ごくたま昨日日記 in May, 2003

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トピック

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May.21,2003 (Wed)

daylife

今日は通院のために会社を休む予定だったので、昨晩はグッスリ眠れるようにと久しぶりに眠剤を飲みました。そしたらこれが回る回る。夜中の2時くらいに飲んだら、2時半からの深夜ドラマ『珍山荘ホテル』もろくに記憶に残らないほどに。それから寝ようとしてベッドまで歩くのもフラフラ。
結局翌日の今日まで効果が残ってしまい、昼過ぎに起きたのはいいが身体はダルダル。弱い眠剤だったのに久しぶりだとこれほどまでに効果覿面だとは。おかげでよく眠れたけど。

U-22のニュージーランド戦は特に言うことなし。ま、練習試合としてはそれなりの結果だったかな。特に問題ない相手との試合で何を言えばいいのか。

今日は一日中マンガを読んでいた。読み過ぎで眠剤の効果と併せて頭が働きません。今日はこんなところで。

涅槃の読書模様

『神々の山嶺 -1-』夢枕獏/谷口ジロー【→bk1へ】一気読み。これは名作としか言いようがない。5000円の価値は充分あった。

ブックオフで以下を購入。

May.22,2003 (Thu)

daylife

そういえば昨日ブックオフで、ベース漫談のはなわのCDデビュー曲『佐賀県』を聞いた。私は元々はなわが大好きだが、このCDはダメだね、面白くない。内容的には普段はなわがテレビでやっているネタをそのまま使ったものなのだが、このCDの製作者はあの漫談の面白さ、というかはなわという芸人の面白さを理解していない。

はなわの面白さ、「売り」といってもいい、それは間違いなくベース漫談という点にある。なんでベース?、という疑問。殆どメロディラインがなく、地味にボンボン鳴ってるだけのベースで漫談するからこそ「みじめっぽさ」が際立って、それが笑いを誘うのである。ベースとはなわの自信なさげなパフォーマンスがマッチしたり、強気な態度やどぎついネタがギャップして面白いのだ。

しかし、発売されたCDはベースだけでなく、普通の楽曲として『佐賀県』が作られているのである。これでは少しも笑えない。わざわざCDにするのだからどうせならベース以外も、という考えだったのかもしれないがまったく無用である。おそらく、これまではなわを知らなかった人達が聞いたとしてもあまり笑えないだろう。残念なことだ。本当は面白いのに。個人的には『佐賀県』よりも『埼玉県』のネタの方が面白いと思う。

余談だが、はなわの新ネタ『神奈川県』を私はまだ聞いていない。これがまたいつも以上に辛辣で面白いらしい。神奈川県民としては是非とも聴きたいところである。
まさかはなわのことでこんなに長い文章書くことになるとは思わなかったなあ。

時計を忘れて街に出よう

遅ればせながらえびすさんの日記を読んで。
ネットで知り合った友人や、私が大学生だった頃以降の友人は信じられないかもしれないが、これでも昔は時間に非常にうるさい人間だった。待ち合わせ15分前は当たり前だし、朝起きる時間も必要とする時間の30分前には起きていた。学校に着くのは始業時間の40分も前である8時頃。高校卒業時には無遅刻無欠席で皆勤賞まで貰ったほどだ。

ルーズになる前の私は結局、「時間神経症」だったのだと思う(そんな言葉があるかどうかは知らない)。暇さえあれば時計を気にする、そんな感じ。
テストのときは一問解く毎に時計を見る(それがタイムロスになると理解はしていても)。駅まで歩くのに30秒ごとに時計を見て「よし、間に合う」と確認する。起きてから15分もあれば学校に行く用意ができるのに、「もしかしたらいつもより長く食事の時間がかかるかも」と思い、早めに目覚ましをセットする。待ち合わせのときは「電車が事故で遅れるかもしれない」と15分は余裕を持って出掛ける。そんな感じである。

そんな私がどうしてこれほどまでにルーズな人間になったのか。それは、二つのきっかけがある。
一つは、高校三年の時に書いたショートショート(*1)。これは、あるバーで人待ちをしている女性を観察する男の想像を書いたものだったが、これを書くときに「待つ」という行動を考察することになった。
例えば、待ち合わせの15分前に自分が来たとする。その場合、まだ待ち合わせ時刻になっていないのに「まだかな」とイライラすることはないだろうか。そして友人は待ち合わせ時間ちょうどに到着。友人はなにも悪くないのに「15分待たされた」ような気になる、というようなことである。
つまり、自分の時間に対する「過剰な意識」が自分にとって、時には他人にとっても「心臓に良くない」状態を引き起こしている、というようなことを思いついてしまったのである。

もう一つのきっかけは、大学に入った頃、何かで読んだエッセイ(村上龍だっただろうか)である。そのエッセイには次のようなことが書かれていた。

「今の日本には時計が溢れかえっている。駅にも銀行にも街角にも、ふと周りを見渡せばどこかに時計があるのが普通だ。街を歩いていれば知りたいときに時間がわかる。それなのに、人間はわざわざ腕時計をして時間を気にする。人は腕時計をして時間を管理しているつもりだが、本当は時間に縛られているだけなのだ」

それを読んだ私は、自分が如何に時間というものに縛られているかを知った。もともと神経症的なきらいはあったが、こと時間に関していえば、まさしくその通りだったからである。

次の日から私は腕時計を外すことにした。そんなことで自分の時間に対する神経症的な部分がなくなるのかどうかはわからなかったが、とりあえずそこから始めてみたのである。以来、腕時計をはめたことはない。

その結果どうなったかは、私を知る人ならご存知だろう。遅刻して他人に迷惑をかけるのは明らかによくないことだが、少なくとも昔よりは時間という「呪縛」に囚われなくなったことについては満足している。
したがってこれからも腕時計をはめることはしないだろう。ただ、遅刻はなるべくしないように心がけたいですね。

