風邪をひいてしまったらしい。一昨日は一日寝込んで、昨日も帰宅するなり寝ました。今日も引き続き気分は悪い。結構熱もあるようで(計ってないけど)関節がいちいち痛む。当然頭もボーっとしているのでまともなことも書けない。普段も書いてませんが。目の調子が悪いのも風邪のせいなのかな。ちょっと勘弁して欲しい。
GBA(ゲームボーイアドバンス)の逆転裁判2がやりたい。GBA買っちゃおうかなあ。1もやってないんだけど。ヒカルの碁1、2もできるし、GBA買っておいてもいいかもしれん。
つーか自宅をADSLにするとかしないとか以前に会社の回線が未だに128Kっていうのが問題だよな。よくオンラインユーザから苦情がこないとホントに不思議に思う。
メモ。明日深夜1時からBS2にて『赤頭巾ちゃん気をつけて』放映。あ、変な想像した人はいませんか?。それにしても深夜1時から、と表記されると放映日が水曜日なのか木曜日なのかわからなくなってしまうのは私だけでしょうか?。
あと二つ。同じくBS2にて。
ちょいと『匣の中の失楽』竹本健治【→bk1へ】で頭が疲れた上に、風邪気味なので『航路』コニー・ウィリスを後回しにして、『劫尽童女』恩田陸【→bk1へ】を読みはじめる。
『匣の中の失楽』は、レビュー書くかどうか悩み中。文庫の付録としてついてる評論集を読めばそれで充分というか、それを読まないとわからないことが沢山。「あっは」の連発はそういうことだったのね。
あ、読書会のレジュメ、楽しみにしてます。→蔓葉さん。
購入物。
もともと、インターネットで配信された30分のドラマを3本一まとめにしたもの。「好き」というタイトル通り、3本とも「仄かな想い」が描かれている、のだが…。
驚くほどにつまらなかった。久々に時間が無駄と感じました。田中麗奈ファン以外は見る価値は全くないし、ファンですらこれには閉口するでしょう。
言ってしまえば「これってAVのドラマ部分?」というのが率直な感想(そんなにAVに詳しいわけじゃありませんが)。それくらいつまらないし、なにも考えられていない。予算がないのはわかるけど、ここまでつまらないドラマをよく作れるもんだと、尊敬しちゃいます。30分というのが縛りになっているのかもしれませんし、ネット配信ということで動きを少なくというのもあるのかもしれません。しかしなあ、それでもこれは酷すぎるよ。実験作にもなってません。
唯一、二本目のドラマは実験作になっていて、ネット配信を意識し、全てが写真とナレーションだけで構成されています。要するに写真による紙芝居。これはこれで「ほほう」と思ったんですが、さすがに30分延々は辛い。それと、アイデアがそれで終わってしまっていて、単なる写真映像で終わっちゃうのも残念ですね。もっと色々考えられただろう。安易すぎ。
とどのつまり見る価値はありません。企画意図も何も感じられない、製作者のやる気が全く見えない作品集。3本あるんだから少しは何かで繋がってるのかと思ったけど、それもないし。
製作者は田中麗奈に謝罪すること。以上。
結局、風邪で会社を休み、一日中寝る。頭がボーッとするなあ。
以下の日記は実際は昨日の内容。昨日日記だから。
ビデオで『事件』を観る。感想は↓。
最近、60年代、70年代の日本映画を観たい欲求に駆られているのだ。昔観た映画もかなり内容忘れちゃってるし、観たことあるものないもの含めて。
しかし、近所のTSTAYAではその年代のビデオは「これだけかよ!」っていうくらい置いてない。まあ、回転率の高いビデオしか置いてないんだろうな。というわけで観たいけど、当分観れそうにないビデオのリスト。覚え書き代わりに。
橋本忍、岡本喜八絡みの作品ばかりだなあ。
『劫尽童女』恩田陸【→bk1へ】を読み中。
恩田陸はある意味正しい形で少女漫画家の変遷を辿っている。
古本屋で以下を購入。
監督:野村芳太郎、脚本:新藤兼人、出演:松坂慶子、永島敏行、大竹しのぶ、渡瀬恒彦、佐分利信、芦田伸介、丹波哲郎
言わずと知れた大岡昇平原作作品の映画化。
19歳の未成年が恋人の姉をナイフで殺害してしまう。一見、単純な事件に見えたが…。
手短すぎるあらすじに見えるかもしれませんが、これ以上はある意味全てがネタバレになってしまいます。とはいってもミステリ的に優れている、という風に期待されるとそれもちょっと違う。
あくまでも市井に生きる人間達の情念、単純な事件の裏にも一人一人の人生が練り込まれている、ということをキッチリと見せてくれる作品です。
ある意味では(穿った見方なのは承知ですが)アンチ・ミステリ。人を殺す、殺されるということ、その周囲の人間として証言すること、それら全てがどれほどに重いものなのか、人を裁くために、事件を追及するためにどれだけの人間が傷付けられていくのか。
そうした内容を「法廷」という場において曝け出してみせる物語。
松坂慶子の田舎ホステスの持つ泥臭さと美しさが、この後の彼女の妖艶さの原型かも。チンピラヤクザの渡瀬恒彦が好演。永島敏行はヘタクソ極まりないですが、期待されてたんだなあ、というのがわかります。大竹しのぶはこの頃から既に『黒い家』の下地ともいえる狂気振りを発揮。ラストシーンは鮮烈さ(というか怖さ)すら感じます。
