ごくたま昨日日記 in June, 2003

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Jun.11,2003 (Wed)

daylife

27歳は果たしてヤングなのかどうかは別として。

免許の更新に行ってきました。子連れで来てる女性がいたのですが、講習の間中その娘が喋ってる。五月蝿い。おまけに携帯電話が鳴る。しかも話す。こういう人間に免許を持たせるのは絶対に間違ってると思う。
車産業が日本の屋台骨なのは理解するけど、それでも免許を誰にでも与えすぎると思う。事故が減らないのは当然だろう。と、考えていたら色々凄い想像しちゃったから、ここら辺でやめておこう。

二ヶ月ぶりにデスクトップのスイッチを入れたら、点いたと思った瞬間、プチッと音を立てて消えてしまった。以後、なにをやっても無反応。こりゃヒューズが飛んだのかな。まあ、別に使わないでも問題ないと言えばないんだが。自作マシンだから修理も自分でするしかない。どうしようかなあ。

車の中で聞いていたラジオで、りそな銀行に公的資金として投入された2兆円という数字がどんなもんか、ということを話していた。
曰く、
・1万円札の高さにして、およそ2万メートル。エベレストの2倍以上の高さ
・国民一人当たり、約15,000円の負担
・毎日100万円使っても5400年かかる
凄いね。

蹴球微熱 キリンカップ 日本VSパラグアイ(埼玉)

正直、このチームに関してはあまり語る気になれない。なんでかといったらチームコンセプトとかがないからだ。選手個々の実力についてしか言及しようがないし、そんなもの言及しても仕様がない。もっと巧くなってね、としか言いようがないし。いや、巧いんだけどね。怖さはまったくないな。

それでも言うとすれば「逆サイ」って言葉知ってる?とかかしら。それと、いくらいい試合をしても点が全然入らない展開なわけで、その膠着状態にあっても選手をまったく変えようとしないジーコの采配は果たしてどうなの?。

アルゼンチン戦とあれだけメンバーを変えて、なかなかいい試合をした、と言うのは確かに事実だし、遠藤や宮本は頼もしいところを見せてくれたと思う。でもね、パラグアイは1.5軍ですよ。いい試合した、でいいわけ?。よくないでしょ。

もしこれでも協会関係者やマスコミが何も言わないのだとしたら、もうどうでもいい。所詮トゥルシエ批判していたのも私情なのだとしか思えなくなる。私は非常に悪い状況だと思ってます。まだ予選まで間があるとか、ジーコになって間もない、とか言ってる場合じゃないと思う。なぜなら予選まで間があるから「この試合ではこういうことをしよう」というイメージがまったくないから。若手に経験値をというわけでもなし、新しい戦術を試そう、というわけでもない。「勝つ」ための試合だったんでしょう?。それもこの試合だけじゃなく韓国戦もアルゼンチン戦も。それを目的においておきながら、それができなかった。他の目的やテーマがあったのなら、話は別ですがそうじゃないでしょ?。ファルカンは、あっという間に解雇されましたよ。ジーコは別?。まあ、別だよな。

良かったなあ、と思うのは大久保だけ。大久保はホントに期待させる何かがある。というか、このチームは大久保のためのチームにしちゃったほうがいいんじゃないかとさえ思った。ヒデのチームとかじゃなく大久保のチーム。そっちの方が個人的には見たいサッカーです。私が好きなのは中盤でこねくり回すことが巧いチームではなく、点を獲るチームなので。今、その期待を持たせてくれるのは大久保だけだね。

自分でも、なんでこんなに否定的な言い方になっちゃうんだろう、と考えてみたら、実況があまりに能天気で「日本!日本!ナカタ!ナカムラ!タカハラ!」という感じだったからかと。どうしてこの試合でそんなに喜べるのか、褒めちぎれるのか不思議でしょうがない。

まあ所詮私は日本代表のサポーターではない非国民だからなあ。

涅槃の読書模様

『コーネル・ウールリッチ傑作短編集1 砂糖とダイヤモンド』コーネル・ウールリッチ【→bk1へ】読了。レビューは後日。

Jun.12,2003 (Thu)

daylife

愛するデミオくんもそろそろ買い替え時期。どうしようかなあ、と悩む日々が続く。セダンという柄ではないので、結局コンパクトカーにしようと考えている。候補としてはホンダのフィット、トヨタのイスト、三菱のコルト辺りになるわけだが、どれを選んでもデミオくんの方が自分には合ってると感じてしまう。まあ、デミオくんを買うときに散々悩んで、「もうデミオくんしかない!」と考えて購入したわけだから仕方ないんだが。だからといっていくらモデルチェンジしたとはいえ、またデミオくんにするわけにもいかないしなあ。
只今のところ、コルトが優勢、次点はイスト。はてさてどうしたものか。

今週のBS2はブルース・リー特集ということで、今日は『死亡遊戯』をやっている。この映画はブルース・リーファンとしては肯定するしかないんだけど、一人の映画ファンとしては否定しなくてはいけないような気にさせられるんだよなあ。

トラウマという免罪符

(以前にも同じようなネタを書いたように記憶しているが過去ログがみつからなかった。サイト検索出来るようにしたいなあ)

ヘリオテロリズム6/11分を読んで思ったこと。本論とは別だが、

また、レイプに限らずとも、物語での「トラウマ」に依存した人物造形には総じて否定的です

という部分には大いに賛同したい。

「トラウマ」という言葉がいつ頃から一般的に使われだしたのか私にはわからないし、小説においていつ頃から使われだしたのかもわからない。しかし当然「トラウマ」という言葉が存在する前から、実態は存在していたはずだ。それは例えば「過去の忌まわしい記憶」とかそういう言葉で語られていたのだろう。