なんか激しく話がずれたような気がしないでもない。

涅槃の読書模様

『スパイたちの夏』マイケル・フレイン【→bk1へ】読了。

購入物。

『神々の山嶺 全5巻』夢枕獏/谷口ジロー(BJ愛憎版コミックス)【→bk1へ】[comic]

第11回柴田錬三郎賞を受賞し、ベストセラーとなった夢枕獏の原作を谷口ジローが漫画化した。
「もしマンガにするなら作画は谷口ジローで」と著者の夢枕獏自身が考えていたらしい。

本作は、小説『神々の山嶺』の忠実な漫画化である。しかし、小説の忠実な漫画化であるから素晴らしいのではなく、一つのマンガ作品として名作である。小説とマンガはあくまでも別物であるが、個人的には小説を越えたとすら思う。その理由はなんといっても「山」の描写である。

山に詳しく、自分でも登山をする人ならば、文章による描写だけでも山の姿を、風景を想像することができるかもしれない。しかし、私を含めそれが困難な人は多くいるに違いない。登山に関する用具に関しても同じことがいえる。その弱点をマンガという手法は補ってくれる。しかし、もし絵に小説の凄さを伝えるだけのパワーがなければ反対に仇となってしまうこともある。それを谷口ジローは見事に、忠実に、いやそれ以上にマンガにして見せてくれた。
ラストで深町が見る「世界最高点の風景」などは鳥肌すら立つ。

しかも本作は小説の得意分野である内面描写をなるべく損ねないようにモノローグが多用されている。その場合の絵は添え物だ。マンガ家としては絵でも表現したくなるところを、最低限の絵で、文字をあくまでも主役にして構成されたページが多くある。これもまた素晴らしいところだ。

物語の巧さは今更いうまでもない。最初、読者は深町の立場になって羽生丈二という男を追いかけ、今度は深町という男を自分が追いかけているのに気付かされる。そして、自分も山への渇望にとり憑かれる。

あまりに迫力に尻込みする人がいるかもしれないほどのマンガである。立ち向かえる人は読むべし。


*1: テキストに起こしてみようかと一瞬思ったけど、需要があれば

May.23,2003 (Fri)

daylife

昨晩も妙に眠くて早めに寝たというのに、今日もどうにも眠い。集中力まるでなし。眠剤がまだ残ってるとは考えられないので、眠剤のせいで身体が眠る感覚を取り戻しつつあるということかもしれない。それはそれでいいことなのだが、この眠さはちょっと困りものだ。

微妙にダウナー。いや、考えすぎの悪い癖か。考える対象がハッキリしてないのが尚悪い。不完全燃焼なのかな。

涅槃の読書模様

『捕虜収容所の死』マイケル・ギルバード【→bk1へ】読み中。

『スパイたちの夏』マイケル・フレイン(白水社)【→bk1へ】

ウィットブレッド小説賞受賞作。どんな賞かは知らない。

第二次大戦下のイギリスの田舎町。「クロース」と呼ばれる住宅地に住むスティーブンは、キースという少年と行動を共にしていた。
毎日のように新しいゲームを考え出すキース。ある日、そんなキースが呟いた、たった一言が、僕たちの運命の歯車を狂わせた。

やっと読み終わった。というのがまず一言めの感想。分厚くもなければ二段組でもないごく普通のハードカバーなのだが、とにかく読みづらかった。もとの原文も(おそらくは)相当凝った言い回しになっているのだろうが、とにかく翻訳が凝りすぎ。普通の単語や表現は一切使わないと翻訳者が決めたかのように、いちいち読み解くのに頭を使わねばならない。それが辛かった。

結果としてストーリーを追うよりも一文一文をまるで訳すかのように読んでしまったため、面白さも半減。後半になって話が盛り上がってきたところでも、そのままストーリーを追わせてくれず、細々とした描写が行く先を阻む。ウィットブレッド小説賞というのはこうした七面倒臭い表現の作品に与えられる賞なのかもしれない。

もしも、こういう文体や表現を「文学的」とか「美文」だとか言うのなら私には永遠に文学は理解できないだろう。

内容的にもラストの「驚きの仕掛け」に関しても、ロアルト・ダールの短編にありそうな感じ。そして、ダールなら間違いなく短編で、読みやすく書いているだろう、という話。つか、その「驚き」すらも読み解くことに集中してないと理解できないんで驚き半減、みたいな。

10歳くらいの少年たちというのはどこの国でも似たような行動や思考、感情を持つのだなあ、という感想と共に、その頃の行動や思考を大人(それも老人)の感覚で覗きこむと、とても愚かで正視できないものになるのだな、ということであろうか。

『ジパング -11-』かわぐちかいじ(モーニングKC)【→bk1へ】[comic]

草加の命を受け、新聞記者に成りすまし、ヒトラー暗殺という大役を果たそうとする津田。果たして歴史を変えることはできるのか。

ほぼ一巻まるごとヒトラー暗殺にまつわるエピソード。久々に草加の人間らしい部分が描かれています。そして、もう一つの草加の秘策がまた驚き。やっぱ、かわぐちかいじの発想は凄いわ。

「みらい」が一切出てこなくて物足りない部分はありますが、そういう意味では『沈黙の艦隊』と同じように進展して来ているということですね。個人的にはこのまま政治的な話になっていくのは好ましくないので「みらい」の活躍を願うところです。

『勇午 -21-』真刈信二/赤名修(アフタヌーンKC)【→bk1へ】[comic]

パレスチナ編、これで完結、なのかな?。予想はしていましたが、さすがに辛い話です。勇午史上もっとも後味悪いというか、勇午をもってしてもこの問題は解決できない。勇午の無念さが伝わってきます。

テロではなく、正々堂々と戦え、という勇午の台詞は部外者だからこそ言えるのかもしれませんが、頭に血が上った当事者たちでは、もうどうしようもないところまできているのかもしれませんね。

