ごくたま昨日日記 in March, 2002

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Mar.22,2002 (Fri)

daylife

 『ウリナリ』の最終回を見て涙ボロボロ。涙もろくなったなあ。7年間楽しませてもらいました。ありがとう。

 昨日は劇団連中と花見へ。待ち合わせ場所まで『秘密』東野圭吾を抜き出し再読してまたまた涙々。電車の中で号泣しなかっただけマシか。
 合流して食料を買い出しして、青葉区の「こどもの国」というところへ。ここを選んだのは広い敷地内に1万5千本の桜があるということだったので場所も取りやすいと踏んだから。しかし到着してみたらご存知のように(関東だけ?)猛烈な強風。空の色が砂で変わるほどの風で、花粉症のメンバーは眼も開けていられないほど。桜の下でシートを敷いて花見しながら食事、という目論見は無残に失敗。仕方なく敷地内の食堂に移動し、そこで図々しくも買い出して来た食料を広げ(*1)外の凄まじい風景を見ながら食事。これがホントの風流?。食後、折角来たんだからと強風と砂埃に襲われながら敷地内の桜を見ながら散策。桜は見事に満開だったが、この日の強風でこの花びらも散ってしまいそうな勢い。そういう意味ではこの日花見に来て正解だったかも。敷地内の牧場でソフトクリームを食べた辺りで我慢の限界。全員トイレで目を洗ってから「こどもの国」を後にしたのでした。
 その後は普段通りの遊びでゲーセン行ったりカラオケしたり。食事に移動してから公演の話など。最近劇団連中と話しをするとやたらと私の人間性についての話に波及する。これまでの自分がどれほどダメ人間だったかわかる傾向である。今年の公演は芝居の内容だけでなく人間性も問われているようで正直大変な気もするが、ポジティブに行こう。
 11時過ぎに一人合流し結局帰宅したのは夜中1時。前日深夜まで『サカつく』をやっていたのでネムネム。すぐにでも布団に入りたかったが全身に砂埃を浴びたのでゆっくり風呂に入る。ああ、気持ちええ。Zzzz。


*1: 一応食券も買いました

Mar.25,2002 (Mon)

daylife

 鬼束ちひろのコンサート(*1)に行ってきました(感想は↓)。ライブとかコンサートとかって何年ぶりだか思い出せないほどです。正直、ライブとかっていつの頃からか抵抗感のあるものになっていたのですが、今日のコンサートはそういった危惧は杞憂に終わり、とても良かったです。ま、今日みたいな方が今となっては特殊なんだろうけど。さすがはオニツカ。

 その後食事のために入った東南アジアエスニック料理の店が大当たり。ああ、まだ海老のサクサク揚げの食感と味覚、フォー(*2)の味が忘れられない。また渋谷に行ったら絶対に行くのだ。

 日曜は一日芝居の稽古でした。まだまだ頭を悩ますこと多し。早く初期準備段階を終えて芝居自体の稽古に集中したいものだ。その前に台本も書き直さなくっちゃね。

鬼束ちひろ Chihiro Onituka Live Vibe 2002 at 渋谷公会堂[live]

