ごくたま昨日日記 in August, 2002

- first 10 days of month -

上旬 / 中旬 / 下旬

最新のごくたま昨日日記へ

2002/08
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

トピック

Generated by nDiary version 0.9.2

Aug.1,2002 (Thu)

daylife

 ドラマ『恋愛偏差値』。今日から常磐貴子のストーリー。カッコから入るエセ上昇志向の女性像というのは、古きに感じていたんだけど、こういう話が受けてるってことは共感されてるってことなんでしょうかね。地方出身者という設定がある種のキモなのかな。
 唯川恵の本は読んだことないけど、女性としては抉られる部分が多いのではないでしょうか。
 稲垣吾郎の役柄は女性にどう受けとめられるのだろう。やっぱり男としてはこういう人間が勝ち組なのかね。

 ドラマの中で常磐貴子が鏡に映るシーンがいくつかあった。それで気がついたんだけど、やっぱりテレビでしか見たことのない人間に対しても「慣れ」というのがあって、普段見ることのない鏡像には違和感がある。そしてその違和感のある鏡像の常磐貴子はいつもより美しく見えないのであった。
 美人は三日で飽きる、という言葉があるけど、見慣れていくうちに美人になっていく(美人に見えてくる)っていう部分もあるよなあ。

Aug.2,2002 (Fri)

daylife

 関西弁には不思議な魅力があると思う。標準語で喋ると浮いてしまうような台詞でも、関西弁で喋ると自然に聞こえたりするから不思議だ。私は普通の人よりも関西弁に対する憧れが強いから余計にそう聞こえるのかもしれないが。

 なんてことを昨日の『恋愛偏差値』のワンシーンを見て思ったのである。
 琴子(常磐貴子)が守屋(山口智充)の工場を訪ねた帰り、河辺で「悪いのは自分じゃないのに、なんで私がこんな目にあわなきゃいけないの」とひとしきりブチ切れた後、守屋は「んなことない、琴子さん頑張ってるやん」と声をかけるのである。
 これが標準語だったら「そんなことない。琴子さん頑張ってるよ」となるわけだ。ここでの文字面だけ見比べると違和感を感じないかもしれないが、あの状況に照らし合わせると、標準語の場合、とってつけた感じが否めない(と私は感じる)。

 ま、これはあくまでも関東人の私の感想なのかもしれませんが。関西の人はどう感じるんでしょうな。とりとめのない文章でスミマセン。

涅槃の読書模様

 『ANOTHER MONSTER もうひとつのMONSTER』ヴェルナー・ヴェーバー、浦沢直樹【→bk1へ】読了。
 うーむ、おぼろげながら姿は見えてきた気がするのだが、確証がない。ま、もとからその辺りは濁しているようにも見えるんだけど。拾い出せる範囲でもマンガを再読する必要があるなあ。
 つーわけで、もう少し待って下さい。週末は予定が入っているので来週になっちゃうかな。

 購入物。

『T.R.Y.』井上尚登

 第19回横溝正史賞受賞作。本作は日中韓の三国合作映画として2003年1月に公開予定。主演は織田裕二。映画の正式サイトはここ

 1911年上海。詐欺師・井沢修は刑務所にいた。更にツイてないことに以前騙した相手が面会に来て、「暗殺者を雇ってお前を殺す」と告げたのだ。その日のうちに早速「赤眉」なる暗殺団体の刺客に命を狙われた井沢。危機一髪のところを救ってくれたのは、中国革命同盟会の関(グワン)だった。関は井沢を刺客から守ることを条件に、革命のため一働きして欲しいと話を持ちかける。やむを得ずその話を受ける井沢。中国革命同盟会の依頼とは、革命のための武器を調達する手段として、日本人の陸軍将校を騙して欲しい、というものだった。井沢は相棒である陳、錠前師のパク、そして関と共に日本に上陸。かくして虚虚実実の駆け引きが始まった。