ただ、勇午はやはりネゴシエイターとして、もっとスッキリする話が読みたいです。

May.24,2003 (Sat)

daylife

今日もまたボードゲームの普及に努めてきました。見事に術中にはまってくれたようなので嬉しい限り。また、やりましょう。

そして、なぜかボードゲームをやる日は手巻き寿司を食べる、というジンクスが生まれました。って、二回だけやん。

禁煙か、うーむ。

涅槃の読書模様

お借りした本。

May.25,2003 (Sun)

daylife

いくらでも眠れる今日この頃。今日も夜までグッスリ。何もしない一日で終わってしまった。とはいえ眠れることは幸せです。

部屋がいよいよ大変なことになってきたので、思い切ってマンガを処分することを決意する。といっても、まずは1/10にあたる200冊だけ。思いついただけで行動に移してはいませんが。処分する200冊を決めるだけでも時間がかかりそう。100冊くらいはすぐにでも決まるんですけどね。
整理が終わったら、処分する前にここで引き取り先を募集するかもしれません。200冊くらいならリスト化できるだろう。
自分で所有しているマンガを探し出せずにブックオフで立ち読みしているのはどう考えても本末転倒だ。

とはいってもこれだけの分量を一人で整理するのはキツイなあ。後輩でも呼んで手伝わせようか。処分するマンガを報酬にして。

『堂本兄弟』のゲストがあややだ。うーん、「午後の紅茶」のCM見てても思うんだけど……太った?。

May.26,2003 (Mon)

daylife

『春の日は過ぎゆく』のDVDをやっと見ることが出来た。感想は明日。
しかし、イ・ヨンエさんが韓国人でよかった。もし日本人だったら追っかけどころかストーカーになっていたかもしれない。それくらい彼女の魅力にクラクラである。

そう、合言葉は「イ・ヨンエのためなら死ねる」。

かがり火のもとに

うーん、滅・こぉるさんは鋭いなあ。確かに件の話は「火事」になるのを恐れて慌てて火種を消したところはある(あくまでも私の場合)。誤解を招きそうな部分もあったし。

この件に関しては色んな意味で私に非がある。賞の選考やそれに対する審査員のコメントに対して考えている時期で、あの日たまたま目にしたとある賞の審査員コメントを読んだ途端、感情が昂ぶってしまい、詳細な説明もなしに、しかも自分一人が感じた想いを、あたかも一般論のように語ってしまった。
おまけに、それを認めるのが嫌だったので、(批判や意見が直截的に自分に振りかからないことをいいことに)お茶を濁したような回答で蓋をしてしまった。

つまるところ、冷静になってみれば独りよがりな意見であり、万人を納得させるような解説は正直不可能である、ということがわかっただけである。後日の日記で「勘弁してください」と書いたのは、そのような含みもあった。

と、これだけで終わってしまっては、結局スッキリしないことだろう。とはいえ、私の中にあるのは、賞関連の様々な記事から感じたり考えたりした断片的な想いだけである。それらを上手いこと線で繋いで論旨を組み立てることができればいいのだが、どうにもうまくいかない。線で繋げることはできても自分の思う結論へと行きつかない。

滅・こぉるさんのかがり火が自分にとっての新たな道を照らしてくれるかもしれない。また時間を経て考えがまとまったら書くことにしよう。

涅槃の読書模様

『捕虜収容所の死』マイケル・ギルバード【→bk1へ】読み中。

購入物。

『おれは非情勤』東野圭吾(集英社文庫)【→bk1へ】

『五年の学習』と『六年の学習』に連載された各三編と、書き下ろし(?)ジュヴナイル二編が収められた短編集。

【6×3】
体育館で殺された女性教師。死体の横には「6×3」と書かれたスコアボードが。ダイイングメッセージの意味するものは?。
【1/64】
体育の時間の最中、生徒の財布が盗まれた。クラスの子供たちの間で交わされる「バカドジ」という謎の言葉の正体は?。
【10×5+5+1】
教育熱心だった新任教師が3階の教室から落ちて死んだ。自殺か、他殺か。何かを隠しているクラスの子供たち。真相は?。
【ウラコン】
クラスの女子生徒が飛び降り自殺した。一命はとりとめたが、動機がわからない。生徒達が内緒にする「ウラコン」とは?。
【ムトタト】
「運動会を中止しないと学校に火をつける」という脅迫状が届いた。いったい、どの生徒が?。
【カミノミズ】
「カミノミズ」と書かれたペットボトルの水を飲んだ生徒が中毒を起こした。水には砒素が混入されていた。砒素を入れたのは誰?。
【放火魔をさがせ】
近所で放火が相次いで起こっている。夜回りを始めた父さん達。しかし、その夜回りの集会所が放火された。犯人はいったい誰?。
【幽霊からの電話】
死んだはずの女性から留守番電話にメッセージが届く。悪戯なのか、それとも?。

主人公の「俺」はタイトルにあるほど「非情」ではない非常勤講師。ハードボイルドジュヴナイルといった趣で、トリック自体は大したことはないものの、小説としての完成度は高い。ジュヴナイルとはいえ、かなりキツイ表現や描写(グロではない)も多く、小学生にとっては「大人の世界に踏み込んじまったぜ」という感じではなかろうか。こういう作品が『五年の学習』で読めるとはなあ。

もっとも、『探偵ガリレオ』で科学トリックを駆使した東野圭吾なら、ジュヴナイルとはいえもう少し捻ったトリックが書けそうなものだが、そういうものを書いたら書いたで悪用する子供が増えそうで怖い。そう考えるとこれでよかったのか。

どの短編もラストに主人公の「俺」が「人生の苦言」(けれど温かみある)めいたものを語るのだけれど、大人にはちょっとクサく感じるかもしれない。でも、それが確かに真実であり、東野圭吾流のアイロニーである。