しかし、この作品の主な舞台が法廷ということもあり、裁判官・佐分利信、検察官・芦田伸介、弁護士・丹波哲郎のぶつかり合いは見物です。特にちょっと老いぼれ過ぎ?とも思える佐分利信ですが、締めるところは締めてくれます。あの二人を相手に悠然と流せるのはさすが。芦田伸介の嫌われものっぷりも見事。下手に正義感を出さず、職業検事を淡々と演じています。丹波哲郎は何を演じても丹波哲郎ですが、この作品でははまっているかも。原作とはかなり印象が違いますが。
地味な事件、地味な映像ですが、裁判の最中にフラッシュバックを細かく取り入れたり、『薮の中』式の証言の食い違いから真実を探させるなど脚本の新藤兼人の手腕、事件ものを得意とする野村芳太郎の演出はさすがです。
地味な中にも俳優は豪華で、上記以外にも証言者として森繁久弥、北林谷栄、西村晃など、手抜き無し。
こうした人間ドラマは大好きで、どれだけちっぽけな人間達にも、どんなに小さな事件にもドラマがある、それをきっちり見せてくれたのは素晴らしいと思います。
大胆で、トリックや駆け引きの利いた作品もいいですが、こうしたドラマには個人的には賛同します。
大岡昇平がどれくらいの人達に読まれているのかはわかりませんが、せめてこの『事件』と『野火』くらいは読み継がれて欲しいと思う作品です。
木曜日は1,000円ということで『木曜組曲』を観てきました。感想は明日ゆっくり。しかし、腹が減った状態で観る映画じゃないな。腹の鳴る音が聞こえやしないかとハラハラしました。
映画とは関係ない感想。シネ・ラ・セットの座席は殆ど傾斜がなく、なぜか交互に席が作られていないので非常に見にくい。席選びは結構生命線です。私の場合は前に座った女性がやたらと背伸びして、さらに動きまくるので上映前の時点でかなり気分はダウナーだったのですが、本編が始まると同時に座高を下げて見出したので(いったいなんだったんだ?)なんとかなりましたが。
木曜日は1,000円ということもあり、満員御礼でしたね。客層は予想通り9割近くが女性でした。スーツ姿のサラリーマンなんて数えるほどしかいなくてちょっとイヤーンな感じ。
以下雑多メモ。
多くの方は既知だと思うけど、10月28日からの第24回『BSマンガ夜話』の予定。
アシスタントは、声優の豊口めぐみ。知らん。アシスタントって今何代目?。今回の楽しみは『百鬼夜行抄』だなあ。
マンガネタ続き。11/28発売の『LaLa』で『獣王星』樹なつみが最終回だそうだ。単行本は4巻で止まってる気がするんだけど、残りは単行本にしてどれくらいなだろうか。つーか『八雲立つ』も終わったとか終わんないとかいう話で作者は休養狙い?。
話変わって。えーとコレはマジですか?。印籠型専用歩数計って…。
『劫尽童女』恩田陸【→bk1へ】読了。レビューは後日。
『航路』コニー・ウィリスは公演が終わってからゆっくりじっくり読むことにした。
てなわけで、購入物。
今日発売の『Number 561』。オリバー・カーンのインタビューはスポーツ選手のインタビューとは思えない濃さ。彼は、株のディーラーとしても有名で本国ドイツでは経済番組に出演したりするほどなんだけど、やっぱり頭がいい。こういう人が相手だとインタビュアーも困るでしょうな。
靴を探して三千里。やっぱりないなあ。これでREGALは決定ですな。靴に2万円以上払ったことなんてないから今からドキドキ。もう一足、女性ものでもいいから安めの靴も欲しいなあ。公演終わったら探しに行こう。
今日の朝日新聞の夕刊の『コミック・ブレーク』のコーナーで、楳図かずおの『イアラ』が復刻されることを知る。これは1970年にビックコミックに連載された短編連作らしい。しかし2分冊セットで4,800円は高い!。読みたいけどなあ。
楳図かずおのマンガは古本屋でもホラー系以外はなかなか手に入らない。『漂流教室』は文庫化されたけどねえ。私はホラーは苦手なんだけど『おろち』とかはまた読みたいですなあ。
新文化で、日書連、主要出版社にポイントサービス実施店への指導を要請というニュースを見て、なんだかほとほと嫌になる。出版社や書店がポイントサービスや他の手段でなんとか本を売ろう、買ってもらおうとしているというのに…。馬鹿の一つ覚えで再販制を唱えていればいいとでも思ってんのかね。「本が売れない」って嘆いて、あまつさえその原因を新古書店や図書館に責任転嫁して自分達の体質を変えようとしないその姿は醜悪に映るんだけど。呆れて物も言ってるけど。
メモ。観に行きたい映画。
あれ?『Returner』は?(*1)
『イリーガル・エイリアン』ロバート・J・ソウヤー【→bk1へ】読み中。
面白い!。早く続きが読みたい!。こんなにドキドキワクワクした読書体験は久々だ。あっという間に400ページまで来ちゃったよ!。止められないよ!。
購入物。
銀座シネ・ラ・セット
監督:篠原哲雄、脚本:大森寿美夫、出演:鈴木京香、原田美枝子、富田靖子、西田尚美、加藤登紀子、浅丘ルリ子
今年もまた「うぐいす館」に集まった五人。四年前に家主である重松時子が自殺で亡くなってからも変らず続く一年に一度の儀式のように彼女達はここを訪れる。そして、いつもと変らぬ三日間が続くはずだった。一通の手紙と花束さえ届かなければ。
それをきっかけに時子は果たして自殺だったのか、それともこの中の誰かが殺したのかについての議論が起きる。それぞれの胸の中に仕舞ってあった事実。意外な発見。
