ごくたま昨日日記 in April, 2003

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Apr.1,2003 (Tue)

daylife

こんな日だからって誰かを騙そうとはいちいち思わないが、普段言えないようなことを言っておくのはいいかもしれない。
というわけで。

「今後は〆切りは絶対に守ります!」
「今後一切昔話はしません」
「今後一切寒いギャグは言いません」
「これからは会社のために身を粉にして働きます」

あー、スッキリした。ストレス解消になるな、これ。あと十分で今日も終わるけど。

そんなことはどうでもいいとして今日は会社で花見イベント。靖国神社に陣取っての本格的な花見だ。こんなの社会人になってから初めてだよ。つーか誰も桜なんか見ちゃいねえ。酔っ払いが何千人、と集まって飲めや歌えやの姿はなんとも形容のしようがない。こっちは素面なだけに余計に。日本の将来はどうなるんかねえ。

千鳥が淵の桜は綺麗に咲いてます。見応えあり。昼休みにでもブラブラっと歩いてみるか。

涅槃の読書模様

『鉄の枷』ミネット・ウォルターズ【→bk1へ】読み中。

Apr.2,2003 (Wed)

daylife

元来医者に行くのが嫌いなので、足の怪我も適当に治療して放っておいたら痛みが増してきた。さすがに自分で治療できる規模ではなかったようだ。い、痛い。おまけに足をかばって風呂に入ったら、無理な体勢になってしまい腰まで痛めた。目の調子は相変わらず悪くて本を読むのもディスプレイを見るのも一苦労だ。

そんなわけで、早々にPCの電源を切って寝ることにします。仕事の能率も上がらんし、ダメだなあ。つか、医者に行かねば。

Apr.3,2003 (Thu)

daylife

退社後に三省堂書店に寄って、ボードゲーム・キャラバンに行ってきました。一階の特設スペースに十種類程のボードゲームが陳列されて、実際に遊べるスペースもあります。
今日は様子見だけだと思ってたんですが、説明を聞いているうちに『Catan』をどうしてもやってみたくなり、スタッフの方に「やっていきませんか」と誘われたのでやってみた。

この『Catan』というゲーム、今最も売れているだけあって確かに面白い。一見単純なゲームなんですけど、細部の設定が小憎らしい。これはハマるのもわかるなあ。今日は簡易モードで一戦しただけですが、すっかり買う気になりました。
明日以降も足を運んでみるつもり。『Catan』以外のゲームも体験してみたいし。『Catan』ともうひとつくらい買う気になれればいいな。

ボードゲーム仲間でもいればなあ。

涅槃の読書模様

『Number』とマンガだけ。

購入物。

『Number 573 Chmpions League Climax イタリアは再生したか』

欧州チャンピオンズリーグもベスト8が決定し、いよいよ大詰め。決勝戦をオールド・トラフォードで戦うことができるのはどの2チームか。とはいえ、特集というほど特集が組まれてるわけでもなし。最近のNumberはPLUSに力を入れすぎて、本誌の記事が弱くなった気がする。インタビューとか少ないし。個別記事については随時更新。

昨年、一昨年のCL(*1)において、イタリア勢はベスト8に1チームも送ることができず、「イタリアサッカーの低迷」が叫ばれたわけだが、今季はユベントス、ACミラン、インテルの3チームがベスト8に残った。この事実をもってして「イタリアサッカーの復権」といえるのかそうでないのか。そのあたりが今号の注目点である。

結論から言えば、これで「イタリアの再生はなった」とは言えない、ということだ。今年の3チームの活躍の根底には「獲得した大物選手が名前どおりの活躍をした」という事実があるのみで、イタリアサッカー自体の底上げや、セリエのサッカーが大きく変わった、と見る向きは殆どいない。

ただ一点、ACミランのサッカーは変わった、と見ていいだろう。決して攻撃的とは言えないアンテェロッティ監督が、ベルルスコーニの意向を受けて攻撃的サッカーを目指している。それはアタッカー陣の充実振りを見ても明らかだ。シェフチェンコ、インザーギの2トップでも充分だったのに、今季はリバウドとトマソンを獲得。この攻撃陣が爆発している。セリエA開幕当初からは弱冠守備的になったとはいえ、セリエを代表するACミランがこうしたチームの換骨奪胎を図ったことは話題として取り上げられて当然だろう。しかし、これがイタリアサッカーの新たな潮流となるかと問われれば「否」と答えるしかない。果たしてイタリアサッカーの再生はありうるのか。これはCLのトーナメントの結果や、今季移行の動向を見て行かねばわからないことだろう。