書き下ろしの二編は、ジュヴナイルの基本に忠実。挿絵とかがあったら、まさしく、といった感じ。【幽霊からの電話】は、作者には珍しい真正面からハートフルな一編である。

普段の東野圭吾の作品と比べるのはなんだが、それでも読みものとしてのクオリティはそれなりに高い。読んでも損はないと思うけど、くれぐれも普段の東野圭吾を期待してはいけない。

『極悪がんぼ -4-』田島隆/東風隆弘(イブニングKC)【→bk1へ】[comic]

裏『カバチタレ』ともいえる作品の第四巻。相変わらず法の目をかいくぐった悪徳商法というか、ヤバイ商売が描かれていますが、少しずつ「露骨な犯罪」になってきた気もします。ネタ切れか?。

まさしく『カバチタレ』とかぶるようなネタもあるので、その辺は目をつぶらないといけないのかなあ。逆に視点から見ると違う風に楽しめる部分もあることはあるし。

ピカレスクとしてのスッキリ感が今ひとつないのが少々残念ではあります。もう少しだけコンゲーム的な要素が強くなるとか、人情噺の要素が強くなるとか、このマンガならではの「売り」が欲しいところです。
雑学的には面白いんだけどね。

May.28,2003 (Wed)

daylife

ジャニーズの中ではV6の楽曲がコンスタントにいい。SMAPは一発当たるとでかいけど。その割にはSMAPやKinki Kidsほど売れないのが不思議だ。V6のシングルはほぼ全部歌えるし好きだけどなあ。なんてことを考えることもあるshakaです。
枕に意味はありません。

ところで鬼束ちひろのアルバムは買うべきか否か。

『春の日は過ぎゆく』(2001 韓国)[movie][dvd]

監督:ホ・ジノ、出演:ユ・ジテ、イ・ヨンエ

まず最初に言っておくことがある。それはイ・ヨンエ最高だ、ということである。

それはそれとして。
本作は『八月のクリスマス』(レビュー)を監督したホ・ジノの作品なわけだが、前作同様、なんというか「雰囲気」で彩られた映画だった。

あらすじとしては、
サンウ(ユ・ジテ)は、父と叔母、そして痴呆症になりはじめた祖母と暮らすサウンド・エンジニア(音響技師)。ある時、竹林の音を録音する仕事で、自分より年上であり離婚歴のあるDJのウンス(イ・ヨンエ)と出会う。
二人は意気投合し、仕事を重ねるうちに恋愛関係になる。二人は恋愛に夢中になり、幸せな時間を過ごすが、徐々になにかがひっかかるようになり、ウンスはサンウから離れていく。

という話なんですが、なんというか全てにおいてきっかけとか要因が欠落している話です。二人が恋に落ちるきっかけも特になければ(互いのどの部分に惹かれたのかまったくわからない)、別れのきっかけもわからない。ウンスの離婚の理由もわからなければ、途中、ウンスが浮気(?)する音楽評論家にしても何でウンスと彼がそういう関係になるのか皆目検討がつきません。
それ自体がダメだ、ということはありません。多くの言葉が真実を多く語るわけではないように、映像にも同じことがいえます。

ホ・ジノは前述したように徹底的なまでに「雰囲気」を撮る映像作家です。ですから、この雰囲気をつかめるかどうかに見る側の印象はかかってくるわけですが、個人的には今一つでしたね。「雰囲気」だけを大切にしたいからという理由で、ストーリー側で意味を持たせる材料を最小限にした、というのはわかるんですが、それにしても説明なさすぎ。
「あー、わかるわかる」と感じる部分はあるんですが、退屈には叶わない。雰囲気だけで2時間観客を惹きつけるのは無理がある。要するにエピソードが欠乏している。例え説明的でないにしても、こちらの心を惹きつけるようなエピソードや画面があまりないのだ(個人的によかったのはタクシーのエピソードと指の切り傷くらい)。『八月のクリスマス』のように「余命いくばく」というドキドキもないしなあ。

ホ・ジノの二作品において主人公の男性は写真技師(『八月のクリスマス』)、音響技師(本作)と特殊な職業(いずれも何かを「残しておく」という職業)に就いているんですが、その特性を活かしきれていない。写真技師だから写真が重要なのは当たり前、音響技師だから録音されたテープを聞かせる、というのは誰でも思いつく演出技法であり、それを見て「巧いな」と思う人はいない。しかし、彼の場合それ以上の演出がない。それでもまだ『八月の〜』では写真技師であるからこその感動はあったのだが、本作では特に音響技師である理由とか、見せ方がほとんど感じられなかった。
それは相手役のヒロインの職業、警察官(『八月の〜』)、DJ(本作)においても見られません。

「平凡な日常」を描くなら、こうした特殊な職業を選ばないほうが、より「平凡さ」が伝わると思います。逆にこういう職業を選んだなら、それなりの効果は上げてほしいものです。

それにしてもホ・ジノは女性の描き方が今ひとつだなあ。いや、描き方というのは正確でない。女性を魅力的に撮るのが下手すぎる。『ラスト・プレゼント』レビュー)でイ・ヨンエを平凡な主婦という設定に置きながらもオ・ギファンは彼女を魅力的に映すことに成功した。それと比べると彼女の魅力を活かしきっていないと感じざるを得ない。というのがイ・ヨンエを愛する者から見た率直な意見である。

また本作では、主人公のサンウの祖母が痴呆症という設定で、これがかなり比重を持って描かれるわけですが、この理由も全然わからない。痴呆症である必然性がない。必然性がなくちゃいけないのか、ということはないんですが、本編と関係なく時間が割かれていれば、何がしかの意味はあってしかるべきでしょう。もし、「バスと女は、去ったら追いかけてならない」という台詞をいわせるためだけの設定だとしたら、「なんじゃそりゃ」としか言いようがない。おばあちゃんの知恵袋ですか。しかし、なぜ痴呆症の祖母からその台詞が。理解できん。