彼女達にとっての重松時子という存在が浮き彫りになってくる。やがて、真相が明らかに…。
恩田陸の原作を映像化。
好きな女優さん達を映画の殆どの時間観ることができるというだけでも結構嬉しいこの映画。恩田陸作品が豪華なキャストで映像化されたというだけでも満足度は高い。限定された空間、ほぼ5人だけの登場人物。動きの少ない映像。制約は多かったはずだが、それほど飽きずに最後まで観れたのはなかなかの秀作ということだろう。
ただ個人的にはこの作品に思い入れが強いために不満も残ります。というよりこれは好みの違いかもしれません。
全体的な演出の問題ですが、これだけの女優を集めたのだから、もっと女優頼みでもよかったのではないでしょうか。余計なカット割が多く、かといってテンポがいい、というわけでもない。制限された中で色々やろうとしたのはわかるけど、私的にはひたすら女優を長回しで撮ったほうが見応えがあった気がします。特に前半はやたらと凝ったアングルや手持ちでの撮影などが入るのだが、後半は息切れしたのか飽きたのか普通の撮影になる。「だったら最初からやるなよ」みたいにどうしても思ってしまう。実際、観客の多くは女優のぶつかりあいが楽しみで観に来てると思うし、少なくとも私はそうだったので、そこを活かしきれていない演出は少々物足りませんでした。
原作を読んだのが3年も前なので記憶が曖昧ですが、原作ではハッキリとした主人公、という女性は決まっていなかったように記憶しています。。それが映画では鈴木京香演ずる絵里子にスポットをあてているので、どうしても絵里子の比重が高くなり、他の女性、特につかさと尚美(*2)の役割が小さい気がしました。再読してみないことには確かなことは言えませんが、印象として5人の女性達それぞれがなんらかの推論をもち、なんらかの嘘をつき、それが絡み合うところにこの物語の面白さ(怖さ)はあったと思うんですが、絵里子が主導権を握る形になって、その複雑に捩れあう会話が薄くなった気がします。まあ、映画だし、わかりやすくするための手段としては致し方ないところなのかもしれない。とはいえつかさ役の西田尚美はおまけっぽかったなあ。
ちなみに私の小説のレビューはここ。
女優はそれぞれ素晴らしかったですよ。それはもうさすがというしかない。特に浅丘ルリ子は回想にしか登場しないし出番も少ないにもかかわらず、この迫力。中でも瞳の美しさは思わず魅入ってしまうほど。大女優と呼ばれる人はやっぱりそれだけの風格があります。
鈴木京香は無難といえば無難に。彼女にしては及第点といったレベルではないでしょうか。残念ながら彼女の代表作には数えられないでしょう。でも及第点のレベルが高いから文句はありませんけどね。
富田靖子と西田尚美はやっぱり役として影が薄い。それが残念でならない。それでも対極のキャラをしっかり演じ分けていたとは思います。
原田美枝子はちょっと抑えすぎたんじゃないかなあ。というか彼女のトーンで映画全体を撮ればきっと良かったんだと思う。それこそが、この映画のキーとなる余韻を残せる方法だと思います。やっぱり監督は気が入りすぎたんでしょうね。トーンが重すぎたし、余韻を残すどころか、ラストだけ執拗な展開にしてしまった。それは正直ないだろう、と思いましたね。その意味では原田美枝子の方が監督よりもこの映画の本質を掴んでいたと思います。
やや脱線。残るは加藤登紀子なんですが、いや脱帽。彼女の持つ空気というか雰囲気は絶対に誰にも真似できません。演技が巧いとは決して思いませんが、それを補ってあまりあるオーラ。その声。浅丘ルリ子なくしてはこの映画は成立しませんが、もしかするとそれも加藤登紀子あってのものかもしれないとすら思ってしまいました。「女が歳をとるっていうのはこういうことよ」と語りかけてる気がしましたね。
女優さんのメイクがそんなに「美しい」と感じさせないのはわざとなのかな。ちょっとだけ富田靖子歳取ったなあ…と思ってしまいました。
総じて、やっぱりこの作品は舞台にした方がより面白い作品になった気がする。それもとことん女優に喋らせ、息をつく暇も与えないほどの会話劇にしたらさぞ面白かっただろう。
最後に二点。
料理は確かに美味しそうでした。観てる間中「腹減った」と思いっぱなしでしたし。ただ、プログラムやWebで大々的に宣伝するほどではなかったような。というか監督が映像の材料としての料理を活かしきれてませんでしたね。あれだけの料理とこれだけの女優がいたら監督なんてなにもせずとも素晴らしい作品がとれたはずなのになあ。ま、力が入るのもわかってしまいますけど。
これはホントにどうでもいいことですが、プログラム。これで600円かよ!。納得いきません。
なんとなーく、あくまでもなんとなくだし記憶も全然あてにはならないが、観ていて『危険な女たち』(野村芳太郎監督)を思い出した。あれはアガサ・クリスティの『ホロー荘の殺人』が元になっていたはずだけど。確かに女たちの争いが描かれていたなあ、と。細かいことは何にも憶えちゃいないんですけどね。
輪の中には入れないことは重々承知だが、気分だけでも味わいたかったので。
あと一週間で公演本番。早いもんだなあ。うん、あと少し。
ぐわっ、恥ずかし!。赤文字の部分を誤記してました。ご忠告ありがとうございます >某司書さん。
『イリーガル・エイリアン』ロバート・J・ソウヤー【→bk1へ】読了。
