ごくたま昨日日記 in April, 2001

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Apr.3,2001 (Tue)

マシン復旧

ダラダラとしていたら一月もかかってしまった。というわけで今日から日記も復活します。それにしても一月も日記書いてないと書き癖が失われて困りもの。

近況

久々にオフに出たり、やっと読書欲が戻ってきたり。復調に向かってるのかなあ。会社からは在宅の仕事を貰いました。給料いくら出るんやろ。
三週間後にはMYSCON2もあるし。頑張らなアカンね。

Apr.10,2001 (Tue)

日記

久々に更新。しばらく日記を書いてないと書き癖が失われる、というのは先日も書いたことだけど、それプラス「書こうと思ってたこと」が溜まりすぎてどれから書いたらいいかわからなくなって、結果書かない、なんていう悪循環に陥ることがしばしば。
 書こうと思ってたことが時代遅れになってることもあるしね。Webの流れは早い。

大体、日がな一日自宅に篭ってるとそうそう日記に書くようなイベントもないのだった。昨年以前の日記なんて単なる日常の羅列だからなあ。ま、覚え書きだから内容なんてなんでも構わないんだけど。

近況

で、最近のshakaはというと、先週末は久々にNさん邸に遊びに行って飯をご馳走してもらったり(リゾット美味かった)、カラオケしたり、totoで一つ外しの二等が当たって狂喜乱舞してみたものの配当金は1306円でトホホな気分になったり(*1)、在宅の仕事をサボってた分、急ぎで仕上げたり、とまあこんな生活を送ってます。

揺れてるよ

相変わらず不眠の日々が続いてるんですが、そのせいもあって昼間寝てることもしばしば(寝てるといっても眠れないから横になる程度なんだけど)。なのに近所で工事が始まったためうるさくてゆっくり寝れやしない。
 家をまるごと建て替えるらしく取り壊してるんだけど、これがまた揺れる揺れる。地震並。酔いそうだよ。
 私の部屋は、下が駐車場のため、凄く不安定な状態なんで揺れ方も半端じゃない。築25年だからそろそろヤバそうな気もするし…。早いところ家を出ることを考えないといけないかも。

[memo]東野圭吾作品について

現在『片想い』を読んでいるので思ったことなど。あくまでもメモ代わりなんで全然まとまっていません。

私自身は東野圭吾の作品はかなり好き。といっても著作の半分くらいしか読んでないけど。まあ、それでも30作品くらいは読んでるからある程度語れる資格はあるんじゃないかと。
 どのへんが好きかといわれると、各作品の感想にも書いているように、まずそのクールな文体ですな。作者の感情といったものを完全に隠し切ったあの文体。いい意味でも悪い意味でも無感情というか、必要最低限の描写で無駄な表現を一切カットしている。あの文体がまず第一に好き。なんというか作者の影が全然見えてこない分、逆に作者の存在をアピールしているような気もします。
 それと、有無を言わさぬまとめ方、でしょうか。ロジック的にまとまってる、というだけでなく、作品として、流れ、伏線、登場人物の感情、そういったもの全てが計算され尽くしているかのような結末。ま、結末だけじゃなく導入からすべて計算尽くしなんでしょうけど(*2)
 『悪意』なんか読み終わって鳥肌たちましたからね。二転三転するストーリーをあそこまで完璧にまとめられるとこっちとしては文句の言いようもないです。

こういった部分が東野圭吾作品を評する時によく使われる巧いという言葉に集約されてるんだと思うんですが、私の周りには、この「巧さ」がどうも好きになれない、という方が何人かいらっしゃいます。RE-QUINさん

 方程式の答えを導かれたような感覚が残るんだよなぁ(2001/04/05の日記より)

、という表現はまさにピッタリな表現だと思いますし。

この「巧さ」が好きになれない、という理由を考えてみたのですが、やはりこれは上記のクールという言葉に反抗するようですが熱さが感じられないのが一つの要因ではないかという気がしてきました。
 小説家というのは良くも悪くも自分の書きたいことを書いているわけで、「書く」という行為の根底には「書きたい」という情熱があると思うわけです(*3)
 よくデビュー作は、その情熱が先走りすぎて粗削りになる、なんてことも言われます。書きたいことを詰め込みすぎたり、登場人物の言葉に思わず作者の言葉が見え隠れしてしまう。こういった部分が情熱ゆえの荒っぽさに結びついているのかもしれません。
 しかし、この「熱さ」が作品の味になっていることもまた事実であったりします。デビュー時代からの粗削りさがなくなって「こじんまりとまとまっている」なんて評価を受けてしまう場合もありますからね。

東野圭吾作品の場合、この「熱さ」を感じる部分は殆どないかもしれません。私自身もこれまでの東野圭吾の著作で「熱さ」を感じたなあ、という作品はあまりありませんね。強いて言えば『天空の蜂』くらいでしょうか。しかし、あれすらもスリリングな展開を醸し出すための作者の業(わざ)と考えることも出来てしまいます。東野圭吾ならそれくらいやりかねませんし。
 そうした「熱さ」を作品から感じられないところが、東野作品は巧いと思うけど好きになれない、またはどうもハマれない、という方々の原因なのかなあ、と。

う、非常に長くなったので、続きはまた明日。


*1: まあ、500円の儲けだったからまだ許せるが
*2: 例外の作品も当然あります
*3: 一般論かもしれませんが

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shaka / shaka@diana.dti.ne.jp