イタリアとは逆に今季1チームもベスト8に送り込むことができなかったのがドイツだが、同じようにこれをもってドイツの凋落と呼ぶのは早計に過ぎる。

さて、CL準決勝の最大の見所はなんといってもレアル・マドリーVSマンチェスター・ユナイテッドの一戦だろう。世界中が注目するこの一戦だが、その割には今号での取り上げ方は小さい。もう少し煽ってくれても良さそうなものではないか。個人的にはマンチェスターサポーターなので是非とも勝って欲しい。特に今季のCLの決勝戦はマンチェスターのホームであるオールド・トラフォードだ。今年決勝まで行かずに、いつ行くのだ。とはいえ、レアルの戦力や戦術を考えると、マンチェにとって相性がいいとはあまり言えない。いや、それでもなんとか…。もうひとつのご贔屓チーム、バルセロナがこの先厳しい戦いを強いられそうなのでマンチェに期待する。ここで勝てば、と言いたいがバレンシアが上がってきたら、嫌な相手だなあ。

で、そのバルササポーターとしては『バルサはなぜ迷走したか』の前会長ジョアン・ガスパールのインタビューが興味深かった。といっても深いところまで聞けている、ということでもない。しかし、「ファンファールを呼び戻したことは失敗だった」と認めているのには驚いた。もっと早くそれに気付いてくれれば。そうなんだよねえ、バルサには「いい形でチームを去って行った」選手が少ない。このチームと気持ちいい関係を作ることはそれほどに難しいのか。それは会長以下フロントの責任なのか、そうではないのか。ガスパール自身は「バルササポーターのプレッシャーゆえ」と答えているが、プレッシャーの大きさならレアルやユーベ、マンチェにもいえることだろう。確かに、カタルーニャ人の気質のせいもあるとは思うが、ファンとしては引退後も誇りに持てるような選手、一生「バルサの選手」と言い切れるような選手を育てて欲しいと願ってやまない。

その他の記事。

先日の日本代表とウルグアイ代表の一戦のクロスレビュー。金子達仁と杉山茂樹で小野の評価が正反対なのが面白い。全員が全員、「黄金の中盤は見ていて面白いが、中田浩二が入ってからの方がバランスは良かった」と言っている。私自身もボランチは中田浩二と福西崇のコンビが最も良いと思っているので、「黄金の中盤」の見直しをジーコには求める。4-5-1にして「黄金の中盤」の3人を使うってのはアリだと思うけど。中盤があれだけ攻められるなら前に二人はいらない、というか邪魔だろう。先日も高原と鈴木が前で二人とも機能していたシーンは殆どなかったし。高原1トップで、1.5列目に中田、その後ろに小野か中村か稲本にして、ボランチは中田浩二、福西のコンビで問題ないと思うんだけどなあ。

先日のPLIDE25でヒョードルに敗れたノゲイラのセコンドであるマリオ・スペーヒーとムリーロ・ブスタマンチが敗因を語っています。両者共に1R早々ヒョードルから放たれたパンチがノゲイラの顔面にまともに入り、それが勝負を決めた、と語っています。まあ、結果的には3R闘って判定まで行ったわけですから、あの一発が全てというのは少々言いすぎな気もしますが、野球でいえばピッチャーの唯一の失投を見逃さずホームランにされた、ということなんでしょうか。私自身は、インサイドガードからあれだけパンチを放つことができたヒョードルが凄かった、としか言いようがありません。

『マイケル・ジョーダン インタビュー』。今シーズンでホントのホントに引退すると公言しているジョーダン。もはや何度も聞いたようなインタビューなんですが、ますますバスケットボール教の伝道者に近づいている気がします。「愛」とか「情熱」といったこと以外に語ることなし、みたいな。まあ、「神」ですからね。現役最後のインタビューを取っておきたいということなんでしょうが。個人的にはこのインタビューにも出てくるコービー・ブライアントとかトレイシー・マグレイディ、ビンス・カーターのインタビューの方が読みたいです。私の好きなティム・ダンカンとかクリス・ウェバーとか。
そうそう、現役最後といえば、シーズン終わってからでも構わないので、提督ことデビッド・ロビンソンのインタビューは是非とって欲しいです。

『20世紀少年 -12-』浦沢直樹(ビッグコミックス)【→bk1へ】[comic]

いい加減に「引き」ばかりでは少々飽きてくる。『MONSTER』の時はそれでも色々と動きがあったので楽しめたが、少々キツくなってきた。「ともだち」の正体もこれで決まりではないだろうしなあ。作者が先の話を考えつけてない、ということはまさかないだろうが。

その意味ではマルオのエピソードは気分転換にはよかったが、それ以上のものではなかった。結局は「ともだち」の正体は誰なのか、ということ以外に謎がないのが問題なのかもしれない。
それにしても、この巻での「仕掛け」にはホントにビックリした。このインパクトは今までマンガを読んでいて感じたことがなかった。この仕掛けを考えた編集者は天才。

『G戦場ヘヴンズドア -2-』日本橋ヨヲコ(IKKIコミックス)【→bk1へ】[comic]