レビューは後日、ですが、とにかく面白いことだけは保証します(お前が保証しても仕方がない)。「最後が…」って声も耳にしますけど、一体それがなんなのかわからないまま読み終わりました。え?なにが不満なの?。
ADSL12Mを申し込む。トラブルがないといいんだけど。ISDNからの移行だから時間はかかるかも。待ち遠しいが、それなりに準備しておかないといけないこともある。
昨日、テレ東深夜のシネマ情報で観た『The Transporter』(運び屋)なる映画は日本で公開されたら絶対に観に行くことに決定。リュック・ベッソンが製作なんですが宣伝映像観ただけで笑いがハジけとんだよ!。
ストーリーは全く単純。腕利きの運び屋が偶然タブーを破って積荷を覗いてみたらそれが美女だった。タブーを破ったってんで組織から追われ、美女と共に逃げてついでにロマンス、というどうでもいい話。
でも見所はそんなところじゃない。出たよベッソン流荒唐無稽アクション!。これがもう『マトリックス』とは別次元のトンデモアクション。それを大真面目に金かけて撮ってるから余計に爆笑もの。だってさ、ミサイルランチャーをお盆で躱しちゃうんですよ。イヤもう絶対に観に行くっス。
いきなり寒くなったので、秋物の出番無し、って感じじゃありません?。といいつつダイエー(*1)で秋物が半額になっていたので一着買ってみる。着る機会あんのかな。春着れるかしら。
『青葉の頃は終わった』近藤史恵【→bk1へ】読了。
レビューは後日。んー、私も歳をとりすぎたのか。
購入物。
『English Man In NewYork』Stingとは何の関係もありません(*4)。
それはそれとして各所で絶賛の嵐が吹き荒れるソウヤーの新刊。SF系だけでなくミステリ系の多くのサイトでも言及されているこの作品に今更なにをレビューすればいいのか。いいから読め。
遂に人類と異星人とのファーストコンタクトの時が訪れた。アルファケンタウリのとある恒星からやってきたトソク族。彼らは地球に210年の時を経て辿り着いたが、母船が故障。人類に進歩した技術を伝える代わりに母船の修理を依頼した。異星人とのファーストコンタクトは思いのほかスムーズに進み、トソク族は世界中を巡った後、アメリカはカリフォルニア州にある施設に滞在することになった。
しかし、そこで予期せぬ出来事が起こる。一人の地球人が何者かによって殺され、無残な遺体となって発見されたのだ。そして、現場の状況はある一人の容疑者を明確に示していた。その容疑者とはトソク族の一人、ハスク。つまり、エイリアン。
こうして世界中が注目する中、エイリアンを裁くための裁判が始まった。
ファーストコンタクトものではあるのだが、それはどちらかというと設定のためのおまけみたいなもんで、実際にはエイリアンを容疑者に据えた真っ向からの法廷推理劇。ギミックはSFだけど、これはむしろミステリ体質の人の方がよろこべる作品なんじゃないだろうか。逆にSF者にとっては「なんじゃこりゃ!」的な展開かもしれません。ただ、その「なんじゃこりゃ!」も笑い飛ばせるだけの内容だと思いますけど。つーか私はその馬鹿馬鹿しさこそ愛すべき作品だとすら思います。異星人との交流がこんなに楽観的に行われればどれほどいいだろう!。
ソウヤーの巧さは、リアリティとフィクションのバランスの取り方。前述の通り、ツッコミを入れようと思えばいくらでも入れられるんだけど、「まあまあそれはとりあえず置いときましょうよ」とさりげなく交わしつつ、ミステリとして必要な情報や裏付け、法廷原則はきっちりと描いている。そのバランスが絶妙だと思う。
それから、ただ単に「エイリアン裁判」だけに重きを置かず、差別問題やSFプロパーな知識を各所で挿入するんだけど、あくまでもスパイス程度に収めているのも巧い。必要以上に入り込まず、けれどこちらが気になる程度にチラチラと見せる。時として、それが伏線になったりする。一本調子のストーリーに決してなっていない、ブラボー。
とにかく読んでる間中、次の展開が気になりっぱなしだし、500ページの厚さを全く感じさせないリーダビリティも卓越している。これには訳者にも拍手を贈りたいと思う。そして、ラストで明かされる新事実。よくよく考えてみると根底からひっくり返る真相なわけで、その辺のミステリ的趣向も見事と言う他ない。
「エピローグの展開が…」という人もいるようだが、私は諸手を挙げて賛成。これは私がSF者でないからかもしれませんけど。もし、些細な不満を挙げるとすれば、いや、これは言わずにおこう。とにかく読んでみれ。
法廷劇ということで、現実に起こったO・J・シンプソンの裁判がそこかしこに引き合いに出されます。これはさすがにアメリカ人でないと今ひとつ理解しにくいかもしれません。個人的には先に解説を読んでいたのである程度の理解はできました。作者自身はどういう意図をもっているのかわかりませんが、陪審員制度に対しても一石を投じてる(ただしソウヤー流のさりげなさで)ような気もします。
極上のエンタテイメントという形容がピッタリの作品。だから読めってばさ。
おまけ:やたらと日系人が出てくるのは作者が日本贔屓だから?。
あのガチャピンのモデルは野田昌宏だった!。(『トリビアの泉』より)
