関係がなければ、後々まで語り合うような仲にもなっていなかったと思う。そう思いたい。

彼女はなにごとにも真面目で、手を抜くことを知らなかった。だから、ズボラな先輩たちの散らかした部室をいつも掃除する羽目になり、締め切りを過ぎても原稿を提出しない部員たちの尻を叩き、誰もが面倒臭がってやろうとしない製本を黙々とやった。私たちはそんな彼女にいつも甘えていたような気がする。
勉強に対しても手を抜くことをしないので、いつも遅くまで部室に残って遊んでいる私たちとは違い、決まった時間になると家路につき、テスト期間中は部室に近寄らなかった。

正直、人付き合いがあまり上手かったとはいえない。彼女の言葉はいつも真っ直ぐで、時に人を傷つけることもあったし、本人もそれを自覚していたから、言葉には必要以上に気を遣っていたのだと思う。少しだけ不器用だった、というだけだ。
そして、どこかで人と深い関係になることから逃げていた。部室には毎日のように顔を出したが、例えば皆で遊びに行くときや、休みの日にどこかに行こう、という時に彼女が積極的に参加することはなかった。どこかで「ドライな関係」を演じようとする彼女がいたのだと思う。それが「大人っぽい」と思うような時期でもあった。ただ、それが彼女の本音でないと知るのは、後年になってからである。

やがて私たちが三年生になり、卒業が近づくと、卒業期念の部誌を発行するのが決まりだった。その号には、私たち卒業生が過去に書いた詩(*1)を、後輩達が新たに清書してくれる、ということになった。
私は、自分の詩の清書を彼女に依頼した。彼女の書く字が好きだった。いかにも女の子の書きそうな、小さく柔らかなその字が、私は好きだったのだ。
彼女は清書を引き受けてくれた。今でも部誌を読み返すことが何年かに一度あるのだが、いつも自分の字ではなく、彼女の字で書かれた自分の詩を私は読み返す。自分の字で書かれた詩なんて恥ずかしくて読めっこないじゃないか。

私たちが卒業した春休み、部活の仲間達でスキー旅行に行こう、ということになった。驚いたのは彼女が「参加する」と言ったことだ。今までイベントらしいイベントには参加しようとしなかった彼女が自分から「行きたい」と言ったのだから驚くのも当然だ。「スキーは好きだから」と彼女は言っていたが、彼女の中で、私たちに対する気持ちに変化があったことは明白だ。いつからか彼女は「ドライ」を演じることを忘れ、かといって人懐っこくなったわけでもない、自然な「自分らしさ」、私達との付き合い方ををこの頃から身に着け始めていたと思う。
お世辞にも普段の運動神経はいいというほどでもなかった彼女だが、スキーはとても上手だった。なにかとコンプレックスの多い彼女が自信を持てるもののひとつだったからこそ、旅行に参加したのかもしれない。人一倍、自分のダメな部分を見せたがらない彼女らしい。

私は卒業後、浪人生活を始めることになったが、母校の教師が呆れるくらい部活に顔を出した。高校が帰り道になったことが一番の原因だが、いつまでも離れがたかったというのも本音である。
受験生となった彼女は、部室に顔を出す機会はもっぱら減った。むしろ、私の方が出席率がよかったほどだ。しかし、後輩想いの彼女がたった三人の二年生や、新しい生活に慣れない一年生を気にかけていたのは間違いない。

それがいつだったのか正確には憶えていないが、彼女の外見に大きな変化が訪れた。長い髪をばっさりと切ってしまったのだ。理由はわからない。単に心境の変化だったのかもしれない。そんな彼女の大変身を、皆で「似合うよ」と囃し立てたら、彼女は顔を真っ赤にして照れて、本で顔を隠した。誉められたり、認められたりすることがとても苦手だった。それもまた、ひとつのコンプレックスとして彼女が「人以上に頑張る」大きな理由になっていたのかもしれない。