連載誌であるIKKIがリニューアルしたのにあわせて2巻の発売同時に1巻も新装版に。これはちょっと舐めた商売ではないかと思う。結局2巻だけ購入したが版型まで違うので困っている。

堺田と鉄男の合作が佳作を受賞。授賞式では互いの父親と出会うことになり、二人とも期するものが。しかし、父親の気持ちを惹きたいと思っている堺田の目の前で父親が取った行動は、鉄男を抱きしめる、という行為だった。鉄男と酒井大蔵との出会いがはるか以前にあったこと。そしてその邂逅が二人にマンガをかくモチベーションを与えたことを知り、堺田はショックを受ける。そして、堺田は鉄男と決別し、一人でマンガを描くことに。一方の鉄男は、愛する母親のためにマンガを捨てようとするが、その矢先に母親の寿命は尽きてしまう。なにかを振り捨てるようにマンガを描き続ける鉄男。二人の進む道は再び交わるのか。

相変わらず強烈なパワーとテンションのマンガです。「マンガを描く」ことがこれほどまでに痛々しく、切ない行為だとは。

「漫画家に必要なものって、なんスか?才能じゃなかったら、何なんスか?本物との差を決定的に分ける一線って、いったい何なんですか!?」
人格だよ

という台詞には凄みすら感じます。

とにかくこのマンガは台詞がいい。胸にガンガン響いてくる台詞ばかりです。日本橋ヨヲコはスクリプターになったら大成功を収めるでしょうね。マンガ好きならこのマンガは絶対に読むべし。創作者ならばきっと「感じる」ものがあるはず。

「君は作品の一般的なイメージで、読んだつもりになってるんじゃないの?」

という台詞は自戒も込めて胸にグサッと来ました。

『燃えろペン』島本和彦とはまた一味(どころではないが)違ったマンガ家の凄さが味わえます。


*1: チャンピオンズ・リーグ

Apr.4,2003 (Fri)

daylife

食事中に『ゴチになります』は見ちゃいけねえ。

遂にゲームボーイアドバンスSPを買うことができました。発売から約二ヶ月。長かった。今日買えなかったら潔く諦めようと思っていたのですが、幸か不幸か在庫が残ってました。色はアズライトブルーです。
レジで現物を受け取ってまず思ったのは「ち、小せえ」ということ。思わず「あの、私が欲しいのはアダプタじゃなくて本体なんですけど」と言いそうになりました。本体の大きさは下手なデジカメより小さいです。こりゃホントに驚きの小ささだ。
ソフトはとりあえず『逆転裁判』『逆転裁判2』『ヒカルの碁2』の3つ。ヒカルの碁は1がなかった。まあ、2からでも遊べるでしょう。

早速、猿のように『逆転裁判』をプレイ、といいたいところですが、目の調子が悪いのでちびちびとやっています。今週末はこればっかりになりそう。目の調子次第ですけど。

涅槃の読書模様

ちびちびと『鉄の枷』ミネット・ウォルターズ【→bk1へ】読み中。

『夏と花火と私の死体』乙一(集英社文庫)

「切なさの達人」乙一のデビュー作。発表された当時は「弱冠17歳のデビュー」と大騒ぎだった記憶がある。
表題作は第6回ジャンプ小説大賞を受賞。
表題作である【夏と花火と私の死体】と【優子】の2編を収録。

確かに、これは17歳の筆致ではない。発表当時、あれだけ騒がれたのも頷ける。しかし、その喧騒が私をこの作品から遠ざけたのもまた事実で、「17歳かどうかはともかく、ひとつの小説としてどうなのよ」という天邪鬼な思いゆえに、昨年『暗いところで待ち合わせ』を読むまで乙一作品を手に取ることはなかった。で、今になってこうしてデビュー作を読んでみたわけだが、結果的にそれは正解だったかもしれない。

確かに私は『暗いところで待ち合わせ』で、ガツンを頭を叩かれ「乙一恐るべし」と平身低頭の至りであったわけだが、このデビュー作を読んで思ったのは、「確かに17歳とは思えない素晴らしい筆力ではあるが、そこまで騒ぐほどのものだろうか」と当時なら(捻くれ者であるが故に)思ったであろう、ということである。

というのは、本作の肝といえる、死体であるはずの9歳の「私」という視点がどうにも腑に落ちないからである。確かに、その発想は素晴らしいし、その構成で語られる文章は巧いとしか言い様がないのだが、どう考えてもこれは「9歳の小学生の言葉ではない」だろう。もし、これが9歳の子供の言葉で語られていたら、私としては感心しきりどころか、とんでもないものを読まされた気分になっていたと思うが、残念ながらそうではない。そんな細かいことを云々するな、という方もいるかと思うが、これが17歳のデビュー作でなければ、そこを突いてくる人間は必ずいるだろう。少なくとも私は、そこに言及する。