あくまでも私的な意見ではあるが、この「トラウマ」という言葉が一般化してから、小説世界における人物造型において、ある種の免罪符の役目を果たしているような気がしてならない。便利に使われている、と言い換えてもよい。

自分の手元にある本を数冊思い浮かべても、必ずといっていいほど登場人物の誰かしら(殆どは主人公格、もしくはその相手役、犯人役)がそういったトラウマを抱えている。

多くの小説に登場するいわゆる「サイコキラー」は必ずといっていいほど、幼い頃に虐待を受けたか、もしくは両親の不仲に大きな影響を受けている。これは面白いことに、「サイコ」という言葉を一般化したヒッチコックの名作『サイコ』の設定そのままである。

間違って欲しくないのは、「トラウマを抱えている」ことが問題ではないのだ。それ自体が「物語に厚みを増す」と考えて便利に使われていること、そういう作品が問題なのだ。ハッキリいってしまえば「安っぽく見せないためのエクスキューズ」になっているように感じられる作品が多すぎる、ということだ。

これは、一時期流行した(そして今でも根強く残る)「プロファイリング」への傾倒が原因なのではないかと思われる。特にミステリにおいて、読者は「エセプロファイラー」になることがよくある。その際に作者側は、その「エセプロファイリング」に対抗するため、「トラウマ」という要因を登場人物に授けてしまうのではないだろうか。
さらに穿った考えを述べるとすれば、いわゆる「人間が書けていない」という(今となっては不毛とみなされている)意見に対する対抗手段とも考えることが出来る。「トラウマ」を持たせることがすなわち、登場人物に厚みを増し、イコール「人間が書けている」という錯覚になっているのではないだろうか。

もっといってしまえば、その「トラウマ」の内容さえも似たようなものばかりになってしまっていて、「トラウマ」を持たせることは思いついても、その先にまで考えが至っていないと感じさせられる作品が目立ち始めているということである。

人間が生きていく上で過去を捨て去ることは誰にも出来ない。日々の記憶や経験が蓄積されて人間は形成されていく。その記憶や経験の中には辛いものや苦しいもの、忌まわしいものは誰にでもあるに違いない。極論すれば「トラウマ」がない人間の方が少ないだろう。ただ、「トラウマ」とか「プロファイリング」とかいった言葉で、それを表されると特別なものに感じてしまう。それは言葉の意匠を借りた免罪符でしかないのではないだろうか。私はそう感じてしまう。

ついでといっちゃあなんだが、本論であるセックスとレイプに関する言及については、セックスは日常であり、レイプは非日常且つ暴力的だからミステリでは取り上げられやすい、ということではないだろうか。あくまでもひとつの推論に過ぎませんが。

『Number 578 経験という名の武器 Confederations Cup 2003 Preview』

コンフェデレーションズカップのプレビューといいつつ、日本人海外組の特集。

高原直泰インタビュー。「得点、然らずんば死」。
今年、ハンブルガーSVに移籍して16試合で3得点という成績を本人はもちろん満足していない。彼自身の言葉によると、やっと自分らしさが出せるようになって調子が上向いてきたのは残り2試合のボーフム戦からだったそうだ。ロメオが復活したことによって出番は減ったが、契約はまだ残り2年ある。彼自身、そういった立場でドイツという国で戦っていけることにたいして余裕を感じた。型にはまれば強いから、来期は期待したい。

中村俊輔インタビュー。「イタリアの現実、理想の自分」。
私は正直いって中村俊輔に対する評価は低い。確かにテクニックは超一流だと思うけど、サッカーというゲーム自体は下手だと思う。このインタビューでも「レンタルで気に入ってもらえなければ日本に帰ればいいと思った」とか言ってるし。こういう危機感のない発言をしているうちは私は認めないだろう。結果も残してないし。

中田英寿についての記事。「シンプル・リーダーシップの想像力」。
正直、今更ベルマーレ時代の彼について植木・元監督に語ってもらったところでそれがなんだというのか。まあ、単純に昔話としては面白いんだけど。この記事で、植木と北澤豪が中田を語るという意味はどこにあるのか。よくわからない。

小野伸二に関する記事。「平衡から支配へ」。
要は、「彼は本当にボランチ向けの選手なのか?」ってことを検証してるんだけど、図らずも著者の戸塚啓が文頭で指摘している通り、小野はいわゆる「ボランチ」ではないと思う。フェイエノールトの監督も決して「守備」に重きを置いた彼を期待しているわけじゃない。ただ、彼自身がバランスを考えすぎて、彼本来の攻撃力を活かしきれてないのは事実だと思う。チームにもう一人頼れる、それこそ「ボランチ」がいたら結構変わると思うんだけど。個人的にはベロンのような選手になってもらいたい。守備もこなして、深い位置からでも決定的なパスが出せる選手ね。日本にはロングレンジでピンポイントのパスを出せる選手がいないからね。

さて、日本代表検証記事。「ジーコのチーム作りを追う」。
Numberだけじゃなく、どこの記事を読んでも、「日本人は規律を作ってしまうとそれに縛られて個の力を活かせなくなる。だからこそジーコは個々の力を信じて自由を与えている」という見解。さらにトゥルシエと比較すると、トゥルシエは「日本人は自分で出来ないから」という方針、ジーコはその反対、と考えているようだ。
しかし、それは事実なのか?。「規律に縛られて個の力を発揮できない」というのは日本人をナメた考えではないのか?。この記事は先日の韓国戦とアルゼンチン戦を追ったものだが、昨日のパラグアイ戦まで見た段階では「チーム作り」という感覚はまったく伝わってこない。選手選んで、ハイ終わり、ではないのか。
とにかくジーコが監督になってからというもの、彼の方針が見えたのはひとつだけ。「4-4-2」それだけだ。