 バックバンドのメンバーが位置につく前に、トテトテと早歩きでやや俯き加減にステージ中央に立った彼女。黒のワンピースに裸足。とても堂々とした、という雰囲気ではなく、いわゆるオーラのようなものもまったく感じさせず、見た目通りの小さい印象でした。
 なにを喋るでもなくバックバンドを見回した後、オープニングは先日発売されたばかりのアルバム『This Armor』の一曲目、『ROLLIN’』でスタート。さすがに歌い始めると彼女自身というより、その声にオーラが感じられます。続けていきなり二曲目に私の一番好きな曲でもある『眩暈』。しかしまだ緊張が解かれていなかったのか、少々声の出が鈍く、出だしでは音がうまく取れない様子も。これが本日唯一残念なことでした。しかし三曲目は最新シングルの『流星群』ということで最近一番歌いなれているであろう曲ということもあり、こなれてきた感じがしました。
 『流星群』を歌い終えた後、「どうもありがとうございました」とこれまた彼女らしい言葉でMCへ。どんなことを話すのか興味津々でしたが、ツアーの初日でホールコンサートも殆ど経験してないので夜もろくに眠れなかったこと。そしてこれまた彼女らしいちょっと悲観的なエピソード(*3)が。
 その後は新しいアルバムからの曲を中心に数曲。その流れでアコースティックな編成で二曲。このうちの一曲コーヒーのCMで流れている『Our Song』が私はお気に入り。続いて彼女の好きな洋楽をカバーして二曲。それが終わると満を持したかのように『月光』が。テレビやライブでも相当数歌ってきたであろう曲なだけにこの曲だけは他の曲とハッキリ違いが感じられました。まさに凄絶という感じ。これを生で聴けただけでも今日来た甲斐があったというくらい魂こもってました。
 続く『Cage』からは前のアルバム『インソムニア』から彼女にしてはスピーディでテンポのいい曲を数曲。そのままの流れで『everything,in my hands』。ここに来て観客が全員揃っての手拍子。本日一番盛り上がった場面。そしてラストは二枚目のアルバムから『CROW』(だったよな?)。長い拍手後のアンコールは自らデザインした白地のTシャツにジーパンといういでたちで『infection』一曲のみ。この曲で終わらすのか、という気もしましたが(聴けばわかる)それもまた鬼束ちひろらしいといえばらしいのかも。正味二時間弱でしたが皆座ったまま、それでいてちゃんと一体感の感じられるまさしくライブというよりはコンサートという良い時間が過ごせました。

 バンドの編成はピアノ、Eギター、Aギター、ベース、ドラム、パーカッションの男性6人。しかし、いわゆるシンセの打ち込みなどによるかぶせは一切なく、ステージ上の7人の生の演奏だけ。そのためパーカッションはリコーダーも吹くし、ベーシストはEベース、ウッドベースだけでなくチェロまで弾きます。コーラスもバックの男性だけ。作り物ではなく、いかにも目の前で演奏されているものを聴きに行った、という気持ちになれたのも良かったです。
 セットも全くなし。ホリゾント幕にライトやちょっとした映像が当たるくらい。照明も凝ったライティングは一切ないし、本数も少ない(*4)
 MCで彼女が「私の曲って暗い曲が多いじゃないですか(笑)。だからライブハウスでずっとお客さんを立たせてるのが申し訳ないと思ってたんです。今日はホールなので好きな時に立ったり座ったりして下さい」と言っていたが、結局立ち上がった客は私にはいなかったように見えた。しかし、それぞれが椅子に座ったままでも彼女の歌声に合わせてリズムを取ったり手拍子をしたり、決して無理に盛り上げたりしようとせず、彼女の歌を聴くことを楽しんでいた。全てにおいて鬼束ちひろらしさに溢れていた良いコンサートでした。こういうコンサートなら喜んで来るんだけどなあ。


*1: ライブという感じではなかったし、本人もそう言っていた
*2: ベトナムのお米で作ったラーメン
*3: 会場で売っている彼女自身がデザインしたTシャツには「Pessimistic」とプリントされている
*4: 何ヶ所か使い方には不満があったが

Mar.28,2002 (Thu)

daylife

 ここのところ毎日午前様でおまけに目の調子が悪すぎてPC画面を見たり本を読んだりできない。眼科に行ったら「角膜が傷ついている」といわれて新しい目薬を処方してもらった。これで少しは良くなるだろう。なってくれないと困るんだけど。

 芝居関係でバタバタしてまして、それはそれでこういう忙しさはキライではないので構わないんですが、MYSCON3が直前に迫っているので、そちらにばかりかまけているわけにはいかない。あわわわ、もう明後日に迫ってるよ。最終ミーティングに出席できなかったというのが結構自分の中で不安感を煽ってるのかもしれない。ま、上手くいくだろう。と思うことにする。