この一点以外において、乙一は素晴らしい仕事をやってのけている。特にオチの秀逸さは見事だ。しかし、作品の根幹を為す部分で個人的には高い評価は出来なかった。

その意味では併録されている【優子】の方が特別な面白味はないが、将来性も含めて完成度は高く、「これが17歳の作品か」と驚きに値した。松岡正剛の千夜千冊で語られているように、芥川や太宰、三島のような才能を確かに感じられる。というか、ある程度の名声を得た文豪の作品集に収録されていても、なんら違和感ないほどの作品だと思う。惜しむらくは卓抜というほど面白くはない、ということだろうか。面白さでは確実に【夏と花火と私の死体】の方が上である。

しかし、私は既に乙一が類稀な才能を持った書き手であることを知っている。なので、上に書いたような内容も今となっては単なる戯言にしか過ぎない。その点においても、本書が刊行された当時、手を出さなくて幸いだったと思うのである。多くの方々が、乙一の才能を見抜き絶賛する中、一人だけ異を唱えていたりしていたら、と思うと背筋が寒くなるのであった。

『ヒカルの碁 -21-』ほったゆみ/小畑健(ジャンプコミックス)【→bk1へ】[comic]

いよいよ北斗杯代表者が決まり、と思いきや意外な展開。越智!お前は男だぜ!。ま、あっさり社にやられちまうわけですが。コ・ヨンハは嫌味キャラなのか?。次はいよいよ北斗杯本番か。それにしても倉田さんが出てくると、やっぱ面白いわあ。もっと倉田さんを活躍させてくれ。
碁会所での一幕で「神の一手」に関する挿話が出てきますが、こういうの好きだなあ。こういう部分がほったゆみは巧いと思う。
ヒカルやアキラに直接関係ない緒方さんや桑原本因坊をさりげなく登場させる辺りも憎いです。

ひとつだけ不安なのはこのままいくとヒカルの最後の敵は塔矢行洋になっちゃっいそうじゃないか、ということ。まあ、確かに「神の一手」に一番近いのは塔矢の親父なんですけどね。アキラの扱いはどうなるの。

『まっすぐにいこう -24-』きら(マーガレットコミックス)【→bk1へ】[comic]

この巻に収録された分から『別冊マーガレット』ではなく、『コーラス』に連載が移っているらしい。単行本は今迄どおりマーガレットコミックスから。
うーん、このマンガこそ別マの読者層に読んでもらいたいと思うけどなあ。思春期(それも初期)に、こういうマンガを読んで情操教育(?)にしてもらいたいもんです。

今回は二編。マメと携帯電話のお話と、ペットと人間のお話。やっぱ両方ともよく出来た話で面白いです。ホントこの作者は「犬の視線」を通して人間社会を「説教臭くなく」描くのが巧い。ラブコメとしてもちゃんとしてるし。

自分のことを人間だと思い込んでるワンちゃんのお話は切ない。アイフルのCMのせいでまたペットブームに火がつきそうな気配ですけど、ペットを大事にするってことはどういうことなのかわかって飼ってる人はどれくらいいるんでしょうね。このマンガでは以前にもハスキー犬を飼うことの難しさを描いてましたが、これも同じような話といえば話。だからこそ低年齢の読者層に読んで欲しいけどなあ。
こういう話を書いても決して「上から」物を言うような感じではないが好きです。郁ちゃんや秋吉、そしてマメと一緒に悩んだり笑ったりすることができるのが嬉しいのです。

Apr.5,2003 (Sat)

daylife

『逆転裁判』、Jリーグ、『逆転裁判』、Jリーグ、『逆転裁判』というローテーションで一日を終えそうなshakaです。それにしても『逆転裁判』は良くできてるなあ。面白すぎ。

JリーグはYahoo!スポーツ ファンタジーサッカーのこともあるので自分のチームの各選手の成績が気にかかる。我がチームのメンバー構成は↓に。

プロ野球。我が広島カープは、またも黒田に援護なし。優勝はしなくてもいいから、黒田に最多勝を獲らせてやって欲しい。今や上原と並んで右の本格派で完投できる日本人最高の投手だと思うんだけどなあ。

夏と花火と私の失態

松本楽志から指摘を受け滅・こぉるさんや、matsuoさんからも言及されているようです。まあ、あのレビューでの本論は、如何に自分が見る目のない読者でありレビュアーなのか、ということなので色々言われるかなあ、とは思ってました。

楽志の言う、

なぜなら描写というものは口語体であろうと一人称であろうとすべて比喩であり、そこに書かれているものは、名付けえないものをなんとかして文字に定着させる作業だからです。われわれが何かを考えているとき、それは文字にはなっていません。子供が何かを考えていてもそれは文字ではありませんね。作家はその「考えている何か」を描写として表出させることをします。ですから、9歳の小学生の考えることを文字にしたところでそれは、9歳の小学生の言葉ではありえません。作者は9歳ではないのですから。