『八月の〜』のときに指摘した日本映画への傾倒は、本作でも顕著に見られます。この監督は本当に松竹映画(というかズバリ小津安二郎なんだけど)が好きみたいです。ただ、そういった日本的な映像手法にしても自分の物にはなっておらず、表面だけなぞってみたという印象に映ってしまいます(父親との晩酌シーンなど)。

「雰囲気」を大切にする映画なので、映像美というのが重要になってくるんですが、確かに美しいシーンはいくつかあります。しかし、これもまた表面だけなんだよなあ。美しい自然を背景に美しい映像を撮る、のは難しくないんですよ。そうじゃない場面でどれだけ美しい映像を、観客を「ハッとさせる」映像を撮れるかが重要なんだよね。自然が美しいのは映像手法ではなく、単なるロケハンの勝利なのです。

と、ここまで色々と文句を言ってきましたが、だから駄作か、と言われるとそれだけでもないんですな。
特に上記のような感想は、創作に関わりのない観客にとってはどうでもいい感想だったりするのかもしれません。
その意味では、「ある愛の始まりと終わり」を押し付けがましくなく描き、「意味もなく、理由もなく、始まり、終わる」という恋愛模様を描いたにしてはそれなりに見られる映画だったりするんです(それにしてもやや退屈ではあるが)。

特に、童顔の純朴青年(日本でいえば若い頃の吉岡秀隆)のユ・ジテが年上の女性との恋に狂い、頭の中を彼女に占められ、彼女との関係に右往左往する様は見ていて「うぉー、恥ずかしい、やめてくれー」と男なら思うでしょう。関係が密になるにしたがって、ちょっと男っぽさを気取ってみたりするところも、「確かに男ってこういうとこあるよね」と感じられる部分です。

この映画の肝は、ウンスがなぜサンウと恋に落ち、なぜサンウと別れようと決意したのかが、観客にはまったくわからないことです。そこにはいくつもの理由が考えられます。わからないことがもどかしく、説明されないことが、この映画の否定にも肯定にも繋がると思います。

この映画に対して、私のように「うーん」と思ってしまう人は、何事にも論理的であり過ぎるのかもしれません。恋愛にも意味を求めてしまうのかも。
それに対し、この映画を肯定的に見れる人、「恋愛に理由なんてない」と割り切れるタイプの人かもしれません。
ちょっとした恋愛診断

私自身としては、しっくりこない部分は残るのですが、DVD特典映像として収録されていた東京国際映画際のティーチインのイ・ヨンエの言葉を聞いて、漸く「ハッ」と気付かされました。その言葉を引用しておきます。

韓国の私のファンの意見ですが、ウンスの目線で恋を表現すれば、もっと面白くなる、と。
ウンスの見方は複雑です。
ウンスは本当にサンウを愛していたのでしょうか。愛してなかったのかも。
映画を観て皆さんで判断してみてください。
ふたりが別れるとき、サンウは後ろを振り返った。
ウンスは後姿だったけど正面はどうだったのか。
彼女の正面の姿を想像してみてください。
それが皆さんの本当の姿かもしれません。
過去、あるいは未来のね。

そうか、この映画はそういう映画だったんだ、と思わず手を叩きたくなりました。イ・ヨンエに言われたから、というのもありますけど。というわけで、これから見るという人は、そういう見方をするとよいかもしれません。また、そういう意味において二度でも三度でもの鑑賞に耐えうる(しつこいようだがやや退屈な点を除けば)映画です。

ついでにもう一つ、ティーチインの際の「監督の映画はいつもハッピーエンドにならないが、理由は?」という質問に対するホ・ジノの回答を引用しておきます。

恋人たちが出会って、一生添い遂げることは、必ずしも幸せだとはいえないと思う。
恋が終わり、時が経過して、思い出を語ることにロマンがある。
長く続く恋愛ではなく、途中で終わる恋は、思い出が浄化される傾向がある。
そんなところに私は惹かれる。

とまあ、映画よりもティーチインの方が印象に残ってしまうというのがこの映画に対する私の評価なのかも。

余談ですが、初めてイ・ヨンエのラブシーン(*1)を見て、激しく動揺してしまいました <オイ。
イ・ヨンエのDVDとか出てないんかなあ…(結局はそこに落ち着くのだ)。

涅槃の読書模様

『捕虜収容所の死』マイケル・ギルバード【→bk1へ】読了。レビューは後日。

購入物。

『家畜人ヤプー -1-』沼正三/江川達也(バーズコミックス)【→bk1へ】[comic]

「戦後最大の奇書」の誉れ(?)高い『家畜人ヤプー』を江川達也がマンガ化。
『ヤプー』は1983年に故・石森章太郎が一度マンガ化している、らしい。読んだことはない。さらにいえば、原作である小説も読んだことはない。

もともとが『奇譚クラブ』をいう変態向け雑誌に連載されたという曰くつきの小説であり、マゾヒズムの金字塔ともいわれる小説であるから、まとも(?)な人間ならおいそれとは手を出せない。
そんなわけで、マンガ化されたのを期に読んでみることにした。

まだ一巻ではあるが、その変態ぶりは激しく伝わってくる。確かにこの性的変態描写は江川達也にとっては「まさしく」という感じであり、マンガ化も頷ける。しかし、同時に想像の範囲でもある。いつもの江川達也であり、『ヤプー』という原作によって、普段読めないような作品が読める、というわけではない。逆にいえば「忠実なマンガ化」と言えないこともない。

原作を知らない私がいうのもなんだが、おそらく原作に色濃く存在したと思われる「耽美」については、江川達也の絵では感じることができない。その点が少々残念である。

ちなみに、この一巻ではまだ、瀬部とクララはイースに連れ去られる前である。イースが舞台になるのは二巻以降になると思われるが、それまでに発禁にならないことを祈る(少なくとも成人向けコミック扱いになってもいいと思うけどね)。