てゆーか、野田昌宏が『ひらけポンキッキ』のプロデューサーで、今では日本テレワークスの代表取締役だってことにもビックリだ。ガチャピンにモデルがいたってこと自体も。
でもまさか、この辺の事情ってSF者にとってはガイシュツ?。
というわけで昨晩は速報的フライング更新してしまいましたが。通常更新に戻ります。
『トリビアの泉』は確かに面白い。アシモフの言う通りだよ。
昨夜のその他のムダ知識で個人的にヒットしたのは、
ですかね。ネット上には様々な雑学を取り上げたページがあるので早いモン勝ちのようなところもありそう。名前の由来に関してはこんなサイトもあるし。如何に面白い、「へぇ」と思わせることができるように紹介できるか、という腕にもかかってるような気もします。皆さんも投稿してみては?。
メモ。
実はこの作品、連載第三話くらいで挫折して読んでない。もともとこの作者の『いいひと』が苦手だったせいもある。なんというかこの人の物語って展開や会話がある一定のルールに基づいて進んでいって、それが理解できる時もあるんだけど、こっちの感覚がそのルールからそれてしまうと全くついていけなくなる感じがするのだ。破綻しなさすぎて入り込めない、とでも言えばいいのか。うまく説明できません。
で、今回マンガ夜話でどんな風に評されるのか気になり、ことと次第によっては読んでみようと思ったわけ。
そしたら、なんと意外なことにほぼ全員が絶賛。途中大月隆寛がその気配を読んで苦言のようなことも呈してましたが、本人は決して否定派ではない様子。あのメンバーにそこまで言われちゃうと読まずに済ませておく気にもなれない(権威に弱い小市民)。
ただ小市民であるのと同時に天の邪鬼体質でもあるので、釈然としない気分なのも確か。
「岡田斗司夫の目」のコーナー(新設)で言われていたが、この人は受け手に与える心象を考えてマンガを書いている。それには同感。だからこそ、そこから受けるイメージに他の印象を持ちようがなく、それに対して素直に反応できないものにとっては逃げ場がないと思うのだ。絵や台詞や構成それぞれから読み取れる要素が多ければ、受け手としてもそこから自分好みの要素を得ることができ、それが作者の意図とは別のものだとしても「いい」とか「面白い」という感想になることもある。だが高橋しんというマンガ家はそれをよしとせず、自分の思った通りのイメージを受け手に与えることに力を注いでいるのだと思う。それは彼が『最終兵器彼女』で総合プロデューサーの立場に立って全てをコントロールしようとした、というパネラーの意見に通じるものだろう。受け手としてはその心象をまるごと受け止めるか、こちらの受け入れ幅(許容範囲)を広げるか、それしか方法がない。おそらくそこいら辺が私にとっては窮屈な感覚として映っているのだと思う。
なんて、偉そうなことを語ってみました、私が挫折した理由は上記のような理由に基づくものなので、「この作品を好き」という人を否定するものでは全くありません。同時に、高橋しんの云わんとすることを受け入れられない、ということでもありません。
ま、とにかく読まんことには <結局、読むんかい。
それにしても昨日の夏目房之介の「夏目の目」は低調だった。ガンバってくれよ、夏目さん。
ゲストの豊口めぐみは思ったよりもよかったですね。声優さんはまず活舌がしっかりしてるからそれだけでOKでしょう。余計なことを言う必要はないのです。
光文社の『ジャーロ』に掲載された作品(加筆修正あり)。「劫尽」とは全てを焼き尽くす地獄の劫火、「劫尽火」のこと。
謎の組織「ZOO」の協力者として「人間の可能性を広げる」研究をしていた伊勢崎博士が組織から失踪した。組織の特殊部隊は4年間、杳として知れなかった博士が日本に戻ってきたという情報を手に入れる。博士が潜んでいるとされる別荘には、博士とその子供が潜伏していた。彼らは博士奪回を目論むが…。
恩田陸の流れとしては『光の帝国 -常野物語-』に通ずる異能力者もの。本作でもやはり「持つもの」として生まれてしまった人間(?)の悲哀が描かれている。
ただ、私の率直な感想はステロタイプな設定だなあ、というもの。異能力者を育て、それを利用しようとする悪の組織、それに対抗するこれまた謎の組織。特殊工作員、アメリカの軍隊。マンガならどこまで目にしたような造詣である。
恩田陸は良くも悪くも少女マンガと同列に語られることが多い作家だが、その意味では確かにこの物語も和田慎二の超少女アスカや柴田昌弘の紅い牙・狼少女ランを思い起こさせるし、標準的な少女マンガから(途中ホラーが入り)バイオレンスへの変遷を辿る道程は吉田秋生ひいては石ノ森章太郎を思い起こさせる。
その意味では恩田陸は間違いなく少女マンガの小説という分野における正統的継承者であると思う。ただ、逆に言えばこの物語には目新しさはあまり感じなかったのも事実。
ただ、最後の章に関してだけはオリジナリティがある。ただ、そのオリジナリティも私にとっては「?」というものであった。正直、何が語りたいのか判然としない。ラストにきっちりとした結末をもってこないのはいつものことで、私はそれでも普段は納得してるんですが、今回の場合は…うーん。なんか無理やりすぎる展開とでもいえばいいのだろうか。とにかくスッキリしない。