という内容には全面的に納得。これは例えば犬や猫の視点で書いた作品を読んで、「犬の言葉じゃねえ」と言うのはおかしい、ってことですからね。

結果として「気になった」か「気にならなかった」のか、ということだと思います。その意味では私は気になった、ということ。そういうアイデアを活用した作品は全てダメ、ということではありません。それがもし、読み手である自分側の力不足なら、それはそれ。

比較の問題、といえる部分もある。決してこの作品がダメ、といっているわけではなく、その部分が引っ掛かった分、自分としては「傑作」という評価は出せなかったかな、という程度の。だからこその「見る目のなさ」なんですけどね。

強いて言うなら同じ作者の『失踪HOLIDAY』が多少頭にあったことが理由かな、とは思います。あちらの作品は中学生の視点で書かれていて、中学生の言葉を意識して使っているように感じましたから。『夏と花火と私の死体』でも、もし「9歳の小学生の言葉」で描かれていたら、そっちの方がよりビックリしただろうし、アイデアとして秀逸だったのではないか、と思ったということです。乙一ならそれができるんじゃないかと感じたのは、おそらく私が『暗いところで待ち合わせ』から読み始めた読者であり、現在の乙一の文章力を知っているからかもしれません。

それから、これは楽志と私のスタンスの違いだと思うけど、私は作者が作品について何を言おうと、それで作品の見方を変える、ということはなるべくしないように意識していますし、実際あまり気にしない。作者が何を思って書いても、それが本を通して伝わってこなければ意味がないと思うし、そうでないと作者と読者のスタンスがハッキリせず、レビューが書きにくくなる、という部分もあるからだったりします。それも結局は「自分の弱さゆえ」ですけどね。自分の読み方や判断基準に確固たるものがあれば、作者の言葉だろうと、他の読者の意見だろうと取り入れることに問題はないと思いますんで。

蹴球微熱 Yahoo!スポーツ ファンタジーサッカー

チーム名は「横浜Weasels」。システムは4-4-2です。
メンバーは以下の通り。

鹿島が4人、磐田が3人と、どうしても多くなる。しかしこの布陣はかなり理想に近い。外国人4人は現実なら不可能なんだけどね。フェルナンドに代えて小笠原にするのも考え中。

控え選手

Apr.6,2003 (Sun)

daylife

今日も『逆転裁判』、Jリーグ、『逆転裁判』、というローテーション。もうちょっとで終わりそうだけど、流石に目が疲れてきた。

K-1。つまらんかったあ。折角この前のミルコVSサップ戦で盛り上がったのに、これじゃ人気凋落しそうだよ。それくらいつまらなかったです。
中迫は弱すぎ。当たったパンチ全部で倒れてたら勝ち目ないでしょ。ベルナルドの言うとおり、目を覚ました方がいいと思います。
富平と天田は1R終わった時点でヘロヘロ。なんですかありゃ。格闘技じゃないでしょ。ただのよっかかり合いながらの叩き合いでしょ。せめて3Rくらい闘えるスタミナつけてこい。武蔵は相変わらずフェイントばかり。子安は頑張ったといえば頑張ったけど、アビディは倒さなアカンやろ。実質ミドル級相手なんだし。
私だったら間違いなく「金返せ」と叫びたくなる大会でしたね。

Apr.7,2003 (Mon)

daylife

本日、2003年4月7日は鉄腕アトムの誕生日だそうだ。今年はアトム誕生年ということもあり、各所でイベントが行われたり、アニメが再製作されるなど話題になっている。別にこの熱気に水を差すつもりはないが、アトムの動力源が「原子力」ということはどれくらい知られているのだろう。先日、どこぞのお役所がアトムに住民票を出したと聞いた。では、このお役所は原発を誘致して住民票を出したりするだろうか。「もんじゅ君」とか。「もんじゅ君」も日夜人のために働いているという意味ではアトムと変わりないと思うんだけどね。やっぱり水差しちゃいましたか。
「劣化ウランちゃん」とか <おい。

退社後、再びボードゲームキャラバンへ。色々と遊んでいたら2時間も経っていた。
今日は『ブロックス』、『6ニムト』、『ゲキシンK.O.』、『ダンクジャム』の四つで遊んできたが、中でもダントツに『ブロックス』が面白かった。一回やっただけで即行ハマる。シンプルなだけに逆に奥が深い。ぐわー、買っちゃいそうだよ。欠点は、本当に楽しもうと思ったら4人でやらねばならない、ということと、ゲーム盤が大きいので持ち運びが不便なこと。まあ、これと『Catan』を常に車に常備しておけば問題ないことだが。
『6ニムト』はカードゲームでこれまた単純で楽しめる。『UNO』にはもう飽きたし、という人には新鮮で面白いかも。10人まで遊べて、人数が多いほど面白いというのもパーティ向けですな。
というわけで、『Catan』と『ブロックス』は買いの気配濃厚です。
ちなみにボードゲームキャラバンは4月10日(木)まで。気軽に遊べるし、時間も一つのゲームで30分くらいですから寄り道してみると楽しいと思いますよ。