日本のコンフェデ杯を占う。
金子達仁、後藤健生、杉山茂樹、西部謙司の四人が韓国戦、アルゼンチン戦からコンフェデ杯の日本を考察。この中では杉山茂樹の意見に私は一番近い。三都主に対しては私はいい加減見切りたいけど。金子達仁に至っては、「チームコンセプトが見えないのに何を占えと?」といった感じで放り投げている。その気持ちもわかる。私自身も、もしコンフェデで結果が出なかったとき、逆に結果が出たとしても、何をどう認めたらいいのかまったくわからない。とにかく何かひとつでもいいから見るべきものを教えて欲しい。

その他の記事。

アンドリュー・シェフチェンコのインタビュー。
今、世界一のFWは?という質問をされたら私は彼に一票入れる。ウクライナという世界的にサッカーが強いとはいえない国で育った彼にとって、ACミランというチームでチャンピオンになることがどれだけ渇望していたか、ということがよくわかる。今や少なくなったオールラウンドのストライカーとして、彼にはもっともっと頑張って欲しい。あと一回セリエAで得点王を取れば、得点王記録に並ぶんじゃなかったかな?。それにしてもオーナーのベルルスコーニはたいしたもんだと思わせるエピソードもあり。

次世代ボランチ連続インタビュー。
アテネ五輪世代の阿部勇樹、鈴木啓太、森崎和幸、森崎浩司の四人のインタビュー。阿部勇樹は↑の小野伸二のところでも書いたけどロングレンジでピンポイントのパスが出せる貴重な存在。このまま伸びて欲しい。鈴木啓太はレッズファンとしては祈りたいような気分だが、もっと攻撃力をつけてくれ。それと、中田浩二や福西崇史のようなクレバーなボランチになって欲しい。レッズにはクレバーな選手が少ないからね。森崎ブラザーズだけど、浩司はボランチじゃないだろう。どう考えても攻撃の選手。和幸に関しては、自チームの先輩でもある森保のような「読みの鋭さ」が欲しいよなあ。
ただ、この四人は次世代とはいえ、上の世代がキツイからねえ。私は中田浩二と福西崇史のコンビのバランスに勝るものはないと思ってます。

仁志敏久の連載「プロフェッショナルの証明」。
これホントに仁志が書いてるの?。毎号思うことなんだけどそこらのライターのコラムよりはるかにいいです。読者の気持ちを惹く「つかみ」から論旨の展開、まとめまで完璧。ホントに彼が書いてるのだとしたら凄すぎる。今回は「スコアボード」について。いや、ホント凄いとしかいいようがありません。脱帽。

連載ノンフィクション。高橋尚子「スタートライン」。
なんか久々にQちゃんの話題を読みました。それだけかよ。

そういや広告記事で井原正巳が『サカつく3』やってます。……やりてえ。

涅槃の読書模様

『依頼人は死んだ』若竹七海【→bk1へ】読み中。

購入物。

Jun.13,2003 (Fri)

daylife

昨晩の『お厚いのがお好き?』『罪と罰』ドストエフスキー。うーん、面白おかしくわかりやすくという姿勢はわかるんだけど、相変わらず比喩がおかしい。それはちょっと違うんじゃない?と思ってしまう。次回は『失われた時を求めて』マルセル・プルースト。これはフランス文学にとっての最大の鬼門(『嘔吐』サルトルという説もある)ともいうべき書。見ねばなるまい。

UNIXコマンド忘れてるなあ。

涅槃の読書模様

『依頼人は死んだ』若竹七海【→bk1へ】読了。

『絆』小杉健治【→bk1へ】読み中。

『コーネル・ウールリッチ傑作短編集1 砂糖とダイヤモンド』コーネル・ウールリッチ(白亜書房)【→bk1へ】

コーネル・ウールリッチ生誕100年を記念して、白亜書房から全6巻の叢書として出版される、その第1巻。
ウィリアム・アイリッシュ(ウールリッチの別名)を好きな作家に挙げる私としては買わずにはいられない。

全6巻の配本内容としては、生涯に227編を残した中短編のうち47編を収録。うち18編が初訳。1巻から5巻までは門野集による新訳。6巻のみ、先年他界した稲葉明雄の名訳を収録。現在までに4巻までが刊行されている。

この第1巻では、
【診察室の罠】/【死体をはこぶ若者】/【踊りつづける死】/【モントリオールの一夜】/【七人目のアリバイ】/【夜はあばく】/【高架鉄道の殺人】/【砂糖とダイヤモンド】/【深夜の約束】(初期ロマンス短編)
の9編を収録。
原りょうによる寄稿エッセイも収録されている。

発表年代順に収録されているということもあり、初期の作品になるのだが、ウールリッチの特徴ともいえる「ウェッティ」且つ洗練された文章は、既に確立されている。

デビュー作【診察室の罠】では、友人のために奔走する主人公という、その後のウールリッチ(アイリッシュ)作品にもよく見られる形式を使っているし、【モントリオールの一夜】もまた、その後のウールリッチの原型ともいえる一夜のサスペンスの代表例ともなっている。出来としてもこれが一番面白かった。