 内容のない日記でスンマソン。

蹴球微熱

 日本代表VSポーランド代表。ポーランドってこんなもんなの?と思っちゃうほど終始日本ペースで進んだ試合。W杯欧州予選を無敗で勝ち抜けたチームとは思えなかった。それをさせなかった日本を誉めるべきだとも思いますが、それ以上にポーランドの不甲斐なさが目立った試合でした。
 解説の岡田武史元日本代表監督が「華麗にパスを繋ぐ日本のサッカーを見たいというサポーターもいるでしょうが、今日のような試合をキッチリこなすことが大切なんです」と言っていた通り、ある程度守備的に試合を進めても、獲るべきところで点を獲って勝つ、という試合ができたのは収穫が大きいと思います。まあ、得点に関しては運に恵まれた部分が大きくて、本来獲らなくてはいけない場面でミス(ヒデと鈴木)したりと決定力には相変わらず不安が付きまといます。しかしまあ、少ないチャンスを確実に生かしたという意味では認めなくてはいけないのかもしれません。
 選手で目立ったのは海外組、と言いたいところですが一番良かったのは市川だったのではないでしょうか。スペースへの飛び出し、精確で早いセンタリングは素晴らしかった。ディフェンス面でも彼のサイドが掻き回された、という印象はなかったし。正直、右サイドは波戸が一歩リードと見られていましたが、先日のウクライナ戦と合わせて見る限り市川の方が機能していたし、期待感が大きいですね。
 ヒデ小野はまあ、あれくらいやって当然というかやってもらわないと。仮想ベルギー戦である今日の試合を見る限り、この布陣ならトップ下はヒデかな、という気もしましたね。ただ、ロシア戦のように中盤での攻防が決め手になるような場合は森島の方が安心感があると思ってますが。
 DF陣は脆いところもなかったし、大崩れもしませんでしたが、宮本はやはり1対1では森岡のような安定感がなかったな。ポーランドのオリサデベの調子があまり良くなったようなので目立ちませんでしたが、たまーに手痛いミスがありました。やはり中央は森岡の方が一段上ですね。ラインの纏め役としては互角だとしても。個人的には秋田大岩を買っているので、中央に森岡、右に秋田左に大岩という布陣も試して欲しいぞ。松田に文句はないんだけどね。

涅槃の読書模様

 購入物。

Mar.29,2002 (Fri)

daylife

 つーわけで明朝からMYSCON3に行ってきます。あー、準備万端?(って誰に聞いてるんだ)。なんか忘れ物とかしそうだなあ。大概必要なものは車のトランクに放り込んだつもりなんだけど。あとはスーツとコートとMDとスピーカーと一体何に使うんだといわんばかりのものたちですが、使うんですよ。ええ。目だけが心配だ。人乗せて運転するしね。
 MYSCON3に参加する皆様、よろしくお願いいたしますm(__)m。

 というわけで明日は更新ありません。明後日も多分寝倒してるんで更新ありません。なんてわざわざ書かなくてもごくたま昨日日記なんだけど。

Mar.30,2002 (Sat)

MYSCON3レポート

というわけで、以下MYSCON3レポートです。恐ろしく長いので注意して下さい(なにをだ)。

朝から開始直前まで

 朝7時半に目覚め、テレビを点けるとNHKのニュースで『山田風太郎の作品メモ発見』というニュースが。「おお、なんてMYSCONの朝に相応しいんだ。これは今晩の『山田風太郎追悼企画』でも話題になるだろう」と思ってテレビを見ていると画面が変わり山田風太郎に詳しい日下三蔵さんというテロップと共に日下さんの姿が!。画面の日下さんは何故か滅法眠そうで、寝癖がついていた(笑)。MYSCONの当日の朝が日下さんの映像で幕が開けるというのもまた乙なものである。
 色々と仕込みのブツがあるのでそれらを車に積み込み、9時に家を出発。と思ったら財布を忘れたことに気づき、一旦戻る。時間をロスしたが、予定よりも早くINOさんとの待ち合わせ場所に到着。INOさんを乗せて今度は一路GAKUのところへ。GAKUを乗せていざ渋谷へ、というところでINOさんが本日一発目のネタ(?)を振りまく。予定より少々遅れて高速に乗り込むが、首都高が大渋滞。渋谷で待ち合わせる予定の七沢透子さん中瀬みのるさんに遅刻の連絡をして、遅々と進まぬ車の中で今夜の企画に関するバカ話で盛り上がる。
 結局一時間近く遅れて渋谷に到着し、ドンキホーテで大量のソフトドリンクとお菓子を購入。その他、企画で使用する謎の物品も購入。実は二年振りに会ったみのるさんだったが、全然違和感なくフツーに会話していた。「お久しぶり」もなかったもんなあ、と後になって気づくほどである。BOOK1stでMYSCONのゲストである西澤保彦氏の最新作『聯愁殺』を購入。なぜかここで待ち合わせる予定ではなかった松本楽志も参上し、6人になってしまったので車に乗せきることができず、二手に分かれて森川別館に向かう。他意はないというか、より良きを優先したら私は女性二人を連れ立って移動することになり両手に華。MYSCON本番を前に幸先がいい。神保町で昼食を摂ってから森川別館へと向かう。