 映画化もさもありなん、と思うほどにテンポよく、個性豊かなキャラが活躍する作品である。また舞台が1911年のアジア(辛亥革命直前の中国、満州、明治維新後の日本)ということも、ロマンをかき立てる一因となっている。単独の小説としてみた場合、不満もなく、正面から面白い、と言えるだろう。横溝正史賞というのは多少色合いが異なると感じるが、賞を獲る器の作品であることは間違いない。

 ただし、「コンゲーム」という題材を扱った作品、という風に考えるとまた違った感想を持ってしまう。コンゲームものというのは、まず騙す側がターゲットとなる人物を騙すのは当然として、同時に読者をも騙さなければいけない。そこには虚虚実実の駆け引きが存在するわけだ。しかし、コンゲーム、といえば映画『スティング』という言葉が思い出されるほどに完成された先人が既に存在する。個人的に『スティング』『百万ドルをとり返せ!』ジェフリー・アーチャー【→bk1へ】の二作品でコンゲームという形式の完成形は語られた、と私は思っている。そして『T.R.Y.』を読んで、その考えは変わらなかったし、むしろ裏打ちされたといってもいい。その理由は本作を読んだ方ならお分かりいただけると思うが、『スティング』の名場面を彷彿、というよりは思い出さずにはいられない場面が登場するからだ。やはり名作を超えるのは簡単ではないということだろう。

 ただまあ、コンゲームという枠だけでなく小説としては面白いのは確かだし、「騙し」の技もなかなか巧みだ。不満があるとすれば、井沢修という人物造詣にもう一つ深みが欲しかった。特に作中でも「自分はなぜ詐欺をするのか?」という命題が度々出てくるのだが、それに対する答えに至るきっかけやその答え自体に今ひとつ説得力がない。むしろ、そんな命題を出さない方がよかったのでは?と思ってしまう。また井沢の相棒であり、気のいいキャラとして作品に明るさを生んでいた陳が、ああいう風になってしまうのはいただけない。作者としては物語に起伏を与えるための手段だったのかもしれないが、その代償に不快感が残り、私はそっちが勝ってしまった。
 それと最後に、「T.R.Y.」というタイトルはいったい何を意味しているのか、全然わからない。私がこれまでこの作品に手を出していなかった大きな理由も、これにあると思う。センスがなさすぎるし、作品を読んでもこのタイトルの意味は伝わってこなかった。タイトルって大事だと思いますよ。

 余談ですが、コンゲームものでその他にオススメできるのは『イングランド銀行をカモれ!』スティーブン・シェパード『紳士同盟』小林信彦などがあります。どちらも絶版みたいですが…。また後者は角川映画で薬師丸ひろ子が主演して映画化されてます。ただ、映画ならば同名のイギリス映画の方が面白いかな。

7月の読了本一覧

Aug.4,2002 (Sun)

daylife

 とうとうEXILIMを買いました。実のところまだ迷ってはいたのだが、新宿のビックカメラで「品切れ」と言われ、ちょっと焦った。次にヨドバシカメラで聞いたところ「今日だったら即日で売れます」と言われる。しかも、税込値段で20%のポイントがつき、店頭で配布していたクーポン券により、さらに1000円安くなる。実質23000円で買えると知り、速攻で銀行で金を下ろし購入。
 まだちょこっと触った程度だが、とにかく小さい薄い。噂に聞いた反応速度の速さは気持ちいいくらいだ。自分にとってのデジカメの不満の一つであった反応速度がこれだけ短いとストレスなく撮ることが出来る。液晶も見やすい。マクロ撮影が出来ない、という点が弱点に挙げられていたが、個人的にはそれよりもレンズカバーがない方が残念。やはりケースは必要だ。純正ケースがあるのだが、雑誌やWebのレビューでは名刺入れなどにも入る、と書かれていたので気に入ったものを探してみようと思う。
 さて、問題は何を撮るか。別に必要性があって買ったわけじゃないんだな、これが。こういう買い物も久し振り。