ウールリッチといえばサスペンス、ということになるわけだが、やはりその文章の美麗さこそに私が愛する理由はある。新訳とはいえ、門野集自身がウールリッチの大ファンということで、その美文レベルは保たれていると思う。とはいえ、やはり稲葉明雄の訳には叶わないと感じてしまうのだが。決してマイナスというわけではない。

まあ、ウールリッチ(アイリッシュ)ファンなら当然買うだろうし、読むだろう。まだ、ウールリッチを読んだことがない、という人に手始めに薦める、という本でもない。ファンのためのファンによる叢書、である。満足。

Jun.14,2003 (Sat)

daylife

中華料理を山ほど食した後、むっちゃんのお宅で『愛と誠』梶原一騎/ながやす巧を読んだり腹筋したり(なぜ?)。読み終わらなかったので借りてきてしまいました。

頭の中では岩清水弘の名言、
きみのためなら死ねる!
が連呼されています。しかし、中学三年生で言うかね、こういう台詞を。

『ブルータスの心臓』東野圭吾(光文社文庫)

これまで読んだ光文社の東野圭吾作品にはハズレが多かったのだが、これはまあまあ面白かった。

MM重工でロボットの開発に携わっている末永は、愛人の康子から妊娠したことを告げられる。だが、末永の子供かどうかはわからない。そんな折、社長の仁科の息子である直樹に呼び出される。なんと康子は末永だけでなく、仁科直樹と坂本という同僚とまで寝ていたのだ。康子との付き合いが表沙汰になるのは避けたい三人。すると直樹が、康子を大阪で殺し、名古屋を経由して東京で遺体を棄てる、という恐るべきアイデアを提案する。それぞれがアリバイを作って、分担しようというわけだ。末永は名古屋で遺体を中継する役目になる。しかし当日、名古屋で末永が目にしたものは…。

ラスト近くまでの展開はかなり面白い。いったい、誰がどんな目的で殺人を犯しているのかまったくわからないし、それを殺そうとした側が突きとめねばならないという逆転思考だからだ。殺そうとした側の人間が犯人も、その動機もわからないから当然警察も袋小路。どういうオチになるのかワクワクして読んだ。

しかしながら、待っていた真相は「うーん」といった感じ。特に、ラストで犯人と対峙する場面などは、主人公自身が「なんで俺はこんなことしてしまったんだ」と述懐しているように、それまでの冷静な計算はどこへいってしまったのかという無理矢理すぎる結末だろう。犯人と対峙する意味すらわからない。

本作では「ロボット」というものの扱い方というか考え方も、多少関わってくるんですが、それも消化不良。「ブルータス、お前もか」という台詞のためだけに存在している気もする。ロボットと縁が深いとはとても言えない私のような人間には正直理解しがたい。

それにしても東野圭吾の作品には、理工系のメーカーに勤める野心家(大概家庭環境にトラウマがある)、そのメーカーの社長血族、高ピーな娘、というパターンがとても多い。そして、事件の鍵を握るのが一般庶民、となる。同一パターンでこれだけ多くの作品を書けることは尊敬に値するが、ちょっと捻りが足りなさすぎる気もします。

毎度ながら、東野圭吾に関しては期待値が高いので、それを差し引いた上でのレビューだと思ってください。

Jun.15,2003 (Sun)

daylife

『二重スパイ』を観てきました。感想は明日。とりあえず物足りなかった。

自分の体験や考えを通して語り合える会話はやはり楽しい。

涅槃の読書模様

『絆』小杉健治【→bk1へ】読了。

『ミスターレッズ 福田正博』戸塚啓【→bk1へ】読み中。ポスターも付いてきた。ワーイ。

頂き本&お借りした本。

Jun.16,2003 (Mon)

daylife

先週から筋トレを始めたら毎日が筋肉痛で大変なことに。情けない。

どのへんが愛と誠?

『愛と誠』梶原一騎/ながやす巧を読み終わる。マンガ好きを自称しておきながらこの名作をまとめて読むのは初めてだった。
そうか、この話は、一人の勘違いお嬢様が金と権力と美貌を嵩に着て自分の妄想上の愛を、昔のことをねちねちと根に持って世を拗ねて意味不明の怒りを周りの人間にぶつけるマザコンに押し付けるために、家族や学友、愚連隊にヤクザだけでなく、仕舞いには世間一般までを不幸に陥れるという究極悪女の物語、だったのですね!。
こんなに大迷惑な女が周りにいたらすぐに逃げた方がいい、といういい教訓になりました。うーん、さすがは梶原一騎だ。あまりに凄いその屁理屈ぶりには感動しました。登場人物全員が狂ってるから、ストーリーが成り立つ(誰も「お前の言ってることはおかしい」とか言わない)というその前衛的な表現方法のインパクトは計り知れないなあ。

「きみのためなら死ねる!」に反応いただいてますが、それだけ後世の作品に影響を与えるのも理解できます。これは素通りできないだろう。ラストまで読めば尚更。
『マトリックス・リローデッド』とかで驚いている場合じゃないですよ、皆さん。そんなものを超越した世界がここにはあります。ドラッグ小説もビックリ。是非、ご一読を。

『二重スパイ』(2003 韓国)[movie]

監督:キム・ヒョンジュン、出演:ハン・ソッキュ、コ・ソヨン

『シュリ』で韓国国家情報機関と北朝鮮の暗殺者の禁じられた愛を描き、『JSA』で38度線が作り出したドラマを描いた韓国映画が送り出した南北朝鮮ドラマ第三弾。

出演する全ての映画が大ヒットのハン・ソッキュが『シュリ』以来3年振りにスクリーンに登場。韓国では、「すべての脚本はハン・ソッキュを通る」と言われるほどで、延べ100本近い脚本から彼が選んだのがこの作品だったらしい。