彼女の外見に対するコンプレックスが如実に出たのが、「写真嫌い」という面である。当時の私は、しょちゅうカメラを手にして、部活の皆を撮っていた。この頃の5年間だけでアルバムが40冊以上ある。しかし、彼女が写っている写真は少ない。写っていても、カメラから逃げていく姿だったり、俯いている姿だったりというのが殆どだ。まともに写っているものの多くは集合写真だ。だがそれも、硬い表情のものが多い。こうしてアルバムだけ見てると、滅多に笑わなかったような印象を与えるが、そんなことはなかった。彼女はよく笑った。けれど、その瞬間をカメラで捉えるのは難しかった。特に一人では決して写ろうとしなかった。私は今でも、どうして彼女がそんなに自分の外見にコンプレックスを持っていたのか理解しかねる。ただ、妹さんの影響は大きかったようだ。そんなことを彼女がちょこっと口にしたことだけは憶えている。

受験シーズンが終わり、私も彼女も晴れて大学生となった。私が合格して、大学に進むことを伝えたとき、彼女が言った言葉は今でも忘れられない。彼女は私にこう言った。「似合わないね」。

その後は互いに積極的に連絡を取り合うようなことはなかったが、部活の集まりがあったので、年に何度かは顔を合わせていた。たまにフラリと部室に遊びに行くと、偶然彼女も来ていた、なんてこともあった。私は、彼女が高校を卒業しても部活のことを忘れず、こうして顔を出してくれたのがとても嬉しかった。

なにがきっかけだったのかは忘れてしまったが、大学生になって二年目辺りから、彼女との約束のようなものができた。それは、「半年にいっぺんデートする」というものだ。なぜ、半年かといえば、そのくらいの期間会ってなければ、互いに話すことも沢山あるだろう、ということである。私と彼女の間で共通の話題は決して多くはなかったから、それくらいの期間が空くのはちょうどよかったのだ。

デートといったって、会ってお茶を飲み、飯を食って話をするだけ。半年の間に互いの身の回りで起こったこと、今の自分、周りへの不満、当たり前のことを話すだけだ。
一度だけ映画を見にいったことがある。その当時、彼女はイラン映画にはまっていて、彼女の方から「観にいこう」と提案してきた。映画は、アッバス・キアロスタミ監督の『友達のうちはどこ?』だった。関内の小さな二番館で、観客は私達を入れて5人ほどしかいなかった。そう、まだキアロスタミ監督が話題なる前だったのだ。こんなところにも彼女の感性の鋭さを感じた。そして、ひとつでも多くのものを知りたい、感じたいと貪欲に手を伸ばす彼女の姿を見たような気がした。

大学に入ってから何年目かに、彼女は私に上野千鶴子のことを、彼女を通して学んだフェミニズムについて熱く語った。こういう女性になりたい、と。私のような無神経で、とてもフェミニズムとは無縁の男に、高校時代のときのように、一から手抜きすることなく語った。彼女の情熱を、思いのたけを。
そんな彼女が後年、フェミニズムという視点から尾崎翠の研究家として、将来を嘱望される存在になっていたと知ったのは、つい昨日のことだ。なにごとにも手を抜かず、真っ直ぐに突き進む彼女は、20代にして早くもそのような存在になっていたのだ。それなのに。

半年にいっぺんのデートで会う度、彼女は私にこう言った。
「先輩、煙草はやめなよ。肺癌になって死んじゃうよ」。
私は笑って「なったらなったで仕方ない」と取り合わなかった。でも、いつも彼女は真剣なのだ。そして、昔のように「先輩はズルイ」という代わりに、私の煙草を奪って、その場で握り潰し、捨ててしまうのだ。だからいつも、デートの時は煙草を吸わせてもらえなかった。
私は今でも煙草を吸っている。しかし肺癌にならず、こうして生きている。なのに、どうしてお前が。

世の中はあまりにも理不尽だ。どうして、将来を嘱望され、自分の為すべきこと為し、真っ直ぐに生きていた彼女が先に逝かねばならないのか。なぜ、お前が選ばれねばならなかったのか。