 シアターモリエールで観劇。劇団員が客演で出演しているのだ。頑張っている人の熱気を目の前で感じる。今の自分には目に痛い。辛いほどに。

 終演後、見に来ていた他の劇団員達が流れていくのを見送り、一人帰宅。当然、皆は今観た芝居のことを話すだろう。でも、今の自分が何を言っても言い訳にしか聞こえないと思い、辞去。もどかしい。

『スペーストラベラー』SUPER☆GRAPPLER[play]

 それでも一応の感想は語っておく。簡単に。

 ブラックホールの向こうの次世界へと人々を誘う宇宙船、人類初の大型移民船を舞台にしたSFチックな話。なのだが、ストーリーに明確さを求めるとツッコミどころか多すぎるので、そういう芝居ではないと信じてレビューしよう。

 プロローグの「ハッピー、バースデイ」を聞いて、「本船の航行期間は10ヵ月と10日です」と聞けば勘のいい人ならすぐに気がつくだろうし、それに気づけば、似たようなSFをいくつか思い出すことも可能だろう。で、まあそれがテーマ的なものだと思うのだが、テーマとして掲げるにしては弱いかな、と。別にテーマとして掲げていないんならばいいんでしょうけど。
 そういう話にしてはクルーに女性が多かったのは逆暗喩なのかなあ、とか。結局勝ち残るのは男性なんですけどね。

 印象に残っているのは役者陣の動き。キビキビしてキレがあってパワフルだった。決して若い人達ばかりでないと聞いていたので、「ここまで動いてもらえれば演出家としては嬉しいだろうなあ」というのが本音。「上手いな」と感じさせる役者さんは残念ながら少数だったけど、見た目にあれだけ動ければ、舞台は映えるでしょう。

 ただ、観ていてどうにもハマれなかったのは、色んな点で唐突というか、観客を置いていくところが多かったから。ギャグにしても、突き放されてる感じがして、「笑い」という意識が観客にまで伝わってこない気がした。展開にしても、ちょっといきなり過ぎないか、という部分が目立った。笑いにしても感動にしてもある種のカタルシスを得るためには、その準備というのがある程度必要だったりすると思うのだが(*1)、それがない。突然舞台の上で泣きの話が展開されても観客としては準備が整っていないので、入っていくことが出来ないとか、そういう感じかな。ただ、演出家の意図がそういうものなのだとしたら、それはそれなんですけどね。個人的には「?」と首を傾げてしまうことが多かったのは事実です。それがつまらない、ということではありませんが。

 それにしても、自分の中での「面白い」という感覚がホントに壊れてきてる気がする。それが一番キツかった。

涅槃の読書模様

 『コンビニ・ララバイ』池永陽【→bk1へ】読了。タイトル通り、コンビニを舞台に、その周辺の人物達の人間模様を連作短編という形式で描いた作品。それぞれの話で描かれるのは様々形の男女の愛。裏表紙の折り返しの著者の紹介で「サムシングエルスを感じさせる作家」と書かれていたが、まさしくその通りである。明確な結末がある訳ではなし。もう少し先まで書いてくれ、と思わせる作風である。個人的には、…痛すぎです。自分の「愛」に自信がない人は、その痛みを覚悟して読んだ方がいいでしょう。素直に泣ける人は自信がある人だと思いましたです、ハイ。

 コンビニを舞台にした物語、というと私がが思い出すのは、10年ほど前にテレビドラマ、『深夜にようこそ』である。山田太一が脚本で、TBSだったかどっかで五夜連続という形式で放映された。これがまたいいドラマだった。深夜のコンビニでアルバイトする松田洋治、そのコンビニにある日アルバイトとして入ってきた謎の男、千葉真一。この二人を中心に語られるストーリー。一つ一つは小さな何気ないエピソードなのだが、深夜のコンビニという一種の異空間が舞台なだけにそれが際立ったのかもしれない。再放送されないかなあ。


*1: 芸としての「笑い」には必ずしも必要ではない

Aug.5,2002 (Mon)

daylife

 車を車検に出す。見積もり見てビックリ。そっか6年目はそんなに高くなるのか。予想してたのと開きがあり過ぎた。これで再び赤貧生活に逆戻り。EXILIM買ってる場合じゃないっつーの。特に夏休みの予定もないからなんとかなるだろ。