それこそこの作品を原作にして和田慎二や柴田昌弘がマンガを描いたら、それなりに面白い作品に仕上がったのではないだろうか。もしくは一冊の小説としてではなく、シリーズものとして長きにわたって連載するとか(*1)。これだけのボリュームで語るには風呂敷を広げすぎてしまったという気がする。
『光の帝国』では「持つもの」の苦しみが単純に描かれているだけでなく、それに対する「救い」みたいなものがあったと思うし、「持つもの」と「持たぬもの」の共存も期待できた。それこそが「お、今までの異能力者ものと違うな」と思わせたポイントだったのに、なぜここに来て…ちょっと解せない。
リーダビリティに関しては、相変わらずで文句なし。それだけに少々残念な一冊である。読んで損した、とは思わないが、「もっと書けるでしょう」と、どうしても思ってしまうのだなあ。
個人的に彼女には現実と幻想の狭間でゆらゆら揺れるような作品を期待しちゃうんだなあ。
これ確かにいいね。大喜利メンバで買ってがくし邸に置いておこうか。
今日は話題の新しくなった丸ビルに行ってきました。新しくなった丸ビルは新丸ビルとは別。紛らわしいなオイ。
で、丸ビル内のREGALでやっとこさ靴を購入。当初予定していたのとは違う買い物になったんだけど、それはそれで満足。あー、靴が足にフィットするって素晴らしいなあ。店員さんがとても親切で、こちらの困った悩みにも様々な回答を用意してくれる。さすがは老舗だなあ。これからもお世話になりたいと思いました、ハイ。
で、丸ビル内で食事、ってことになったんだけど、さすがに混んでるわけです。仕方なく予約のような真似をして待つことになったんですが、指定された時間を過ぎても一向に呼ばれない。時間はドンドン過ぎていき、言われた時間から三十分が経過。あと2分何も言ってきやがらなかったら(大人しめに)キレよう、と思ったところでやっと呼ばれた。今は注目が集まってるからってふざけた商売するんじゃねえ。皆、腹減っていたので出てきた食事は次から次へとあっという間に消え去っていきました。腹が膨れればそれなりに満足はしましたけど。
ちなみに『ななは』というお店です。『ななか』ではありません。ヲタク属性の方は注意。隣のお店の名前は私の中では『いちゃいちゃ』とインプットされてしまった。
で、帰宅してすぐに『BSマンガ夜話』が始まり、今見終わりました。今日の感想はまた明日。昨日の感想は↓。しかし今回は絶賛ばかりですな。それもちょっと物足りなかったり。
マンガ夜話を見終わった直後、島本和彦のホームページにアクセスしたら繋がりませんでした。皆、考えることは同じなのね。サーバ落ちたんじゃないだろうか。
で、改めて訪れてみた。…うぐぐ、通販商品全部欲しくなっちゃったよ。それはいくらなんでも金がかかりすぎる。昨晩のアクセスバブルで多くの商品が品切れになってしまった可能性もある。ダメモトで『新谷かおるになる方法』だけでも申し込んでみようか。
ぐうう…日めくりカレンダー欲しさに冬コミ行くのもなあ。何方か、買って来てくれませんかね。
と、いきなり脱線から入ったが、つまりはそういうこと。島本和彦はサイコーだぜ!。っていう結論。二夜連続でパネラーが全員絶賛、というのも珍しい。私としては今日の絶賛には諸手を挙げて賛成するだけである。この熱さが理解できない人とは多分根っこのところで分かり合えないだろう。
しかしながら、なぜ『燃えよペン』?、という疑問は少なからずあった。たった一冊だし、どこまで深く話題に出来るのかなあ、と思っていたのだが、案の定作品論から作者論へと移行し、逆にいつものマンガ夜話よりも深くツッコんだ討論になった気がする。これはマンガ夜話の中でも上位に入る回だったのではないだろうか。
そんなわけで、自分が肯定派なだけにあまり付け足すこともなく、やはり「島本和彦は面白い」という結論にいたるのであった。掲載誌などからみたら不遇な作家にみえるかもしれないが、おそらく本人はやりたいことがやれて満足だと思う。いしかわじゅんのいう通り、あれは一番誌に掲載する作品じゃない。変な話、出会う人はどうやっても出会うんだよ。あの熱さに惹きつけられて。
いしかわじゅんの指摘で「なるほど」と思ったのが、いわゆるペンのタッチに関する説明。要約すると、最近のマンガ家に多いのは、輪郭線を一本の太い線で描かずに重ね描きする人が主流で、島本和彦は一本の線で描く(それも目一杯太く)古いタイプのマンガ家だということ。
正直、この10年くらい、「絵が好みだな」と思うマンガが少ない。それはおそらく「古いタイプ」のマンガに囲まれて育った世代の自分が、「新しいタイプ」の絵柄にどこかで拒否反応を示しているからなんだと思う。拒否反応というと大袈裟かもしれないが(実際、そういったマンガも面白く読んでる)、それでも「何か足りない」という気持ちはやはり残るのである。「マンガらしいマンガが読みたい」というのはオジサン的な発想だと理解はしているが、一筆入魂で描かれたマンガが読みたいと思う気持ちは確かにあるのだ。
昔のマンガ家の話で、顔の輪郭線を一本引いただけで、それが思ったように引けなかったらその原稿を破り捨てる、というエピソードがあった。そういう風にして作られたマンガが読みたいし、そういうマンガを読んでいるときは「マンガを読んでるなあ」という安心感のようなものに包まれるのも事実である。
まあ、島本和彦ほど真っ黒にする必要は必ずしもないんですが。