 スタッフ集合時間の3時に森川別館へは到着するが他のスタッフの姿はない。車の荷を下ろし、他のスタッフが到着するのと入れ替わりに車を旅館の人に教えてもらった近くのコインパーキングへと移動する。しかしここでハプニング。コインパーキングの入り口の駐車券発券機が故障しているのだ。管理会社に電話するも「時間がかかります」とアッサリ言われてムカついた。仕方なく旅館へと電話すると別の場所へと案内され、なんとか無事に駐車。しかし幸先よく始まった筈だったのになぜ。
 思わぬタイムロスだったが、ひとまず森川別館でスタッフ一同集合。段取りを確認して準備に入る。ここでも思わぬハプニングがいくつかあったが割愛。裏をあまり覗いてはいけません。
 とはいえハプニングとは別に、今回のMYSCONは個人的にも忙しい。もうホントバタバタしてなにがなんだかわからないまま受付時間になってしまう。それでもバタバタしてるもんだから参加者の皆様方をゆっくりお迎えする事も出来ずに駆けずり回る。結局MYSCONが始まるまでの間に大広間と受け付けの間を8往復もして既に乳酸が溜まる状態になっていた。そんなこんなであっという間に時間は過ぎて開始時間の6時を迎える。参加者の皆さんが大広間へと移動していくが、注文したビールがの到着が予定より遅れてしまったために開始時間も遅れてしまう。参加者の皆さま、ゲストの西澤先生、誠に申し訳ありませんでしたm(__)m。ビールやソフトドリンクを皆さんのコップへと注いで準備万端。いよいよMYSCON3の開幕である。

開幕とゲストインタビュー

 今回のMYSCON3のゲストは西澤保彦氏である。というわけで初っ端から全員ビール片手にフクさんの開会宣言の元、乾杯。そのままインタビューへとなだれ込んだ。インタビュアーは近田鳶迩さん。西澤保彦氏は人前に出ることが苦手、とおっしゃっていたが、スタッフの花さんが御用意した地ビールの効果もあってか和やかにインタビューは続く。毎年ゲストインタビューの時間は受け付けで居残りしていたのだが、今回のゲストの西澤保彦氏は私が熱烈にリクエストしたということもあって前列でしっかりとお話を聞かせていただくことが出来た。感無量だ。代わりに居残りになってしまったおーかわくんしょーじくんには申し訳なかったけど。
 インタビューは経歴からシリーズ作品の今後、キャラクターについてなどなど多岐にわたり、鳶迩さんの誠実且つちょっとイジワルな質問と西澤氏のお人柄もあって笑いが絶えなかった。一番盛り上がったのは鳶迩さんが用意した「第1回・西澤保彦登場人物 『こんな名字、誰が読めんねん!』テスト」(これは凄い力作。第二回はあるのか?)の時だったでしょうか。おもむろに鳶迩さんにテスト用紙を手渡された西澤さんがそれを見て一言。「全然読めません。悔い改めました」。もし今後の西澤作品の登場人物の名称が普通になったらそれは間違いなく近田鳶迩さんの影響です。おそるべし近田鳶迩。作家の創作に影響を与える男。
 その他にもチョーモンインシリーズの保科は実は西澤さん本人がモデルなのではなく、○○さんがモデルだったとか、「ラーメン大好き小池さん」にソックリのあの人物は西澤さんがモデルだがその裏には涙なくしては語れないエピソードが、などなど話を聞いているだけで面白かったです。質疑応答の際に質問も出来たし、その質問に西澤さんがご丁寧に答えてくださったのも嬉しかったです。そんなこんなであっという間に時間は過ぎて7時半。西澤保彦インタビューの時間はお開きになったのでした。