 『ランチの女王』見て、『ハッスルでいこう -1〜6-』なかじ有紀読んだら腹が減って腹が減って…。あー、美味いもの食いたい。

涅槃の読書模様

 病院での時間待ちで『ANOTHER MONSTER もうひとつのMONSTER』ヴェルナー・ヴェーバー、浦沢直樹【→bk1へ】をもう一度読む。うーん、これって明確な誰かを指し示すことが可能なのかなあ。メタフィクション以上に、それぞれの証言を信用できないしなあ。とりあえず私の推論は一つ。ただ、その証拠は、となると弱い。

 古本屋で以下を購入。

Aug.6,2002 (Tue)

daylife

 市川憂人さんのサイトで行われている『INO's Mystery Forest』21万ヒット記念クイズ企画『題名のない一言かーど』を見てみるが、じぇんじぇんわからない。もともと新刊読みじゃないから当然といえば当然なんだけど。二つほど「これかなあ」と思う作品はあるにはあるが。新刊読みの方は挑戦してみてください。

 この夏用にスーツを新調したんですよ。去年、一昨年と夏場は仕事してませんでしたから、三年も前のスーツってのもねえ、と思って。なけなしの金でコナカに行って、28000円で2パンツスーツ買ったですよ。私は青山よりもコナカ派なんですよ。どうでもいいことですけど。
 で、新しいスーツ着て会社に行き始めて一週間後、内示が出たんですよ。カジュアル・エブリデーって。おいおいこのスーツどうするんだよ。しかも2パンツだよ。
 というわけで、この暑さの中、周りの皆がラフな格好で仕事してるのに一人スーツで仕事してます。まあ、毎朝何着ていくか考える手間はなくていいんですけどね。でも今日の暑さにはちょっとだけ後悔しました。

涅槃の読書模様

 『暗色コメディ』連城三紀彦読み中。これ、頭が疲れてるときに読んじゃいけません。脳内が変調をきたします。
 しかしまさか『TRICK2』で使われていたあのトリックの元ネタがこんなところにあったなんて。しかも捨てネタに近い。おそるべし連城三紀彦

 購入物。

Aug.7,2002 (Wed)

daylife

 今日は特に書くような出来事もないので、いくつかのサイトを巡っての雑感を。

 嵐山さん日記からSAKATAMさん黄金の羊毛亭「SFミステリ作品リスト」を知る。これまで手を出していなかったアイザック・アシモフ『鋼鉄都市』シリーズと、手をつけようかどうしようか迷っていたロバート・J・ソウヤーに手をつけることに決定。まずは『占星師アフサンの遠見鏡』からかな。

 いろんなサイトに特設されてる企画ページ(?)には面白いもの(噂のあのキミとか)が多いんだけど、そういうのばかりを集めたリンク集とか便利そうでいいな、面白そうでいいな、と思ったり。でもそればっかりリンクしたら失礼ですかね。

 MAQさんJUNK-LANDの名物コーナー『ぐぶらん』『暗黒童話』乙一が取り上げられている。ゲストは夏休み満喫したらしいこの男乙一はなぜか食い指が動かず本作を含め、全作品未読なんだけど、とりあえず『ぐぶらん』は好きなので読んでみた。
 率直に言って…うーん、もう「本格、本格」っていうのは私にとってはどうでもいい話題になってきたなあ。正直、そこにこだわってしまって作品を素直に楽しめないっていうのは悲劇なんじゃなかろうか、とか。これはジャンルということにもいえることだと思うけど。「ミステリじゃないじゃん」とか「SFじゃないじゃん」とか「ホラーじゃないじゃん」とか言っても始まらないというか。ジャンルや形式を守ることで何かが生まれる(維持される)というのはあるのかもしれないけど(ホントにあるかどうかは知りません)、逆にそれが幅を狭めてしまう(色んな意味で)こともあるんじゃないかなあ、と。
 それと私自身は、本格であろうがなんであろうが物語として面白くない作品を読みたいとは思ってません。謎解きだけ優れてても、そういう作品に巡り会ったら「つまらん」と思うことでしょう。犯人当てクイズじゃないんだし。
 付け足し。これはスタンスの問題になっちゃうかもしれないけど、作品と作家はあくまでも別個だと私は思ってます。作家がどう考えて何を書こうと、それを判断するのは読者だと私は思ってます。