スロースターターの夏目さん。頑張ってくれい。あと二日ですよ。
ところで『燃えよペン』はマンガ家の姿をマンガで描いたメタマンガなわけだが、こうしたマンガで私がとてつもなく気に入っているのが、途中夏目房之介もチラッと言っていた小林まことの『マンガの描き方』である。これはもうホントに笑った。全盛期の小林まことがなんでこんなもん描いてたんだ、と思うようなマンガではあるがとにかく笑った。
だがしかし、この愛すべきマンガを私は所有していない。当時、友人に借りて読んだからである。そしてこの10年来、私にとっての一番の探求本である。古本屋に足を踏み入れる度に捜すのだが、未だ見つからない。何方か見かけた方がいらっしゃいましたらキープして、ご報告して下さいませんか?。
『虹の家のアリス』加納朋子【→bk1へ】読了。レビューは後日。
購入物。
『凍える島』、『ねむりねずみ』、『散りしかたみに』と読んできた近藤史恵。ミステリの世界に閉じない男女の恋愛の裏面を描き出したその作風は、たまにどうしても読みたくなる時がある。で、今がその時だったので滅多にノベルズなんて買わないんだが購入して読んでみました。
「瞳子が死んだわ。自殺したそうよ」。法子から放たれたその一言に僕は膝から崩れ落ちそうになった。
弦と法子、猛とサチ、そして瞳子は大学時代からの10年来の付き合いだった。だけど、四人の誰にも瞳子が自殺した原因に思い当たるものはいなかった。果たして瞳子の死は本当に自殺だったのか?。そして彼女の死後、届いた一通の手紙。そこには「私を殺さないで」と書かれていた。
いったい、僕たちは彼女のなにを知っていたのだろう?。
誰よりも近い存在であったはずの仲間。しかし、本当に互いにわかりあっていたのだろうか?。
瞳子の自殺の理由を求めて、そして彼女の死ゆえに苦しむ仲間達を弦、法子、猛、そして弦の順番に視点を変えて追いかけていく構成になっている。5人の仲間の間を行き来するベクトルがもつれ合い、綻びゆく様はそれだけで痛みを生じさせる。
一読して思い出したのが東野圭吾の『卒業 -雪月花殺人ゲーム-』。あの物語も仲がよかった筈の仲間達の間で殺人が起こり、近かったはずの存在が遠くなり、輪が壊れていく話だった。
なんてもっともらしいことを書いてますが、これはダメです。ヤバイです。作品がダメなんじゃありません。相変わらず近藤史恵は男女の恋愛の残酷さを見事に描いています。それはいいんです。何がダメって、この主人公、弦ですよ。
こいつはホントにダメ。もうダメだって。こういう男はホント救いようがない。それがあまりにもわかってるから最後まできて、ひとつの謎が解けても全然カタルシスがない。だって、謎が解けようとなにしようとこいつきっと永遠にこのままだもん。この事件を経験して成長、なんてことありえん(断言)。それがわかりすぎてキツ過ぎます。後味悪いどころか、最初の一口から不味すぎる。もー、なんてもの読ませんのよー近藤史恵は。
なぜこんなに過敏に反応しているのか、説明するまでもありませんね。あー、もうヤダ。
無理矢理まともなことも書いてみよう。テーマとなっている部分については理解はできるんですが、彼らの年齢設定が26、27くらいの割に「子供すぎ」という印象は付きまといました。ま、実際はその年齢でも子供な人は子供だし、それについて私がとやかく言える身分でないことは重々承知。ただ、近藤史恵自身がこれまで「大人の恋愛」を描いてきただけに作者の視点と彼らの心情に距離感のようなものを感じて、そこがむずがゆいような、常に首筋に嫌な感じが残るような。
また三章までの展開から、四章になるといきなり物語を終幕に持っていこうとする部分が強すぎる気がしますね。終わらそうとしているのが見え見え、というか。この辺りはもう少し時間をかけて処理してもよかったのではないでしょうか。
肝心のホワイダニットは、うーん、この辺りも作者の心情と登場人物の心情に多少の乖離を感じる。まだ彼らの設定が大学生とかだったら受け入れられた気もしますが。自分のことを棚に上げて言ってしまえば、学生時代と社会に出てからというのは自分の気持ちとは全く別のところで身体も精神も変化(成長と呼んでもよい)してしまうんですよね。一人くらいなら、変化しないままの人間がいたとしても、それが五人となるとねえ。
付け足すとしたら、そうですね、よく皆友人やってたなあ、と。それが一番の謎な気がします。
ああ、やっぱりまともなレビューにはならなかった…。とにかくダメなんですよ、この主人公。物語云々をすっ飛ばしてそればかりが頭に残ってしまった。ぐあぁぁぁ。
鞄、というよりバッグを購入。とりあえず、って感じのやつですけど。いわゆる斜め掛けできるタイプが欲しくてここしばらくずっと探していたんだけど気に入るものが見つからなかった。で、「ま、最悪これだな」というやつを購入。安かったし。デザインは好きじゃないんだけどギミックが他のやつよりは考えられていたので。しばらくはもっと気に入れそうなバッグを探し続けるつもり。
古書市では本よりも知り合いを探してしまう私はやはり古本者にはなれないということでしょうか。
さて、明日から小屋入りです。頑張るぞ、っと。って小屋入ったら私が頑張ることなんてあまりないんですけどね。あとは役者とスタッフに全てを託すだけ。
別に毎日わざわざ感想書く気はなかったんですが。