休憩と「MYSCON的裏窓」

 西澤保彦インタビューの後は約一時間の休憩。皆さんが大広間から抜け出ていくのに合わせて机のセッティングを変更。毎年のことだが、こうしたスタッフの作業にさりげなく手を貸して下さる参加者の方々がいらっしゃる。大変ありがたいことです。
 休憩とはいえ、することが山積みだったので雪樹さんとみのるさんにスタッフ分の晩飯をまとめて買ってきて貰う。と、ここに書いて始めて晩飯代を払ってないことに気づいた。お二人とも請求して下さいね。時間があるうちにと思い、西澤さんに買ったばかりの『聯愁殺』にサインを戴きにあがる。ここでも西澤さんの人柄が忍ばれる。私のハンドル名が横文字なので、サインを縦書きにした方がいいか横書きにした方がいいか、頭を悩ませて下さっているのだ。ええ人や(涙)。ゲストとして参加して下さったことなどに手短にしか言えないが丁重に礼を述べる。
 スタッフ部屋に戻ったあと、晩飯を頬張りつつ「MYSCON的裏窓」の例文を考える。そうなのだ、ことこの時点に到ってまで例文が思いついてなかったのである。次から次へと片っ端から思いつくネタをスタッフ部屋の皆さんにお聞かせするが、どれもこれも今一つ。だから私が考えても寒いネタしか浮かばないって言ったのに。皆に「例文だから面白くなくてもいいんじゃない」とか慰められつつ時間はあっという間に過ぎて全体企画開始の20時半となってしまう。「そろそろいかないとマズいっすよ」と促されつつ、「あー、もうこれでどうだ!」と無理矢理に捻り出したネタがなぜか女性陣限定で受けた。おそらくはテンパッている私自身が面白かっただけなのであろうが、わざとネタが受けたと勘違いすることにした。現場で実際にセリフを読みあげるたかはし@謎宮会さんと花さんに手書きの原稿をいそいそと渡し大広間へ。

 大広間に移動すると当然ながら皆さん既に揃っている。80人近い人間を前にフクさんの後を受け司会をするのはハッキリ言って針の筵のような状態でした。しどろもどろになりながら「MYSCON的裏窓」の内容を説明。ようするにヒッチコックの映画『裏窓』のようなシチュエーションを題材にした一組の男女(演者は蔓葉さんと七沢さん)のアフレコ芝居にセリフを入れる、というものである(わかりにくい)。と思ったので、事前に某官能猟奇女王にそのシチュエーションを四コママンガにしておいてもらったのだった。その四コママンガの男女の吹き出しにセリフを入れる、ということですな(さらにわかりにくい?)。
 シチュエーションとしては一組の男女が向かい合っているのだが。
 ・1コマ目:男性が一冊の本を持ち、女性に向かってなにやら喋っている。
 ・2コマ目:女性がそれに対してなにやら言い返している。
 ・3コマ目:男性が女性を本で殴っている(男性のセリフ)。
 ・4コマ目:女性がナイフで男性を一突き(女性のセリフ)。

というもの。これに対し私が考えた例文は。

 ・1コマ目:「俺の大切な絶版本に米粒挟んだのはお前だろ!」
 ・2コマ目:「私と絶版本どっちが大切なのよ!」
 ・3コマ目:「絶版本に決まってるだろ!」
 ・4コマ目:「お前も絶版じゃあ!」