『逆転裁判』クリア。最後のエピソードはやや長くてかったるかったが、それでもこれは素晴らしいゲームだ。裁判とか弁護士とか検事とか、そういうパーツが単なるゲームの面白さのためだけに使われてるのかと思っていたけど、そんなことはなく、ちゃんと「人を裁く」ことや「罪」というものに対する造り手側の意思が感じられるゲームだった。ゲームってここまで進化してるんですね。
物語としても充分満足。最初の「惹き」から個別の事件、そして全体に絡む事件、それぞれの人物の造型、お見事としか言い様がない。これは多くの人がオススメするのもわかります。小説家や脚本家でも勉強になる部分は多いと思う。さ、明日から早速『逆転裁判2』に取り掛かるぞ! <サル。

涅槃の読書模様

『鉄の枷』ミネット・ウォルターズ【→bk1へ】読了。時間かかったけど、そういう読み方があってたかも。レビューは後日。

Apr.8,2003 (Tue)

daylife

会社の愚痴をダラダラ書いたが、削除。何かの間違いで読まれても困るし。
こういう状態がこの会社に就職することを躊躇させる。うーん、ズバッと就職したらいくら貰えるか聞いてみて、あの人より下だったら辞めるか。

今日もまた飽きもせずボードゲームキャラバンへ。いや、今日は『Catan』と『ブロックス』を買いに行くだけのつもりだったんだけど、ついテーブルの上に置いてある『Lord of The Rings』(指輪物語)に気を惹かれ、「やってみます?」の一言に頷いてしまった。
このゲームの面白いところはプレイヤーの間で勝ち負けがないこと。指輪物語のストーリーそのままに、プレイヤー全員が力を合わせてゴールを目指すのである。ルールが少々複雑でとっつきにくいのと、何度も繰り返し楽しめるかといわれると疑問、というのはあるが、仲間の結束力次第で盛り上がったり、逆に誰かを貶めたりして楽しめるかもしれません。
そんなわけで、二つのゲームを買って帰宅したわけだが、ゲームはあるのにやれない、というフラストレーションが溜まる。特に『ブロックス』は今すぐにでもやりたい!。明日は行けないけど、最終日に時間があれば行って遊ばせてもらおうかなあ。

読書のカタチ

相変わらずのまとまりのない(しかも長い)話。面倒な人は読まない方が吉。

本読みを自負する人なら一度は「死ぬまでにあと何冊の本が読めるだろう」と考えたことがあるに違いない。そして実際に計算してみると殆どの人が、「あとこれだけしか読めないのか」と感じるはずである。かくいう私もその一人である。特に、人よりも読むスピードが遅く、読書以外にもしたいことが沢山ある身としては、必然的に「あとこれだけ読める」本の数も高が知れているので深刻な問題だ。

このことに気付いたのは中学生のときだった。この頃はさらに経済的な問題も深刻だった。「読みたい」と思った本全てを買うことは不可能だったからだ(*1)

結果的に「読む本」を吟味する、という作業が必要になる。とはいっても何を基準に吟味すればいいのかわかるはずもない。悩んだ末に私が出した結論は世に言う「名作」として知られる作品から手をつけよう、というものであった。読める本の数は限られる、ならば出来るだけ「読んで損した」と思う本に手をつけることは避けたい。しかし、自分には「どの本が面白いか」を判断するだけの能力も指針もない、ならば、というわけだ。

ジャンル的にはいわゆる「ミステリ」に偏ったものの、当時発刊された『東西ミステリーベスト100』(文春文庫)を片手に、またはそうして手に取った本の解説から「名作」、「傑作」、「面白い」といったラベルを貼られた本に手を出していったわけである。

この読み方はいくつかの傾向を生んだ。ひとつは作家読みをしない、ということ。なぜならば、上に挙げた『東西ミステリーベスト100』などのいわゆる「ランキング本」などでは、各作家の代表作と呼ばれる本がリストアップされて、同じ作家の本ばかりが名を連ねる、ということは殆どなかったからである。これはまた、シリーズものにおいても、そのシリーズ中、最も面白い作品だけが挙げられていることも珍しくなく、シリーズものでありながら、その一冊(多くても2、3冊)しか読んでいない、というものが私には多く存在する。
ひとつの作品を読んで、その作家の他の作品にまで手を伸ばしたり、シリーズを読み通した、という作品は決して多くはない。それは、心のどこかに「それよりもまず名作と呼ばれているものを読め」という強迫観念に近いものがあったからだと思う。

二つ目は新刊には手を出さない、ということである。これは、新刊というものは評価が定まっていない、という理由からである。現在のようにインターネットで情報がすぐに手に入る時代ではなかったから、出たばかりの新刊が面白いかどうかというのは全くわからなかった。これは、この当時の私が書評というものの存在を知らず、また知ってからも、それをどこで目にすればいいのかわからなかった、ということも原因に挙げられる。