*1: 『ラスト・プレゼント』でもあったが、軽くキスする程度だったので

May.29,2003 (Thu)

daylife

昨日はなかなかご機嫌な一日だった。というのも昨日買ったマンガ3タイトル(計4冊)全てが抜群に面白かったせいである。おまけに横山秀夫の新刊も買えた。12時過ぎに帰宅して、マンガを読み耽り、結局就寝したのは2時過ぎで、睡眠不足ではあるが。うーん、充実していた。

なんか忘れてるなあ、と思ってて思い出したよ。BSマンガ夜話見るの忘れてた。うわー、今回のシリーズは完全に見逃してしまった。マンガ系のサイトとかでも全然話題になってなかったから気付かなかった。

火種は消えず

Kさんのご指摘(5/29付)はもっともだが、既に書いたように、あの一連の文章は一時の衝動に駆られて書いてしまい、論理的に説明できないからこその尻すぼみであるわけで(自分でも歯痒い)。そういった文章を載せてしまった行為に関しては、自分に非があると思います。

その意味で、滅・こぉるさんであれ、Kさんであれ、何らかのご意見を述べて下さることは私自身の思考の材料となり得ると思います。それを受けて自分がまたどう考えるか、少なくとも自分の中で論理的に納得のいく結論が出るかどうか、という問題だと思います。

つまるところ、まだ出てないってことなんですけど。まあ、火付けの本人がどうであれ、火種がかがり火として色んな人の意見を照らしてくれればいいと思います。その結果、私の言葉だけが独り歩きしてしまうことになるかもしれませんが、その責任は自分にあるわけなんで、どうもこうも言えません。

そんなことより一時の感情とはいえ、他社の批評によって「貶められた」と感じてしまった自分は「確固たる批評」を書くことはできないのかもしれない。確かに、権威主義的で、他社依存的と言われても仕方ないよなあ。「読書のカタチ」を書いてても思ったが、コミュニティ型の読書に引っ張られるというのは、つまりそういう体質なのかと。
まあ、もとから「確固たる批評」かどうかはわからんから、これからも書評なり、レビューなり(好きなように呼べばいい)は書き続けていくと思いますけど。
ヤバイ、これだとムキになってるみたい?。

やはり、自分には絶対的に「ものごとを語る」能力が不足している。つか、迂闊なことは書けんな。

『Number 577 Japanese Only One 総力特集2003年プロ野球』

ペナントレースが約二ヶ月過ぎたプロ野球特集(の割にプロ野球の記事に辿り着くまで時間はかかるが)。
その中でも特に清原に関しては多くのページが割かれている。

個人的に清原と言う選手が嫌いなわけではないし、それなりに認めてはいるのだが、実質スタメンですらない選手にスポットを当て、実際に活躍している選手がないがしろにされる風潮はあまり好きではない。特に、前回のプロ野球開幕直前特集でも清原についてはページが割かれていたのだから、なぜまた?という感は否めない。
しかも記事の内容は結局「怪我と戦う」清原の姿である。なんだかなあ。

そしてまた「ミスター」。日本の野球関係者はいいかげんこの人から卒業できないのかね。メジャーの松井とイチロー、日本の次世代スターについて語ってます。特に目新しいことなし。
オリンピックの代表監督としての話も、現時点で特に気になるところはなし。代表メンバーが発表されたとか、そういうことでもないので、「ドリーム」とか前々から言ってることだしね。

松坂世代の記事もいつものことだけど、それでも今年の彼らは活躍しているから、やっぱり面白い。和田と新垣は本当に新人とは思えない活躍ぶりだが、今後も当面は「対」で扱われるのは仕方ないか。二人にとっての「プロの洗礼」が両方共に中村紀洋だったのは、さすが「ノリ」って感じ。確かに投手としては自信持って投げた外角低目のストレートをライトスタンドに一直線に持っていかれたらへこむだろう。

そしてやっぱり凄いのは松坂。この怪物くんはどこまで進化するのか。今は日本の球界は彼を中心にして回っているといっても過言ではないよね。でもいずれはメジャーに行っちゃうんだろうな。それもまた楽しみではあるけど。

そして先日、大魔神・佐々木を抜いて最多セーブ記録を作った高津のドキュメント。もうちょっと濃い内容が欲しかったけど、それなりに面白い。打者が「消える」と賞賛する電化の宝刀シンカーを一度はバッターボックスで見てみたいものだ。

その他に、城島と阿部慎之介を取り上げた新世代キャッチャー論。ブルーウェーブ・谷とドラゴンズ・福留の打撃比較、スワローズ宮本とジャイアンツ・仁志などが小コラムにて取り上げられている。

あと、松井のメジャー紀行は今回も載ってます。仁志の連載がなくなっちゃったけど終わり?。

さて特集以外では、なんといってもユヴェントスのパヴェル・ネドベドのインタビュー。折しもチャンピオンズリーグ決勝の日に読むことになるとは。ユーヴェが負けて今頃泣いてるのかなあ。こっちまで悔しくなってくる。「私にはジダンやフィーゴのような才能はない。あるとしたら一生懸命やるという才能だけだ」という彼の言葉は、本当に彼らしい。バロンドール候補にも挙がってますが、の問いには「私だったら迷わずラウールに入れるね」っていうところも好きだなあ。是非とも来年こそはチャンピオンズリーグ決勝の舞台に立って、そして勝って欲しい。あ、いや、ホントはマンチェかバルサかバイエルンが勝って欲しいです。

そして今年もあと一息のところで苦渋を舐めたインテルの智将エクトル・クーペルのインタビュー。この人は可愛そうなくらい「万年2位」の監督。不思議なくらいに優勝できない。その理由が幼い頃の体験に根ざしているっつーのは正直どうかと思うが。ところでインテル続投なんですかね。