互いの忙しさにかまけて、半年にいっぺんのデートをやめてしまったことを、これほど後悔することになるなんて思いもしなかった。意地でも続けるべきだった。「会おうと思えばいつでも会える」なんて考えるんじゃなかった。
そうしたら、もっと早く知ることができたかもしれないのに。生きているうちに、言えたことも、してあげられたこともあったかもしれないのに。どれだけ悔やんでも、今となっては全てが遅すぎる。


*1: 小説はさすがに量が多くて無理なので。当時はワープロがまだ入ったばかりで使いこなせるものもいなかった

Jun.5,2003 (Thu)

daylife

ひょんなことで知った『EVER17』なるゲームが非常に気になる。各所のレビューを読んでも軒並み評判いいし、特に「ミステリ好きはやるべし」みたいな煽りばかり。事前情報はなるべく読むな、っつーことなんで、とりあえず購入してみようかなあ。

昨日のスポーツニュースで、イタリア・セリエAのキエーボとベガルタ仙台の親善試合の様子が流れていたが、何が驚いたって、この試合がオリバー・ビアホフのラストゲームだったということ。なぜ日本での親善試合がラストゲーム?!。ドイツ代表としても活躍して、ACミラン時代には得点王にもなったことのある男だぞ。ドイツ本国で活躍してないとこんなもんなのか。哀愁を感じた。

涅槃の読書模様

『覇者(下)』ポール・リンゼイ【→bk1へ】読了。レビューは後日。

『それでも、警官は微笑う』日明恩読み中。

購入物。

『ヒカルの碁 -22-』ほったゆみ/小畑健(ジャンプコミックス)【→bk1へ】[comic]

いよいよ北斗杯の開始。緒戦は中国戦。果たして日本の三人は勝てるのか?。
連載が既に終わってしまったことを知っているために、読んでて楽しいのに悲しくなってきちゃった。単行本も次がラストなんだろうな。

このマンガは本当に脇役がいい。倉田、ヤンハイ、アン・テソンの団長三人組はものすごくいい味出してます。特に倉田さん最高。それと、この巻ではなんといってもコ・ヨンハなんですけど、こいつはイイ!気に入った!。一見、超美形でキャラ萌え仕様なんですけど、ある意味この巻で一番少年マンガしてるのは彼だったりする。こういう天邪鬼キャラは大好きだ。
でも、もう終わっちゃったんだよね…。

『HUNTER×HUNTER -17-』冨樫義博(ジャンプコミックス)【→bk1へ】[comic]

いよいよレイザーとの対決に終止符。勝つのはどっちだ?!。
相変わらずおもしれー。レイザーとの対決はホントにゲームとは思えない緊迫感。ゴンとキルアのコンビ攻撃、ヒソカの味な真似、ツボを心得た展開です。ガチンコバトルだったらレイザーはどのくらい強いんだろう。

そしてグリードアイランド攻略もいよいよ大詰め。ゲンスルー一味との直接対決がクライマックスで、あとは最後に一山ってところでしょうか。
それにしてもビスケって戦闘仕様じゃないのね。まあ、ここでビスケが全部片付けてもつまらないんだけどさ。折角だから念を活かした駆け引きと戦術が見たいですね。どうなるか楽しみだ。

『アイシールド21 -3-』稲垣理一郎/村田雄介(ジャンプコミックス)【→bk1へ】[comic]

泥門VS王城に決着。果たしてアイシールドは進を越えることができるのか(こんなんばっかやな)。
いいよねえ、読んでて気持ちいいよ。真っ直ぐな少年漫画(ただしヒルマ抜かす)。主人公がアメフトの魅力にとりつかれていく過程がよくわかります。

そして、第四の仲間ワイドレシーバーも増えて、謎の男ムサシ(どうやらキッカーらしい)も名前だけ登場。アメフトは人数が多いのでどこまで描ききるか難しいところですが、各ポジションに一人づつキャラがいれば大丈夫かな。
ただ、意外に短い連載で終わってしまいそうだな(人気あるなしに関係なく)という予感もします。