朝鮮民主主義人民共和国の軍人エリートだったイム・ビョンホ(ハン・ソッキュ)は自由を求めて脱北。厳しい拷問の末に、「落ちぶれた北のエリート」として韓国に受け入れられ、その経歴を活かし国家安全企画部で働くこととなる。だが彼は北朝鮮から送り込まれたスパイだった。
彼は連絡役として、諜報員の娘として韓国で生まれ育ったにも関わらずスパイであることを余儀なくされるラジオDJ、ユン・スミ(コ・ソヨン)と出会い、表では北を裏切った韓国人として暮らすことになる。

1980年頃に実際にあった話が元になっているそうだが、確かに「こういうことがあったんだろうな」とは思う。だがしかし、それだけの話。映画としての面白味に欠ける。

映画としての演出、というものをほとんど感じることが出来ない。真実や事実をありのままに伝えるためのリアリズム手法、というわけでもない。
主人公のイム・ビョンホ、ヒロインのユン・スミといった主要な登場人物たちの内面がまったくといっていいほど描かれていないので、彼らの苦しみ、彼らの葛藤といったものが伝わってこないのだ。ただそこに「悲しい事実」が存在するだけ。その「悲しい事実」にしても国家や政治に振り回され、一個の人間としての人生を失った人間達の辛さが伝わってくるわけではない。

人間ドラマとしても、個々の登場人物の個性が出ているわけではないので、ハン・ソッキュは確かに上手いとは思うけれどそれだけ。彼の魅力の半分も出ていなかった。だが、それは役者の責任というよりも監督の責任だろう。彼(だけでなく他の登場人物も含め)の個性を引き立てるようなエピソードもないし、特にコ・ソヨンとの恋愛については二人がどうして愛し合うのか、そもそも愛し合ってるのかどうかすらわからない始末。監督はバッティングセンターのシーンやライターを渡すシーンがそれなりのエピソードのつもりなのかもしれないが、まったくもって活かされていない。
ラストも捻りなさすぎ。というか、スパイとマフィアという立場こそ違え、殆ど同じような映画のラストシーンを私は知っているだけに余計に。

おまけにリアリズムを意識したにしては、ツッコミどころが多すぎる。いつもの韓国映画のように大胆(やりすぎともいう)な展開ならばこのストーリーでも、「エンタテイメント性を優先したんだな」と許せるのだが、展開がつまらない上に「それはちょっとどうよ」と思わされてはなあ。くそつまらないけど徹底的にリアリズムを追求した(かつてのイタリア・ネオリアリズムのように)のであればまだ納得も出来るんだが。

結局この映画で語られていることは、韓国と北朝鮮は互いに仲が悪くて大変だね、それに直接巻き込まれるスパイってのは不幸だね(拷問シーンは見るに耐えない)、ってことだけに思えてしまう。
大変だから、不幸だから、どうなんだ。その先が見えない。

国家の思想と、人間としての感情の板ばさみで苦しみ、不幸な結末ではあるけれども大いに考えさせられ、尚且つ感動をくれた『シュリ』に比べると格段に落ちる。『シュリ』で描かれていた根源的なテーマみたいなものを、この映画で感じることは皆無だった。根源的なテーマであるからこそ『シュリ』は当事者ではない我々のような日本人でも大いに理解し、感動することが出来たが、この映画ではちょっと無理がある。

ハン・ソッキュも100本も脚本読んだなら他にもなんかあっただろう、と思いつつ、彼でなかったら本当の駄作になってしまった可能性があるので致し方ないところか。
韓国ではトップスターであるらしいコ・ソヨンは、立花理佐に似すぎていて個人的には趣味ではない。それもこの映画に対する評価の低いところかもしれない。

愛とか、希望とか、そういったものは現実として無力であるかもしれない。しかし、ただそれだけを見せつけられたところで、その映画から得る物はあまりない。この監督は何を託してこの映画を作ったのだろうか。私はそれが知りたい。

最後に、どうしても気になるのは『二重スパイ』という邦題。これって正式タイトルの邦訳なのか?。というのも、ハン・ソッキュ演じるイム・ビョンホはスパイであって、二重スパイではないんでないの?と思うから。二重スパイっていうのは、北朝鮮から派遣されて、韓国の情報を北に流していると見せかけて、韓国の偽情報を流し、北朝鮮の情報を韓国にもたらすことでしょ?。違うっけ?。

涅槃の読書模様

『ミスターレッズ 福田正博』戸塚啓【→bk1へ】読了。号泣。

『屋上物語』北森【→bk1へ】読み中。

Jun.17,2003 (Tue)

daylife

ども、マルチポストによる判定でミステリ系サイトではないと判断されたらしいサイトの管理人です。
枕に意味はありません。

うーん、中田浩二の左サイドバックっていうのはありえないのかな。それほどスピードがない点さえ除けばかなりいけてると思うんだけど。と、呟いてみる。

涅槃の読書模様

『屋上物語』北森鴻【→bk1へ】読了。

『神のマジック人間のロジック』西澤保彦【→bk1へ】読み中。

購入物。

『絆』小杉健治(双葉文庫)【→bk1へ】

第41回推理作家協会賞受賞作。1987年に集英社から発刊され、1990年に文庫化された。今回読んだのは双葉文庫の推理作家協会受賞作全集のうちの一冊して復刊されたもの。