そして、三つ目は…まあいい、とりあえずこの辺にしておこう。本論(あるのか?)とは全く関係がないことだ。

とにかく、以前の私は多くの場合において上記のような指針に基づき、本を選び、読んでいたわけである。しかし、このやり方には限界がやってくる。『東西ミステリーベスト100』やその他の手持ちのリストが残り少なくなってきたのである。この頃は既に年間別の『文春ベスト』や『このミス』などの存在もあったが、すっかり新刊に手を出さない習慣がついてしまっているので、なかなか手が伸びない。経済的にも文庫本しか買えない、という理由もあった。
それでも高校生の頃は、一応「文芸部」などという部活に属していたこともあって、いわゆる「オススメ」をしてくれる人間が周りにいたから良かった。同時に、最も乱読していたのもこの時代であった。

リストの残りがあと僅か、という段になって、大学生になって多少の余裕(多くは時間的に)が出来た私は、自らの勘や情報を頼りに本を選ぶようになったが、当然以前よりも「ハズレ」を引く確率も高くなる。かといってリストをこれ以上削るのは今後を考えたら勿体無い、というか恐れに近いものがある。これらは「とっておき」として残しておく方が吉である。すると、どうなるか。ジャンルの幅を広げる、なんとかその他の「名作」情報を探す、または再読が増える、ということになる。ハズレの本を買って読むよりも、面白いとわかっている本を読む方が心臓にいいからである。そして、大概の場合その期待は裏切られない。本当の名作は何度読んでも面白かったりするのである。

うーん、いつまでたっても本論(だからあるのか?)に辿り着けない。
要するに(要してませんが)、インターネット、及び読書系サイトとその管理人様方との出遭いというのは、私にとって革新的な出来事であり、砂漠の中でたった一つの水筒の中の水をちびちび飲んでいた私の前に、いきなりオアシスが見つかったようなものだったのである。私は当然オアシスに走り込み、水をがぶがぶと飲んだわけだ。飲んでも飲んでも水はなくならない。ネットを始めてから約5年になるが、水は一向に減らない。むしろ増えている気さえする。正直、今では飲みたくて飲んでいる水なのか、そうでないのか、わからなくなってきた。

本の選び方、読み方が変わったこと自体は喜ばしいことだと思っている。しかし、なぜか最近「なんか違うかも」と感じることが多くなった。例えば、レビューを書いていても、手放しに喜べる作品に出会うことが少なくなったような気がするのである。もちろん、数多ある本の中で、手放しに喜べる本の絶対数などは限られているから、これは単に感覚的なものかもしれない。昔は読む本全てが面白かったなどと世迷いごとを吐く気は毛頭ない。だが、しっくりこない部分があることも事実なのである。

何と言えばいいのだろう。かつての私にとって「読書」というのはある種「孤独」な作業だった。読んだ本の感想を話す相手がいないことも多かったし、その逆もまたしかり。読み、感じ、考える、といった作業が自己完結的な形で終えることが殆どだったのである。
しかし、現在は違う。曲がりなりにもこうしてサイトを持ち、「読書」または「ミステリ」という共通項から多くの知り合いが出来、読んだ本について語り、共有することが多くなった。というよりもむしろ、そちらが主導になってきているかもしれない。

これは私の性格ゆえであるが、仲間はずれが嫌いである。だから、多くの人が呼んでいる作品は自分も読んでみたくなるし、自分も多くの人と語れるような本を選ぶことが多くなったかもしれない。それは自分主導型の読書からコミュニティ主導の読書への変換、ということもできる。

このこと自体が悪いことだとは思わないし、それはそれで非常に楽しいのである。ただ、ここ最近の違和感は、どうしても拭えないものになってきた。人様が(*2)興味を示すことのないような本に手を伸ばさなくなった自分に歯痒さのようなものを感じるのである。

さて、長々と書いてきたが、やっと結論、のようなものに辿り着いた。
つまるところバランスだな、と思うのである。自分主導型の読書とコミュニティ主導型の読書。ふぉちらに不満が偏ることなくやっていこう、とようやっと思いついた、ということだ。何を今更、と言われるかもしれないが、最近までの自分はこの辺りの正体がハッキリと掴めていなかったのである。で、まあ、こうして文字にすることによって、その形が見えてきた、というわけだ。