『BREACH -8-』久保帯人(ジャンプコミックス)【→bk1へ】[comic]

浦原商店での死神修行は厳しさをいや増し、苦闘する一護。一方、ソウルソサエティはルキアに極刑を命じる。

遂に一護の斬魄刀に名前が。この巻でそれぞれの修行はひとまず終えて、いよいよソウルソサエティ行きなわけですが、世界観が広すぎてまだ全然見えてきませんね。ちょっとだけ処理できるのかどうか不安です。

Jun.7,2003 (Sat)

daylife

昨日は、知り合いの芝居関係者がなんと劇場をオープンしたので、それのお祝いに。劇場とはいってもマンションの3階部分を大改装したもので、備え付けの座席もないし、天井だって低い。それでも、劇場を持つってことは芝居をするものにとっては一つの夢だ。ご本人は「やっちまいました」と仰っていたが、その顔は満足そうに輝いていた。
もちろん、これはスタートであってゴールではない。大変なのはこれから。劇場として維持し、採算をとらなくてはいけない。その先には苦労も辛さもあるだろうが、芝居に携わるものの一人として、純粋に羨ましかった。

ここ最近、頭を使うことよりも体を使うほうに欲求が傾いている。しばらくは淡白な日記になるかもしれません。夏だからかな。

『サカつく3』は手を出したら廃人になることがわかっているので買ってません。『サカつく2000』の時に経験済み。

涅槃の読書模様

『それでも、警官は微笑う』日明恩読了。レビューは後日。

Jun.8,2003 (Sun)

daylife

しまった。Profileのページを開設以来そのままにしておいたらとんでもないことに。まいっか、ネット上では永遠の27歳ってことで。

今日もまたボードゲーム。といいつつ日本VSアルゼンチンを見ていたので、殆どゲームに集中できなかった。ブロックスで勝てないと微妙に不完全燃焼。
サッカーの方は特に言うことなし。サビオラがハットトリックしないかと期待していた私はバルサファン。しかし、これでジーコ更迭論は出るのかな。出なきゃおかしいだろ。

十何年ぶりにしゃっくりしました。このまま止まらなかったらどうしようかと不安になってしまった。

『Laundry』(2002 日本)[movie][tv]

昨晩、いつものように『SUPER SOCCER』を見ようとチャンネルを変えようとして、間違えてBS2のボタンを押してしまった。すると窪塚洋介の声で、

「ぼくのなまえはテル。ほんとうはテルオだけど、みんなはテルってよぶ」

というモノローグが聞こえた。その瞬間、「あ、『Laundry』だ」となぜかわかる。いつもならそのままチャンネルを『SUPER SOCCER』へと変えるのだが、そのモノローグに妙に惹かれてしまい、最初の五分だけザッピングして、その後は結局『Laundry』を見てしまった。

現代の寓話とか大人の御伽噺っていう表現は当たり前すぎるし、安っぽい。だけど、やっぱこれはそういう話。うん、よかった。

窪塚洋介はやっぱり只モンじゃない。なんか「見てしまう」。そういうオーラがある。じゃなきゃ『SUPER SOCCER』(と白石美帆)を捨ててまで見ることはなかっただろう。彼じゃなければ、主人公のテルは「押し付けがましい」キャラになってしまったに違いない。

小雪も、こういう幸薄そうな女性を演じるとはまるなあ。今まで見た小雪の中では『ラブ・コンプレックス』と時と同じくらいよかった。

でも一番良かったのは内藤剛。

「俺は別に優しいわけじゃないんだ。ただ、お前らのことがちょっと気に入ったっていうだけだ」

あの台詞はまさに内藤剛にしか言えない。去っていく時の車の止め方といい、最高だった。

ひとつひとつのシーンや、台詞や、モチーフに、あまり意味を求めすぎず、適度に「雰囲気」で撮っているのがとても共感できる。それこそ、「優しいわけじゃない、ただちょっと気に入ったっていうだけ」な部分が素直に受け入れられる。