妻による夫の偽装殺人。ただ、それだけの事件。だが、法廷は新聞記者たちで溢れ返っていた。それは担当弁護士だった水木が被告人の弁護を拒否し、引退した原島弁護士に後を託したという謎があったからだ。証拠も固まり、被告人も自供。裁判での決着は簡単につくかと思われた。しかし、原島の「被告人の無実を証明します」という一言で法廷にざわめきが走る。

幼い頃、被告人である弓岡奈緒子と知り合いだった新聞記者の視点から描かれる本作は、物語のほぼ全てが法廷内で進められるという、まさしくリーガルサスペンスである。多くの法廷推理劇は、その単調さが弱点になってしまうことがあるのだが、本作はそれでいて格別に面白い。

まず設定が素晴らしい。強盗の仕業に見せかけて夫を殺したとして逮捕された妻。証拠は全て彼女の不利を語っている。はじめは否定していた彼女も結局自供する。そして、法廷の場でも彼女は検察側の冒頭陳述を認めた。だが、弁護士は被告人の無実を証明すると宣言する。
本来、弁護士は被告人の利益を守ることに尽力する。
原島弁護士は言う。

「私は真実をもって被告人を弁護しようとしたまでです」

いったい、殺人の罪を着てまで被告人が守ろうとするものはなんなのか。

さらに、検察側の証拠、それを覆す弁論という互いの駆け引きから生まれる展開は、サスペンスとして面白いのは言うまでもなく、本格ミステリとしても充分楽しめる。フーダニットとしてはラストが少々弱い気もするが、本作における重要性はそこではないので、これは致し方ない。

もうひとつ、本作の大きなテーマに精神薄弱児に関する問題がある。ただ、声高にこの問題を説くのではなく、事件と密接に関わらせることで、考えざるを得ない方向に持っていったのが見事。また、結論の出し方も、当時者でない人間が語るのではなく、その渦中に放り込まれてしまった人間の言葉で語らせるというところに説得力がある。個人的には、その意見にまったく賛成というわけではないのだが、私自身が当事者ではないから、自信を持って語れる言葉もない。うーん、まったくもって見事。

全編の殆どが法廷での遣り取りにもかかわらずまったく退屈することなく、それどころかページを繰る手が止まらないほどのリーダビリティで尚且つ、根源的なテーマを考えさせてくれる作品。
ともさんのオススメだったので読んでみましたが、こうした埋もれた名作に出会わせてくれたことに感謝。私もオススメです。

『はじめの一歩 -65-』森川ジョージ(少年マガジンKC)【→bk1へ】[comic]

いよいよ東日本新人王決勝戦の幕が切って落とされる。試合の直前、鷹村と一歩から自分の致命的な弱点を知らされた板垣は果たして今井に対してどういった戦法を取るのか。今、スピード対パワーの闘いが始まった。

長いこと(単行本65冊分)このマンガを読んできたが、もしかしたら今迄で一番興奮したかもしれないっていうか、度肝抜かれた。いやもう、これは凄いとかそういうレベルの問題じゃない。ある種マンガ的な実現不可能な領域に足を踏み入れたかのように見えるんだけど、「もしかしたら」と思わせるだけの力を持つのが森川ジョージである。

この一冊で私は板垣に惚れました。決着がどうであれ。鳥肌立ったよ。

『モンキーターン -24-』河合克敏(少年サンデーコミックス)【→bk1へ】[comic]

ダービー準優と決勝。準優では古傷の左手が痛み出し、辛うじて2位の座を確保し、優出した波多野。決勝では艇王・榎木、天才・蒲生との激しいバトルが。

こっちも燃えたー。特にダービー決勝での走りは凄い。遂に出た必殺技!。やっぱ少年マンガはこうでなきゃ。でも、どうなんだろう、もしかしたら年末の賞金王決定戦で最終回、っていう雰囲気もしてきました。もっと読んでたいけど、マンガの盛り上がり的にはそっち方がいい終わり方が出来そうな気もします。

Jun.18,2003 (Wed)

daylife

『ANIMATRIX』を見ました。感想は明日。これでいつでも『MATRIX RELOADED』が観に行ける。っていうか早く観ろ。

涅槃の読書模様

『神のマジック人間のロジック』西澤保彦【→bk1へ】読み中。

『依頼人は死んだ』若竹七海(文春文庫)【→bk1へ】

『プレゼント』に続く、女探偵・葉村晶シリーズの第二作。これまた連作短編集。

【濃紺の悪魔】/【詩人の死】/【たぶん、暑かったから】/【鉄格子の女】/【アヴェ・マリア】/【依頼人は死んだ】/【女探偵の夏休み】/【わたしの調査に手加減はない】/【都合のいい地獄】
の9編を収録。

誉め言葉になるかどうかわからないが「吐き気をもよおすような」作品ばかりである。本書でも若竹七海作品において重要なポイントとなる「悪意」が描かれているわけですが、その「悪意」の正体がこちらにとって理解できない、という恐怖感と嫌悪感をメチャメチャ感じさせてくれる。

理解できないだけでなく、悪意であるのかですら正体不明、という【たぶん、暑かったから】と【アヴェ・マリア】などは、吐き気を通り越して怖気すら感じます。しかし、こういった話が、今の時代にもっとも則している話であるような気もしてしまう。だが、若竹七海は決して、「理解不能の殺人を犯してしまう」人間達を「サイコ」とも書かなければ、安易なトラウマを持たせるようなこともしない。若竹七海は「探偵が全てを語ることの出来るミステリ」、もしくは「サイコ」や「トラウマ」といった社会勝手に作り上げた人型に対し、強烈な一撃を見舞っている。