ちょっと記憶にない三夜連続絶賛の嵐。このマンガは大好きなのでそりゃ嬉しいんですが、番組としては面白みに欠けますねえ。ゲストが肯定派なのは仕方ないとしても、レギュラー陣は専門家としてツッコめる部分がないわけではないと思うんだが。
えー、『百鬼夜行抄』に関しては、夢枕獏の「ハズレがない」という言葉に集約されるような気がします。よくこれだけ質の高い物語を書き続けることができるとホントに感心してしまう。物語として一級品なので、マンガを読まないという活字中毒者の方も是非一度手に取って欲しいと思います。話の中には、ミステリとしても質の高い作品もありますし、当然ホラーとしては言うまでもない。スプラッターでもショッカーでもなくホラー。
そういや私としては夢枕獏もいいけど京極夏彦がゲストだったらもっとよかったのに、と思いました。
しかしなんですな、ものの見事に尾白と尾黒に支えられれるマンガですな。ファンの9割9分が尾白尾黒ファンでしょう。かくいう私もそうですが。これもやっぱ作者のキャラクター造型の勝利なんだよな。
確かに『ネムキ』という雑誌自体はなかなかメインストリームには乗れない雑誌だとは思うけど、『百鬼夜行抄』自体はもっともっとメジャーになってもいいと思う。それだけの話の質、画力があるんだから。マンガ夜話がきっかけとなって本当の意味でブレイクしてくれると嬉しいなあ。作者はプレッシャーに弱いタイプだと思うけどね。
今日の「岡田の目」はなかなか面白かったな。低血圧マンガは確かに言い得て妙だ。
スロースターター夏目さんは、確かに一昨日、昨日よりはよかったけど、岡田に負けてますよ!。頑張ってください!。
付け足し。まあ、多くの方には「んなこと知ってるよ」的なことなんですが、やはり『百鬼夜行抄』の話が出たら、『雨柳堂夢咄』波津彬子もオススメしておかねばなるまい。どちらか一方がお気に召した方は、もう一方も絶対に気に入るはずです。もし、どちらかしか読んだことがない、という場合はお手に取ってみることをオススメします。
『プラチナ・ビーズ』五條瑛読み中。この人の文体は固いですねえ。
え?、『ロミオとロミオは永遠に』恩田陸はどうした?。いや、ちょっと私にはついていけなかったんでしばらく放置することに決めました。再び手に取ることがあらんことを。とりあえず誰か感想聞かせてください。
購入物。
『螺旋階段のアリス』【→bk1へ】から続く、優良退職者給付制度を利用して脱サラ探偵になった仁木と、ひょんなことから彼の助手となった市村安梨沙のコンビでお送りする、アリスシリーズの第二弾。本格ミステリ・マスターズの一冊して刊行された連作短編集。
【虹の家のアリス】
安梨沙の叔母、八重子の営む「主婦道」教室に訪れた仁木。そこの生徒の一人から相談された悩み。それは彼女がお手伝いする育児サークルで起こった不思議な事件。(珍しく)仁木の明快な推理が楽しめる一篇。
【牢の家のアリス】
以前、事件を解決した青山産婦人科で今度は乳児誘拐事件が起こった。しかも密室。事件らしい事件に盛り上がる仁木の推理は?。
【猫の家のアリス】
アンソロジー『「ABC」殺人事件』に収録された一篇。猫好きの集まるサイトで報告される猫の連続殺害事件。アガサ・クリスティの小説を思い起こさせるその事件の裏に隠された真実とは?。
【幻の家のアリス】
衣替えのために久しぶりに実家に戻る安梨沙に同行した仁木。そこで家政婦から依頼された内容に、仁木は戸惑いつつも調査しようと試みるが。
【鏡の家のアリス】
息子、修平から突然の依頼を受けた仁木。彼の恋人と、彼女に付きまとうストーカー。目の前にいる女は果たしてどっち?。
【夢の家のアリス】
花盗人に罪はない、というけれどそれも限度が。ご近所中の花を盗んでいくのはいったい?。
といった内容で、ひとつひとつの短編は相変わらずの加納朋子節。といいたいところだが、以前よりも少しずつではあるが人間の害意が表に出るようになってきた気がする。おそらく加納朋子は自分と価値観や考え方が異なる人間を極度に嫌う傾向があるのだと思われる。そういう人間たちの極点を読者にも嫌悪感を与えるように書いている。これは初期の作品群にはあまり見られなかった。そういう意味では『ガラスの麒麟』以後から、彼女も少しずつ作家として毒を吐くようになってきたということだろう。
もちろん、彼女の持ち味である「温かさ」は健在で、その意味では毒が勝つようなことはないわけだが、このバランスが崩れたり、逆転したりしたら読者にとっては「なんか違う」というものになってもおかしくはない。今後、どうなっていくのか楽しみであり不安でもある。
後半三篇は、主軸となる事件と同時に、かつては籠の中の鳥であった安梨沙が、徐々に飛び立つことを憶えはじめる姿も描かれている。ただ、事件と並行して描かれるため、ページの分量の関係もあり、少々流され気味なことも確かである。事件に重きを置けば安梨沙の心情が薄くなり、安梨沙に重きを置けば事件が手薄になる。最後の一篇なぞは特にそれを感じてしまった。個人的には、安梨沙の話をドンと中心に据えて書かれた一篇が欲しいところだ。
とにかく安定の一冊。加納朋子ファンのみならず、「日常の謎」系やホッとするようなミステリがお好きな方なら手に取って損はない。もちろん『螺旋階段のアリス』からお先にどうぞ。