も一つサッカーネタ。戸田和幸インタビュー。
正直ね、厳しいと思うのよ。一応契約は来年一月まで残ってるみたいだけどどうなのかねえ。ジーコは見向きもしてないしねえ。プレミアの就労資格は大丈夫なんだろうか。こういっちゃなんですが、通用するとは思えないなあ。ま、頑張っては欲しいですが。

あとは、今年からアブダビではなく世界各地で行われることになったアブダビコンバットの記事。日本人はほぼ壊滅。一回戦を勝ち抜いたのが一人だけだったそうな。しかし、世界的にも大きく戦力図が変わった大会だったようで、無名選手や新たな選手の台頭が目立ってきたらしい。格闘地図はまだまだ熱い。次期開催地に東京を予定しているらしく、水面下で交渉が始まっているらしい。見に行きたいかも。

金子達仁のコラム「いつかどこかで」は、SARSに絡めた話。うん、これは大切な問題だ。そして、私の大久保嘉人に対する評価はますます上がるのだった。気になる人は本誌を読んでね。

こんなところかな。最近、パワーというか内容充実度が落ちている気がする。編集部内でかなりの移動があったからかもしれないが、物足りない。他のスポーツ誌か、サッカー専門誌も読もうかなあ。

涅槃の読書模様

『真相』横山秀夫【→bk1へ】読み中。

May.30,2003 (Fri)

daylife

昨日は日記も書いてあとはアップするだけ、という段になってベッドに寝っ転がったらそのまま爆睡してしまいました。というわけで、昨日分の日記は昨日分としてアップしておきます。

Kさんへの返信(?)も昨日時点でのものになります。もはや、いくらでもツッコミ入れてください状態なので遠慮なくやっちゃってください。ただ、自分なりの答えはまだ出てません。

『二重スパイ』も観に行きたいなー。ハン・ソッキュは『シュリ』以来の映画だったのか。

涅槃の読書模様

『真相』横山秀夫【→bk1へ】読了。レビューは↓。
うぉぉ、一昨日はなかったはずのサイン本が三省堂に!。ショック!。

『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午読み中。

『真相』横山秀夫(双葉社)【→bk1へ】

横山秀夫がこれまでフィールドにしてきた警察から離れて新境地に挑戦した短編集。

【真相】
10年前、息子を殺した犯人が逮捕された。「これで、やっと楽になれる」。そのはずだった。だが、犯人の供述は……。
【18番ホール】
出身地の村の村長選に立候補した男には、誰にも言えない過去があった。当選と共に過去を隠蔽することができるのか、それとも……。
【不眠】
リストラされ、居場所もなく、不眠に悩まされる男。自分は「不必要な男」なのか。
【花輪の海】
大学時代の空手部の友人からかかってきた電話。忌まわしい合宿の思い出が男を苦しめる。
【他人の家】
強盗致傷の罪を償い、過去を隠し生活する男。しかし、過去を知られ、住む場所を失うことに……。

横山秀夫の小説は「パンドラの箱」に似ている。

もちろん、全てが、ではないが。
横山秀夫の小説の登場人物の多くは、何らかの理由で窮地に立たされる。それは社会的にだったり、家庭内であったり、精神的なものであったり様々ではある。そして彼らはその窮地から来る恐れ、苦しみ、後悔、自責の念など「パンドラの箱」から次から次へと出現する災厄に足を取られ、更なる深みへとはまっていってしまう。

だが、「パンドラの箱」の最後に残っていたのが希望であったように、彼らもまた最後には「希望」を手にする。それは「希望」と呼ぶのはおこがましいほどの微かな光に過ぎない。しかし、その微かな光に読者は魅せられてしまう。

この短編集でも、主人公たちは最後に微かな「希望」を見出す。唯一、【18番ホール】のみが、異質な感じを放っているのだが、これも「パンドラの箱」を逆さに開けてしまった男の話である。

この「希望」があるからこそ、読んでいて時に辛くなるほどの小説も、読み終わったときにどこか清々しさすら感じることができる。それが横山秀夫の小説の醍醐味かもしれない。

当然のオススメ。また一つ、新たな地平を開いた横山秀夫を是非どうぞ。

『秘密 -2-』清水玲子(ジェッツコミックス)【→bk1へ】[comic]

こういうマンガに出会えるからマンガ読むのはやめられない。そのくらい思ってしまうほど良かったです。

MRI、死亡した人間の脳にスキャンをかけて視覚野の情報をビデオのように見ることができる技術。それを活かし、凶悪殺人犯の逮捕などに繋げる警察庁第9研究所。通称「第九」。

この巻では、「第九」に配属されたばかりの新人の脳が「第九」に送り届けられるという事件と、一家惨殺の犯人として逮捕された父親が死刑に処せられたが、その脳をスキャンしてみると新たな真実が、という二編を収録。

1巻の時点ではまだ発想ばかりが目立って、物語性が弱かった気もしたんですが、この2巻は素晴らしい。これはもう超一級のミステリ小説にも比肩しうるマンガになってます(ただし本格ではない)。
まあ、ミステリとはいっても、いわゆる事件的な「真実」や謎解きの見事さが素晴らしいのではなく、それらの事件を通した人間の奥底の描き方、そしてまとめ方が抜群。
久々にマンガを読んで泣きました(割と涙もろい方ではあるが)。

清水玲子はともするとテーマが先走りになる傾向があるんですが、これはずばりテーマとその描き方の手法がベストマッチしてます。

脳とか惨殺事件を扱うので、ややグロ(絵が巧いだけに強烈)ですが、オススメです。1巻と併せてどうぞ。

『MOONLIGHT MILE -6-』太田垣康男(ビックコミックスペリオール)【→bk1へ】[comic]