本作の短編の中で【濃紺の悪魔】と【都合のいい地獄】では、謎の「頸に痣のある男」が登場する。そして、まだ決着のついていない葉村晶とこの男の決着がどうつくのか、大いに興味がある。

MYSCON4におけるゲストインタビューの際に、若竹七海は「ノワールなんて大嫌い」と言ってのけたが、本書を形容する言葉があるとしたら、ハードボイルドよりもむしろ「ノワール」なんじゃないだろうか。これさえ読めば、「形だけのノワール」と「真のノワール」の違いがわかる、はず(ちょっと弱気)。

Jun.19,2003 (Thu)

daylife

今日はもう興奮して眠れそうにありません。なぜならばミスターレッズ・福田正博に会ってきたからです!。
というのも『ミスターレッズ 福田正博』戸塚啓【→bk1へ】レビュー↓)の出版を記念して、池袋のリブロでサイン会があったんです。

今迄憧れ続けたミスターレッズに実際会えるのかと思うと緊張と興奮で汗だく。一時間近く待ってやっと自分の番が来た時には舞い上がってしまい顔もろくに見れなかった。おまけに言葉をかけようとするんだけどうまく舌が回らない。結局しどろもどろになりながらなんとか言いたいことは伝えた。ぎゅっと握ってもらったその右手はスポーツマンらしくちょっとごつい感じがした。

自分の人生の中で実際に会ってみたい有名人にお会いしたのはこれが初めて。もーホントに感激しました。このサイン会の情報を教えてくれただけでなく、整理券までゲットしてきてくれたSさん!ありがとうございました!。

げ!一昨日の日記のファイル上書きしてログ消しちゃいました。おかげで日付が一日ずれてるし。記憶の範囲で自力復旧しましたが、こんなもんだったよな。ログ残ってないかなー。

言いたいことがあるのならハッキリ言えばいいのに。ちょっと気分悪い。前にもこういうことがあったからなあ。

蹴球微熱 FIFAコンフェデレーションズカップ 日本VSニュージーランド

3-0で快勝。きっと多くの人は喜んでるんだろう。私自身もやっとこさの勝利にはホッとしているが、手放しでは喜べないなあ。

なんといってもミスが多すぎ。それもゴール前でのミス。高原は最悪でした。開始早々のシュートミスも、特にプレッシャー受けてないのにまともに蹴れてないし。その後もミス、ミス、ミスの連続。そして、それを使い続けたジーコにも「?」。
ヒデもあのミドルシュートは見事としかいいようがないけど、それ以外ではパスミスの連続。司令塔としての役割は果たせてもミスが多すぎる。そのミスが致命的な結果をもたらすってことはアルゼンチン戦でもわかったはずなのに。三都主もこのレベルの相手に突破が出来ないようじゃなあ…。申し訳ないが、彼が代表の試合で彼らしさを見せたことはないと思うんだが、それでも使い続けるんだろうか。

まあ、なんにせよプロチームが国内に1チームしかないような国相手に勝った勝ったと喜んでも仕方がない。真価が問われるのは次のフランス戦、そしてそのフランスをPKの1点に抑え込んだコロンビア戦だろう。正直、キツそうだけどねえ。

『アニマトリックス』(2003 アメリカ・日本)[dvd]

1.Final Flight of the Osiris 監督:アンディ・ジョーンズ
 これホントにCGアニメーション?というくらいビックリ。映画『Final Fantasy』のスタッフと技術が使われてるみたいですな。ストーリーもまさしく『マトリックス』のサブストーリー。しかし、西洋人にとっての東洋人女性の美人顔ってのはなんでああいう顔なのかね。

2.The Second Renaissance Part1 監督:前田真宏
3.The Second Renaissance Part2 監督:前田真宏
 ウォショウスキー兄弟が現代から『マトリックス』の時代に至るまでの「神話」として作ったストーリー。これを見ると『マトリックス』の世界観が非常にわかりやすくなる。なんで空が真っ暗なのかとか理解できた。ジャパニメーションの本領発揮。

4.Kid's Story 監督:渡辺信一郎
 このアニメーションにもビックリ。原画のラフさを活かしたままのアニメ。それでいて不思議な疾走感。物語的には『マトリックス』のネオと同じように現実感を失った少年の話。『マトリックス』を見てからこういう妄想に走った人間は増えたんではないだろうか。

5.Program 監督:川尻善昭
 いかにも川尻善昭なアニメ。コンセプトは『マトリックス』での武術修行なのかな?。ウォショウスキー兄弟がファンということもあって、好き勝手にやらせてもらってる感じ。カッコイイから全てOK。

6.World Record 監督:小池健
 短距離走で人間の限界を越え、『マトリックス』の世界を知ってしまった男の話。日本のアニメとは思えないポップな感じ。他には感想なし。

7.Beyond 監督:森本晃司
 これは凄く上手く『マトリックス』の世界観を表している気がする。日常と思っていたものが非日常であると気付かされる一瞬を「空間」という形で切り抜いた作品。これまたジャパニメーションそのもの。

8.A Detective Story 監督:渡辺信一郎
 渋い。さすがは『カウボーイビバップ』。モノトーン調の映像ってのはこういう短い実験作だからこそできるよね。よく考えると、あまり『マトリックス』的な要素はないんだけど、これはこれでいいと思う。

9.Matriculated 監督:ピーター・チョン
 他の作品が面白かったのにラストがこれでは尻すぼみ。発想は面白いんだけど、アニメーションが面白くない。たかが10分程度の作品なのに退屈で仕方がなかった。こういうのを見ると日本のアニメーションがどれだけ演出という点でアメリカの先を行っているかわかる。