「想像して」という言葉はとても素敵だ。たまには、目に映る事柄ばかりを話すんじゃなく、想像を働かせて話をしてみるのも悪くない、と思う。

Jun.9,2003 (Mon)

daylife

会社の同僚(*1)とサッカー談義をしていて、『海峡イレブン』の話をしたら、「そんなマンガありえねえ」と言われた。いや、ホントにあるんだってばさ。どんなマンガかっつーと、わかりやすく言えばサッカー版『アストロ球団』。20年近く前に少年マガジンで連載されてたんですけどね。少年ジャンプで連載されてた『コスモスストライカー』と双璧を為すトンデモサッカーマンガなので、ご興味のある方は是非ご一読を。簡単には手に入りませんけどマンガ喫茶とかならあるんじゃないでしょうか。って言ってるそばから読み返したくなってきた。

涅槃の読書模様

『ブルータスの心臓』東野圭吾読了。レビューは後日。

bk1にて以下を購入。

『それでも、警官は微笑う』日明恩(講談社)

第25回メフィスト賞受賞作。日明恩と書いて、「たちもりめぐみ」と読む。読めるかっ。

池袋に出回る、謎の38口径拳銃。その出所を、池袋署で「キチク」と呼ばれる巨漢の巡査部長・武本と作動の家元のお坊ちゃまであり、周りから煙たがられる存在である警部補・潮崎が追う。出所を洗ううちに、3年前の麻薬事件が絡むことが判明し、麻薬取締官の宮田を交え、三人は真相に近づこうとするが。

へー、これがデビュー作とは驚きました。なかなかに完成度が高く、読みづらさもあまりなかったです。ただ、帯にあるような「新たな警察小説」とは全然思わない。むしろ、現在の警察小説の主流の方法論に則った王道の警察小説でした。

というのも、現在のエンタテイメント系警察小説の第一人者といえば当然『新宿鮫』になるわけですが、造りが殆ど同じ。設定こそ違うものの、結果的に周りから弾き飛ばされ単独捜査で追いかける刑事(武器は執念だ)、プラス個性的で、物分りのいい上司、縄張り争いを含め事件のもうひとつの柱である人間ドラマの部分を補ってくれる麻薬取締官、そして一筋縄ではいかない犯人、という図式は、形こそ違えど『新宿鮫』がシリーズにおいて確率された方法論なんですよね。
あまりにそつなく書かれているだけに、「このネタで『新宿鮫』だったらもっと面白いだろうなあ」と思ってしまいました。

まあ、その中で主人公の欠点を補ってくれる個性的な相棒として潮崎というキャラクターが設定されていて、その部分はとても評価できると思うわけです。彼が登場するシーンは読み甲斐がある。ある種の「キャラ萌え」に近いものがあります。

ただまあ、これは穿った見方かもしれませんが、作者が女性ということもあって、というか女性であるがゆえに、その気概が仇となって、無理して書いた男性像だなあ、と思ってしまう部分が多々ある。
それは他の部分でも見え隠れします。いきなりのどぎつい下ネタシーンで始めるところとか、必要以上に銃器に対して説明を加えるところとか(それがまた活かされているとは言い難い)、矢鱈滅多ら男泣きするシーンが出てきたりとか、とにかく「女だからこんなもんでしょう」と言われることを拒んでいるという印象。それが高村薫の域まで達していればさすがと思うんでしょうが、見え隠れしちゃうと逆効果ですね。むしろ、個人的には「女性ならでは」の部分をもっと読んでみたかった。
まあ、麻薬取締官の宮田のドラマの顛末は、女性ならでは、だったかもしれませんが。

物語が進んでいく過程で、事件の背後がとても大きなものだとわかってきて、「おお」と思わせるのに、結局は尻すぼみで終わってしまうところとか、いわゆる警察の縦社会とか、理不尽な命令系統とかを強調する割には、あっさりとそれがスルーされてしまうところ、説明が冗長になりがちなところなどは、まあデビュー作だから仕方ないか、という許容範囲かもしれません。