という感じ。なけなしの頭で捻り出したネタだったが思ったよりもウケたことだけが救いだった。
 その後、各グループに別れてのシンキングタイム。私のグループは浅暮三文さん天野護堂さん嵐山薫さん石井春生さん冴西理央さん百三さんmatsuoさん宮澤さん(五十音順)そして私、というメンバーだった。ここで私は例文を考えたのが私であること、そしてそのために頭を絞り尽くしたので自分の頭からは何も出てこないことを白状。スタッフのくせに皆さんに頼りっきりの状態になってしまう。しかし自己紹介を兼ねて皆さんの意見を伺った際に石井女王が思わず語った経験談があまりにもこの「裏窓」に使えそうなネタだったので「最終的に何も意見が出なかった場合は石井女王の実録ネタでいきましょう」ということになる。「それだけはやめて」と哀願する石井女王を尻目に色々と意見が出るがどれもしっくりこない。結局、理に適ったストーリーを考えることを放棄し、単体のセリフでインパクトのあるものを言い放つ、というネタで意見が一致。それもこれも浅暮さんの「週刊新潮は明日発売です」という意味不明だがどうにも捨て置けないセリフあってこそのものだったが。んで、結果的にどうなったかというと。
 ・1コマ目:「感動した!」
 ・2コマ目:「あなたは疑惑の総合商社だ!」
 ・3コマ目:「出処進退は自らがお決めになることだ」
 ・4コマ目:「週刊新潮は明日発売です」

というものだった。ただこれだけのことなのだが、意味ありげに演技する二人の動きにこれを合わせると思った以上にシュールでおかしい。各所から「反則だ!」という声も上がったが、許してくだせえ、これが限界ですじゃ。
 計9グループがこの「裏窓」に挑戦したわけだが、どのネタも実に秀逸。一つもネタが被ることがないし、それぞれのグループの色も出て、毎度のことながらMYSCON参加者の創作レベルの高さには驚かされる。スタッフとしては、この「裏窓」という企画自体がウケるかどうか不安だったのだが、それも杞憂だったようで皆さんには楽しんでいただけたように思う。創作レベルの高さにも驚かされるんですが、皆さんの芸達者ぶりにも舌を巻きます。しかしまあ、ウケたらウケたで来年どうしよう、と頭を悩ませるんですけどね。
 そんなこんなで「MYSCON的裏窓」は無事に終了。私も肩の荷が一つ、下りたのでした。しかし、まだまだ肩の上には思い荷が…。

個別企画

 「MYSCON的裏窓」終了後、次の個別企画までやや時間が余った。一服がてら受付で休憩していると、しょーじくんが現れる。これもまた恒例となった電気の消えた受付でのしょーじくんとの雑談。この後に控える「海外サスペンス」企画について、日本のサスペンスについて、綾辻行人について、韓国のミステリ事情はどうなっているのか、などひとしきり話し込む。途中フクさんも交えて綾辻の「館シリーズ」のベストについて、フクさんと意見が一致したのは嬉しかった。それにしても綾辻ファーストコンタクトが「鳴風荘」というのは結構レアじゃない? >しょーじくん。