そんな感じでなかなか楽しいものを見た。映画だけでは掴み難い『マトリックス』の世界観とかそこに至る過程を理解しつつ、ジャパニメーションと『マトリックス』が密接に繋がっていることを実際に感じられる。

『マトリックス』と『アニマトリックス』(ジャパニメーション)は鶏と卵みたいなもんで、両者とも互いを内包している。大袈裟な言い方をすれば『マトリックス』は既にひとつの文化としての形態を為している。「現実」でも「空想」でもない「マトリックス」という世界観は、これからも多くの映画やアニメーション、そしてマンガ、ひいては文学、もしかすると宗教にまで影響を与えていくだろう。その第一歩目がこの『アニマトリックス』なのかもしれない。

涅槃の読書模様

『神のマジック人間のロジック』西澤保彦【→bk1へ】読了。

購入物。

『ミスターレッズ 福田正博』戸塚啓(ネコ・パブリッシング)【→bk1へ】

私が福田正博を知ったのは、まだJリーグという狂騒が始まる前、1991年のことだった。おそらくはテレビで中継していた天皇杯の一試合だったと思うが、ハッキリとした記憶はない。それでも、この時に見た彼のプレーを忘れることは出来ない。まさしくディフェンスを「切り裂く」ドリブル。その一瞬のスピード。それは私が日本でまだ見たことない衝撃的なプレーだった。「こんな選手が日本にもいるのか」。私は一目で彼のプレーに惚れてしまい、それまで名前程度しか知らなかった「三菱」というチームを、そして福田正博という選手を応援することに決めた。

あれから早12年。「ミスターレッズ」として浦和レッズを率いてきた福田正博は、遂に赤のユニフォームを脱いだ。Jリーグでの3期連続最下位。日本人初の得点王。度重なる怪我。屈辱のJ2落ち。そして日本代表として体験したドーハの悲劇。様々な思い出がプレイバックする。しかし、レッズがリーグ戦でもカップ戦でも一度も優勝することがなかったように、福田正博のサッカー人生は良いことよりも辛いこと、悲しいことの方が圧倒的に多いように思う。それが福田正博を、他のスーパープレーヤーとは違う、唯一の選手としてここまで記憶に残る選手にしたのもまた事実であり、悲しい現実である。だが決して彼は「悲劇のヒーロー」ではない。「悲劇をバネにしたヒーロー」である。だからこそ、私たちは彼に思いを託してきたのだ。

本書は、「ミスターレッズ」と呼ばれ、浦和レッズファンに最も愛された男、福田正博のサッカー人生を彼自身の言葉と、彼とプレーを共にした、または近くで彼を見ていた人達の言葉から綴ったドキュメントである。この250頁余の本の中でも、半分以上は決して良いとはいえない事実が占めている。それは時に皮肉すぎるほどだ。中学、高校を通じて日本一どころか全国大会にも縁がない、大学に入っても優勝どころか2部落ちしないのがやっとというサッカー人生。やっと拾われた三菱でも、いきなりの2部落ち。とことんまで栄光とは縁がない。彼ほどチームに恵まれなかった選手もそうはいないだろう。そしてそれゆえ、常にチームの大黒柱の任を負わねばならない運命。気付けば、浦和レッズは彼のチームであり、監督は、ファンはレッズの命運を10年の間ずっと、彼に託し続けた。それが彼にとってどれほどの重さだったのかは計り知れない。漸く見つけたバトンを渡せる相手、小野伸二は、オランダへと旅だってゆき、彼はまた一人になった。そして、唯一無二の存在として浦和レッズの象徴であり続けたのである。

彼は、日本サッカーのどんなスパースターとも違う存在だ。釜本邦茂、反町康治、木村和史、ラモス瑠偉、三浦知良、中山雅史、中田英寿、彼らはある意味でスーパースターの王道を歩んできたものたちである。しかし福田正博は違う。日本代表ではあったが、本来のポジションが彼に与えられることはなかった。優勝どころか、常に最下位争いをしているようなチームの選手だった。唯一の栄光は日本人初の得点王だったが、それも「PKで獲った」とか「バインがいなければ獲れなかった」などと揶揄された。
それでも言えるのは、彼ほど思い入れを持って愛されたJリーガーは他にいないということだ。カズやゴンは誰もが知っている。ヒデやシンジは海外でも知られている。しかし、福田正博ほど愛された選手は他にいないだろう。

この本の著者、戸塚啓はあとがきで「自分にはこの本を書く資格はないのかもしれない」と語っている。それは彼が浦和レッズの試合を熱心に見続けたわけではないからだという。しかし、おそらくはそれが良かったのだと思う。作者の勝手な、必要以上の思い入れがここにはない。だからこそ読者はそれぞれの福田正博への想いを、この本を読んで再確認できる。

引退会見の、彼の、福田の言葉一つ一つに涙が止まらない。決して浦和レッズというチームは、福田にとっていいチームではなかった。しかし、皮肉にもそうだったからこそ、浦和レッズは、サポーターは、福田正博を必要とした。そして、福田正博と浦和レッズは離れられない運命共同体になったのだ。

『ミスターレッズ 福田正博』とは、なんとそのものズバリのタイトルだろうか。しかし、この名をもって冠することが出来るのは彼以外にいないのである。選手として長い間本当にご苦労様でした。これからは解説者として、指導者として頑張ってください。そしていつか、浦和レッズの監督して活躍する日が来るのを祈りつつ待っています。その時までレッズの初優勝はお預けでも我慢します。ええ、我慢しますとも。


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