 蔓葉さん日記に書かれてることがまさしく、私が白黒学派に求めていたことで、私のような難しい言葉や定義を解していない者、哲学や評論というと腰が引けてしまう者にとって白黒学派が間に入って手助けしてくれるといいなあ、と勝手に思ってました。あ、これ批評郵便で送った方がよかったかしら。
 最近いくつかのミステリ系サイトで哲学的(なにかどうかすらわかってないが)な論考がなされているのを見るにつけ、「もっと理解力や知識があったらなあ」と思ってしまうのでした。

 他にも書こうと思ってたことがあったような気がするけど書いているうちに忘れてしまった。
 皆さんのサイトを巡ってていつも思うことだけど、自分のセンスのなさには哀しくなる。

涅槃の読書模様

 『暗色コメディ』連城三紀彦読了。まさしく『幻影城』という作品。いったい何が現実で何が妄想か、わけわかりません。読者の頭の中までも狂わしてしまう作品。ただこれは連城三紀彦の筆致だからできたことで、筆力のない作家がやったら「なんじゃそりゃ」と言われても仕方のない作品かもしれません。読者を見事に踊らせているかのように見えて、実は見事な踊りを見せられていた、そんな感じ。

『ANOTHER MONSTER もうひとつのMONSTER』ヴァルナー・ヴェーバー、浦沢直樹

 まず断っておくと、この本は国民的人気を博したマンガ『MONSTER』浦沢直樹を読んでないと、これっぽっちも内容を理解できません。それを踏まえた上でのレビューです。

 オーストリアのある病院で、医師と二人の看護婦が斧で惨殺された。犯人は三人を殺害後、「ひとり、ふたり、さんにん……これで使命は果たした」という謎の言葉を残す。取調べの結果、犯人であるグスタフ・コットマンはこれまでにも何人もの人間を殺害してきたシリアルキラーだった。
 しかし、それらの殺人と今回の病院での殺人には手口に共通点が見当たらない。さらにコットマンの背後に見え隠れする一人の人物。ジャーナリストのヴェルナー・ヴェーバーは、コットマンは何者かに操られ、その命令に従い最後の殺人を犯したのではないかと推測する。その推測はある一連の事件を想起させた。その事件とはドイツで起こった「ヨハン事件」である。彼はオーストリアの事件とドイツの事件の繋がりを求め、「ヨハン事件」の関係者をインタビューして真相に近づこうとするのだが…。

 と、いうように「ヨハン事件」を現実に起こった事件と想定し、さらにはオーストリアで似通った事件が起こり、「もうひとつのMONSTER」すなわち「ヨハン」ではない「もうひとりのMONSTER」を突き止めようとするルポ、という形式をとっている作品である。『MONSTER』にどっぷりはまった読者なら、作品を更に深く読み解くための読本として楽しめるだろう。マンガだけでは理解できなかった、また描かれていなかった部分まで突っ込んでいる。それを「知らないままにしておきたかった」読者もいるかもしれないが。基本的にはチェコとドイツという国にまたがる歴史的背景が作品の重要な鍵になっており、当時の状況や背景を知ることができるだけでも重用である。

 しかし、この作品の肝はそこではなく、突如オーストリアに現れた「MONSTER」はいったい誰なのか?、という点である。ミステリではないので、犯人が特定されるわけではない。私が読み込んだ限り決定的な証拠となるようなものもなく、あえて濁していると思われる。が、それでもいくつかの推論は可能だ。というか推論しか可能でないのだが。