ここまで読んで下さった方(もしいるのならば)は、私のブレインストーミングに付き合っただけ、ということになる。とても申し訳ない。

さて、最後に自分主導型の読書についてちょっと書いておこう。自分主導型、といったって単に自分が読みたい本を読む、っつーだけのことだが。

といったところだろうか。
冒険アクション小説に関しては、まだ読んでいない「とっておき」もあるにはあるが、ここしばらく低迷しているジャンルであるということもあり、絶対的に情報が不足しているのが気がかり。特に海外のここ数年に渡って発表されたものについては殆ど情報をもっていない。オススメを求ム。スティーブン・ハンター級の面白さがあれば最高なのだが。
啓蒙的読書とは偉そうな言い回しだが、私にとって小難しい、と思われる本をもう少し読もう、ということ。やっぱりシェイクスピアはもう一度しっかり読んでおきたいなあ、とか。大学時代に何度も手に取っては棚に戻してしまった『魔の山』トーマス・マン『二都物語』ディケンズとか。おいおい、これが啓蒙的読書なのかよ、と言わないで下さい。私にとってはそうなのです。
三つ目は、量より質、ということではなくではなく、量も質もバランスよく&臨機応変に、ということ。まあ、読んで終わり、というのではなく、各作品で出逢った印象に残る台詞や言い回しなどはなるべくメモするとか、まあ、そういうこと。感覚的にだけ消化するのではなく、知識として消化しよう、みたいな。体系的な読み方が出来て、それについて小論文が書けるくらいまで出来たら本当はいいのだろうけど、そこまでは出来ないやね。そういう意味で、読み流してきた作品については、今一度再読してみよう、質的に。
ジャンルについては、まあ、盲滅法というわけにもいかない部分もあるから、まあ、偶然や運命に期待しつつ。押し付けられたものをとりあえず読んでみるってのもアリだと思うし。

ホントに長いな。誰か読んでるんかな。ま、自分ようなので読まれてなくてもいい、とかいいつつ読まれてないと寂しいというのが本音ですが。

涅槃の読書模様

そんなわけで三省堂で『ミッドナイト・イーグル』高嶋哲夫【→bk1へ】を購入して読み中。山岳モノには弱いんです。

書店で気になった本。


*1: 図書館や古本屋という考え方はその頃なかった。本とは所有するものだと思い込んでいた
*2: ここでいう人様とは自分の属しているコミュニティのことであり、一般ではない

Apr.9,2003 (Wed)

daylife

あんなに長い日記でも(さらに論旨が無茶苦茶でも)読んでくださっている人はいるようで、ありがたい限りである。反応があると単純に嬉しいです。
と同時に滅・こぉるさんも似たようなことを感じたことがあると知って、ちょっとホッとする。
あ、私も後悔してはいませんよ >にじむさん。特に情報という意味では恩恵を受けこそすれ、後悔なんて微塵もない。ただ、読書の楽しみ方が偏ったかも、ということです。他にも読書の楽しみ方があることを思い出したから、そっちもやろうね、ってことですかね。

今日は定時後の会議やらなんやらで久々にまとも(?)に残業した。その後、友人と飯を食いに行く。潰れた筈のHungry Tigerが生き残っているのを見つけ、思わず嬉しくなったので、そこに入った。やっぱりちゃんと鉄板で焼かれた熱々のハンバーグは旨い。当然ご飯は大盛り。かなりボリュームがあったので腹一杯になった。

久々に芝居関係の友人と会って話をした。やっぱりまだどこかでしこりのようなものは残っていて、これを消し去るためには勇気とか、開き直りとか、確固たる意思みたいなものが必要なんだな、と感じた。どれも自分とは遠いところに存在するものだ。

そういえば太ったんである。今年に入ってくらいから気付いてはいたんだが、入院生活に入る前に購入したスーツを着てみて愕然。ここまでとは。

理由は明白で、長期の入院&自宅療養生活で筋肉が落ちてしまい、基礎代謝量が減ったのに、食ってる量は変わらないから。そして、半年前ほどから、人と会う機会=喋る機会が減ったために、日常的なカロリー消費が減ったから、である。

このままではイカン。チビな上にデブになってはどうしようもない。なにより気分的に嫌だ。
というわけで、何とかせねばと考えるが、食事量を減らすことは気に食わない(*1)ので、やはり運動だろう。カロリー消費を増やすというよりは、以前程度の筋肉を復活させ、基礎代謝量を元に戻すという作戦だ。

とりあえずストレッチと簡単な筋トレから始めよう。暖かくなってきたし、ジョギングも始めるか。といいつつ三日坊主になりそうだけど。
しかしホント、喋らないとカロリー消費しないもんだよなあ。人と会話するということは脳味噌を使うということであり、脳味噌というのはカロリー消費が激しいからねえ。仕事程度のカロリー消費では覚束ない、ということか。だったら勤務態度を見直せって話だよな。

ぐわー、帰ってきたのが12時過ぎだったので『真夜中の王国』見逃したー!。今日はゲストが東野圭吾だったのにー。誰かビデオとってないですか?。

涅槃の読書模様

『ミッドナイト・イーグル』高嶋哲夫【→bk1へ】読み中。


*1: 大食漢というのは自分のチャームポイントだと勝手に思っている

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