相変わらず面白い。この巻では前半が吾郎が主役の「My Sweet Home」編。後半がロストマンと耕介が主役の話。こちらは続いてます。

月面基地を建設中の吾郎が主役といいつつ、実は吾郎の家族達が主役といってもよい。『プラネテス』でも宇宙飛行士の家族というテーマが描かれていましたが、どちらも気儘な父親と息子、それを見守るおっかさん、という符合なのは面白い。最後のお母さんからのメッセージディスクには泣きました。

人情系の話の後は、米中の宇宙開発戦争が本格的に始まったロストマンと耕介編。ネクサス計画の一員として選ばれた耕介だったが、アメリカが密かにネクサス計画を軍事利用しようとしていることに疑問を感じている。その当の本人のロストマンと耕介の間に亀裂が生じ初める。やがてデブリの事故が発生し。

という展開。こちらは思いっきり非人情系。さすがはロストマン。中国との劇化する開発競争とアメリカの新型ロボットなど、読みどころはこれから先になりそうです。このマンガでは唯一の一般人センスも持ち主・耕介が宇宙開発の最先端で何を思うのか。読者的には感情移入しやすくていいかも。

May.31,2003 (Sat)

daylife

一年前の今頃はサッカーのことで頭が一杯だった。至福の一ヶ月だった。
あれから一年。また燃えるような一ヶ月が来るまで、あと三年。待ち遠しい。

家でダラダラしてるだけだと書くこともないですなあ。

そのVCD、私も見たいです……政宗さん

蹴球微熱 日本VS韓国(親善試合、国立競技場)

韓国良かったねえ。コエーリョもやっと点獲って勝つごとができてホッとしているでしょう。日本としては1点で済んで良かったね、というところでしょうか。なにからなにまで完敗だった試合です。

まあ、強風とかピッチコンディションとかのせいもあったとは思いますが、レベルとしてはあまり高くない試合。特に前半は両チームともろくにパスが繋がらず、来たボールをただ跳ね返すだけの試合展開でした。

ところが後半、韓国が一転素晴らしいサッカーを展開します。理由の一つはチェ・ヨンスがいつものチェ・ヨンスに戻ったこと。つまり、あまりディフェンスに走らず前で張るようになったこと。このせいで日本のディフェンスラインが前半のように高い位置でラインを維持できず、ズルズルと下げられてしまった。やっぱりチェ・ヨンスは生真面目に走らない方がいいってことか。

そうして日本が自分達のスタイルを崩してしまったところにアン・ジョンファンとイ・チョンスの投入。これはキツイ。前でキープ力があって技術もあってスピードもあるこの二人に投入により、日本のディフェンスは完全に自陣に張り付くことを強いられました。

それまで何度ものピンチを跳ね返していた楢崎とDFラインでしたが、遂にアン・ジョンファンにゴールを決められます。しかし、ある意味では必然でした。あの時、韓国ボールになった時点で日本ゴール前は3対2。完全に日本のミス。韓国選手まったく捕まえることができていなかった。逆に言えば、韓国がそれだけの試合をしていた、ということです。

翻って日本。まったくダメ。ゴールへの予感が少しもなかった。前半の鈴木の一本だけでしたね。
日本の攻撃陣が韓国のペナルティエリアに2人、3人と入っていったシーンが果たしてあったでしょうか。殆どありませんでした。これはつまり、攻撃の形がまったく作れていなかった、ということ。もし、ゴールが生まれても、それは偶然のチャンスをものにした、ということでしかない。先月の韓国戦のようなものですね。

結局、中盤から前の方でボールをキープできなかった、ということに尽きると思います。だから、後ろから飛び込むチャンスもないし、FWがペナルティエリアで待つこともできない。
更にいえばサイドからの攻撃も通用せず。名良橋はソル・ギヒョンの対応に追われ、たまに上がっても全て跳ね返され、服部に至ってはオーバーラップすらなし。三都主も相変わらず1対1で勝てません。サイドからのチャンスは皆無でした。

これじゃ、点が入るわけもありません。これでいいのかジーコ?。
ヒデも小野もいないから中盤でのタメが作れない?。サイドの攻撃が作れなくても石川直宏というカードはなし?。なんのための4バック?。

はてさて、ジーコジャパンの今後はどうなるんでしょう。ホントにベストメンバーさえ集まれば勝てるのか?。正直、疑問です。

涅槃の読書模様

『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午読み中。

『太陽の黙示録 -1、2-』かわぐちかいじ(ビックコミックス)【→bk1へ】[comic]

このごろ流行りの1、2巻同時発売。
2002年8月10日10時15分。京浜大震災により首都・東京を始めとする関東圏は大被害に見舞われる。二次災害、三次災害で人々が苦しむ中、日本の象徴である富士山が噴火。それに影響を受け、関西でも大震災が起こる。これによりプレートが大きく動き、日本は琵琶湖から中央断層にそって分断されてしまう。

完全に機能を停止した日本に、中国とアメリカが救いの手を差し伸べるが、実際は救済ではなく進駐だった。日本は苦悩の末、ノースジャパンを中国に、サウスジャパンをアメリカに統治されることとなる。

以上までの部分が1巻で語られます。これはかわぐちかいじ版、『日本沈没』なのか、それとも『サバイバル』なのかと思ってしまいそうですが、2巻に入ると突然15年後の話になります。

大震災の影響で日本の多くはは世界中に移民として生活している中、一人の青年が台湾で記憶を取り戻し、おそらくは日本再生の中心となっていくであろう話。

とにかくスケールがでかくて、いったいどうなっていくのか現時点ではまったく想像がつきません。しかし、かわぐちかいじの発想はやっぱり凄い。京浜大震災、富士山噴火までは多くの人が考えることですが、そこから日本が南北に分断され、中国とアメリカに進駐されるという展開に持っていくのはさすがです。

結局は、いつもの「日本というアイデンティティ」という根本に行き着くわけですが、それでもこれだけ色んなバリエーションで、しかもでかいスケールで読ませてくれるのは、ホント凄いとしかいいようがありません。


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