 【以下ネタバレ→】
 犯人を特定するための鍵がいくつか存在するが、その中で私が手に取ったのは、ヴェルナーの云う「事件は環をなしている」という言葉と、そして映画『第三の男』である。そして、この二つのキーワードから私が導き出した結論は、「もうひとりのMONSTERはヨハンの父親である」というものである。
 事件が環の構造をなしている、というのは「ボナパルタとボナパルタの父親」との関係が、そのひとつ下のジェネレーションである「ヨハンとヨハンの父親」という関係を暗示していることに間違いない(これはいくつかのエピソードが補完している)。
 そしてその人物の周囲に映画「第三の男」の影がちらついている、というのは映画のストーリーの背骨部分に当たる「死んでいたと思われた人物が実は生きていた」という暗示であろう。ヨハンの父親はマンガでも、この本でも最後まで存在が特定されていない。職業、年齢、国籍はおろか、名前までも。ただ、「死んだとされている」と記述されているのみである。存在が特定されていない人物なのにどうして「死亡した」ことが判明しているのか?。これは大いなる謎であり、そこにこの情報の真偽を疑うポイントがあるように思われる。
 さらに邪推するならば巻末に掲載されている「めざめるかいぶつ」という童話は、最後に自分の名前を呼ぶことで「かいぶつ」を目醒めさせるが、この名前が伏せられているという点、「自分と同じ名前」という点からも、主要人物の中で唯一名前が登場しないヨハンの父親、さらに父親と息子は「同じ名前」を持っていてもおかしくない、という風に取れないこともない。
 これらは私が自らの推論を固めるために抜き出した都合のいい要素かもしれないが、あえて答えを出すならこういうことになるだろう。もしかしたら単純にヨハンのほかにもボナパルタの元で「怪物」として育てられた子供がいた、というだけかもしれないし、「怪物創造」という試みはチェコだけでなく、世界中で行われているのだ、という暗喩かもしれない。後者の方が、ホラーとしてはオチがつくような気もするが。とりあえず、こんな感じである。
【←ネタバレ終わり】

 というわけで、「もうひとつのMONSTER」についての考察は以上。
 最後になるが、これは本作に限ったわけではなく、マンガを読んでいても引っかかっていた部分で、本作を読んでさらにそれが補強されたので書いておく。それは優秀な心理学者であり、「怪物創造」というプログラムだけでなく数々の恐るべき人体実験を行ったフランク・ボナパルタという人物が、ああまで改心してひっそりと生き延びていたりするものだろうか、ということである。それも誰からも狙われず、忘れられたかのように。それだけがどうしても腑に落ちない。ゆえに、あのボナパルタが本物なのかどうか、という疑問まで沸いてしまうのだが…。

Aug.8,2002 (Thu)

daylife

 『格闘伝説 LEGEND』ノゲイラ菊田の試合以外は観る価値無し。最高につまらない伝説が生まれました。まあ、プロレスファンはそれなりに満足したのかもしれないが、総合格闘技としてはマッチメイクの時点から「?」がつきまくりで、この結果もむべなるかな。
 さらに日テレの放送不備が目立った。これで日テレはしばらく格闘番組を生放送出来ないんじゃないかな。
 というわけで『DYNAMITE』の方に期待したいと思います。

 ああ、↓の文章書いてたら『恋愛偏差値』見忘れた!。

本格をめぐる冒険

 というわけで、昨日の私の日記の「本格、本格はどうでもいい」発言に対し、がくしからリアクションがありましたので、礼に反しないようにこちらも返答。

 言葉が足りなかった部分もあるかもしれないので、まず始めに書いておく。私自身、「本格」に限らず「ジャンル」も含めて、それらを意識すること、多少のこだわり(多少というレベルの限定が難しいが)をもつことを悪いことだとは思ってはいない。私だって今年のMYSCONでの早朝の議論を持ち出すまでもなく「ミステリ」というジャンルや定義を意識しているし、それが一つの基準になっていることも確かだ。だがそれが一つの物差しではあるものの、唯一絶対の判断基準ではない。
 であるがゆえに、楽志のいう、