面白かったけど、これならやっぱり『新宿鮫』読んだ方が面白い、というのが正直な感想。もっと違ったものだったら、比べたりもしないんですけどね。

余談ですが、読んでいる間中、お坊っちゃん刑事・潮崎のキャラがこの人に被って仕方なかった。


*1: 彼もまた『サカつく3』で廃人になっている

Jun.10,2003 (Tue)

daylife

今日は11月にある展示会でナレーターとしてもらう女性のオーディションでした。もちろん仕事です。
前回の展示会の時もオーディションがあったわけですが、これは慣れるもんじゃないな。なぜかこっちの方が緊張してしまう。あー疲れた。

涅槃の読書模様

『コーネル・ウールリッチ傑作短編集1 砂糖とダイヤモンド』コーネル・ウールリッチ【→bk1へ】読み中。

『覇者(上)(下)』ポール・リンゼイ(講談社文庫)【→bk1へ】

帯の児玉清の推薦に惹かれて読んでみました。講談社文庫の海外シリーズで児玉清と来れば、、あの『検屍官』パトリシア・コーンウェルシリーズを思い出すわけで、あの喜びをもう一度、というわけです。

第二次大戦の終わり、旧ナチスドイツのゲーリングは、大量の美術品を「総統のたくわえ」として海外に密かに隠し、第三帝国復活の日のために使うようにと一部の信頼すべき部下達に命じていた。
そして今、ドイツのネオナチがこの隠し財産を手にしようと、「総統のたくわえ」の隠し場所であるアメリカで暗躍を始める。FBI捜査官のタズ・ファロンは、盗難美術品回収の専門家シヴィア・ロスに頼まれ、この事件を追うことになる。

結果、「読んでいる間はものすごく面白い。けど後に何も残らない」典型的アメリカンエンタテイメントノベルでした。

トラウマを持った凄腕のFBI捜査官、コンビを組む美貌の女性、冷徹且つ頭の切れる敵、旧ナチスドイツのゲーリングの遺産、ロマンス、どんでん返し。
これだけ用意されてれば面白くないわけがない。実際、上下巻でもあっという間に読み終わってしまいました。解説で児玉清が言う通り、下巻に入ってからはページを繰る手が止まりません。でも、読み終わった途端にラストはどうだったっけ?、と思ってしまうほど何も残りませんでした。

著者のボール・リンゼイは同じ講談社文庫で、デヴリン捜査官シリーズとして『目撃』『宿敵』『殺戮』と三作を発表しています。こちらは、第一作の『目撃』でなんとパトリシア・コーンウェル絶賛の帯でした。私はそれに惹かれて『目撃』を読みましたが、これもまるっきり記憶に残っていない。つまらなかった、という記憶もないので、同じような感覚なんだろうなあ。

面白いけど記憶に残らない、という原因は、その類型的なキャラクター達とストーリー展開にあると思います。要するに、ギミックが違うだけで、「どこかで読んだような」感じの話なんですね。ただ、そのギミックが面白いからこそ読んでしまう。本作でいえば、ゲーリングの隠し財産と、それを巡る暗号、そして犯人とFBIの駆け引き、といったものです。

しかし、キャラクターはあまりにも俗っぽい。トラウマ(それも大したトラウマではない)を抱える凄腕だが個性的なFBI捜査官、といっただけで右手の指が余るほどのキャラクターを思い浮かべることが出来ますし、誰もが目を奪われる美貌の女性、というのも「またか」といった感じ。当然のようにロマンスがあるわけですが、二人が互いのどこに惹かれあったかまったくわかりませんし、なぜそこまでの美女が都合よく独り身でいるのかもよくわかりません。

まあ、そういった部分にとらわれず、深く考えずに読み進めていけば、面白い作品であることは間違いない。小難しいことを考えずに、エンタテイメントに浸りたいという方にはオススメ。私もそういった作品がたまに読みたくなるので、これはこれで満足でした。


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