他人に「おもしろさ」を語るときにコミュニケーションの道具としてすでにある「おもしろいと思う作品の集合体」につけられた分類子があればそれと照らし合わせることによって「おもしろさ」を具体化して議論しやすいと言うだけの話しであると僕は認識しています。

 という意見には多いに賛同する。というか、楽志が昨日の日記で述べていることに対する反論は殆どない。さらに「ぐぶらん」での楽志やGooであるMAQさんに対しても異論を差し挟もう、という気にはならない。むしろ見方としては同じ立場側に立っていると思う。この辺が昨日の日記で、誤解を招いてしまったかもしれない。ただ「多少のこだわり」と前述したように、本来分類子であったはずのものが、唯一絶対の判断基準になってしまうことを恐れてはいる。「本格」じゃねえからダメなんだよ、SF以外は認めないんだよ、なんてことになったら悲劇だよなあ、と。ただ、これは「ぐぶらん」と直結した感想ではありません。

 私が、昨日の日記で思わず「どうでもいい」と書いてしまったのは、まず「ぐぶらん」が『暗黒童話』乙一という作品を論ずる場であるという前提で、Booであるayaさんの、特に4章の部分での本格に対する発言、というか態度があまりにも専制的であると感じたからである。いきすぎな言い方かもしれないが、こうした独善的(と私には感じられる)な「本格」定義は「どうでもいい」と、そういうことである。議論したり、お互いの意識を刷りあわせる、という行為自体を否定するものではない。というか議論、刷りあわせの結果から生まれた「本格」定義に基づいて、作品が論じられることが望ましいと思う。実際ayaさん本人も、

“本格として”評価しようなんちゅうコト自体、ヤボの極みのようにさえ思えるんだよね

 と発言しているのだから、尚のこと「本格、本格はどうでもいい」と思ってしまったのである。だから『暗黒童話』は面白いの?面白くないの?、どういうところが面白いの、面白くないの?、というところで「本格としてはさ」というのは果たしてどうなのよ、つーこと。
 だからして、「ぐぶらん」での楽志の発言に文句があるわけでもなく、

 僕にとって「本格として面白い」作品はかならず「物語として面白い」とイコールです。勘違いされると困るのですが、 本格ミステリも物語です。

 という楽志のスタンスに対してもなんら抵抗は感じないし、理解しました。で、それを踏まえて私が「物語として面白くないものを読みたくない」と書いたのは、ayaさんの以下の発言を受けてのもの。

本格ミステリというのは、たとえ“物語として不自然だったり不都合だったりしても、本格であるがゆえに優先されるべきことがある”んだと思う

 これが私には「物語としていて破綻していても、本格であればいい」という風に読めてしまったのだ。実際ayaさんがどういう意味で発言なさってるかはわからない。ただ私としては「本格として認められても、物語として破綻している作品」を読みたいとは思わない、ということである。

 以上が、楽志の日記を受けてのお返事ですが、うーん、あんまり上手い返事にはなってないかもしれない。スマン、がくし。ただね、勝手な言い分だけど私としては、MAQさんやayaさん(*1)や楽志が『暗黒童話』をどういう風に評してくれるのか、乙一未読の私としては、読んでみて面白いのか、そこが一番気になっていたし、楽しみにしていたんだよね。それが「本格」としてという評価基準、または「本格」談義になってしまって結果的によくわからなかったのよ。それが「本格、本格はもうどうでもいい」という発言に行き着いたと自己分析してみました。それもどうかな…。

涅槃の読書模様

 車検に出したお店の近くに古本屋があったので入ってみたら、なんとラッキー。以下を購入。

 つーか、講談社文庫の森雅裕は一揃いありました。他は既に持っていたので買わなかったけど。あるところにはあるもんだ。
 BOOKOFFで以下を購入。


*1: 昨日も書いたが私は「ぐぶらん」のファンなので

上旬 / 中旬 / 下旬

shaka / shaka@diana.dti.ne.jp