 で、個別企画。今回は過去二回と違ってひとコマ三企画。蔓葉さんによる『鏡の中の日曜日』読書会。しょーじくん、雪樹さん、花さん、葉山さんによる『海外サスペンスを読む』。宮澤さんの持ち込みビデオによる『江戸川乱歩邸ビデオ』である。私は殊能将之未体験なので(*1)読書会はパス。残る二つだが、好きな作家にウィリアム・アイリッシュを挙げている身としては『海外サスペンス』に出ないわけにはいかないだろう。
 スタッフ部屋で所用を済ませて少々遅れて企画部屋へ。15人ほどの参加者(ほぼ男性)が車座になっている。まだ配られた資料について説明が行われている段階だったのでそのまま話題に入る事が出来た。ウィリアム・アイリッシュメアリ・H・クラークレニ・エアースパトリシア・ハイスミスシャーロット・アームストロングなどなどサスペンス手法を得意とした作家達の名前が出るわ出るわ。それにしても葉山さんの幅広い知識と読書量には頭が下がる。しかも語りが秀逸なのでどれもこれも面白そうに聞こえてしまう(*2)。その他にもともさんをはじめとする識者の方々が「これが良かった」「いいや、あれの方が良かった」と話すものだからここにいるだけで読んでみたいと思う本が山積する。嬉しい悲鳴な企画である。
 ここでの話を聞いたり、自分で語りながら考えていたのだが、私自身は読書(特にミステリ)にはまる以前に映画に没頭する時間の方が長かったことがサスペンス好きとなったことに影響しているように思えてきた。ジャンルとしてミステリを意識する以前からヒッチコックに傾倒していたし、この日の資料でも分かる通りサスペンスは映画化、映像化しやすい。気がつくと映画と読書のバランスは逆転していたが、今でも求めるものの骨子は変わっていないのかもしれない。
 この日の話で一番印象に残っているのが『あなたならどうしますか?』シャーロット・アームストロング【→bk1へ】の評価が一様に高かったこと。葉山さんは「短編集ベスト3に入る」とまで言っていたし。実は私、そんなに面白かったという印象がないんですよね。それにしたって居並ぶ識者の方々が「あれはよかったねえ」としみじみ語る作品である。タイミングとか体調の問題もあったかもしれないのでもう一度読み返してみることにした。といいつつ本の山の中から探し出せるかどうかが問題なのだが…。

 これは苦言ではなく素直に思ったこと。今年で三回目を迎える海外ミステリ企画。第一回の時からどちらかといえば目的は「海外ミステリにあまり縁がない方々に海外ミステリの面白さを伝えたい」というものだったように思うのだが、参加して下さっているのはどちらかといえば「海外ミステリ」識者の方達である。これはこれで識者の方々から色んな話が聞けて面白いのだが、個人的にはやはり「海外ミステリ」の面白さを広める企画としても機能して欲しいと思う。両者を両立するとうのは困難であることは承知しているのだが。なんとかならんものだろうか。

深夜企画『笑う大捜査線』

 話はちょっと溯るが書き残しておきたい話題を思い出したので。『的裏窓』が終了して個別企画に移るまでの時間、ホワイトボードの移動をした。その途中、西澤さんとすれ違い、暫しお話をする。西澤さんには『的裏窓』が非常に好評だったようで、「毎年こういうような企画があるのですか?」と過去の全体企画についても興味がおありのようだった。その話の途中、徹夜明けのせいもあってお疲れのご様子だった西澤さんに「スーツをお脱ぎになって楽な格好になったら如何ですか」と言ってみると、「いやあ、私にとってのスーツは、○○にとっての××みたいなものですから」というお答えが返ってきた。ここでの「○○」及び「××」は決してもったいぶってるわけでも内緒にしたいわけでもなくて単に私が忘れてしまっただけのことである。しかし、この喩が微妙にハズしていて、それがまた西澤さんらしかったことだけは憶えているのだ。この場にいた、INOさん、がくし、GAKU、誰か憶えてない?。

 閑話休題。さて、個別企画も終わりの時間に近づいたが、参加者の間で話が盛り上がり、時間通り終了する気配はない。名残惜しかったが、私自身がこの後に一大仕事が待っているのでそそくさと部屋を抜け出す。スタッフ部屋に戻ってみると『笑う大捜査線』メンバーは既に緊張状態に陥っている。各々ネタを見返したり台本を取り出したり小道具をチェックしたりしているのだが、皆やや目が空ろである。「着替えなくちゃ」と誰とも無しに言い出し、いそいそとスーツ姿に着替え出す男達。目の前に女性がいることなんてお構い無しである。女性陣にセクハラで訴えられたらどうするつもりだったのだろう。読書会を終えて戻って来た蔓葉さんは比較的余裕の笑顔だったが、蔓葉さんだからなあ(だからなんだ)。差し迫った時間の中、段取りやセリフをもう一度確認。廊下に誰もいないところを見計らい、一気に大広間まで駆け抜ける。
 大広間の中をそっと覗いてみると結構な人数。緊張。今一度段取りを確認。緊張。大広間から人が出てくる、猛ダッシュで隠れる。緊張。皆、位置についてスタンバイ。緊張。準備はOK?と目で確認。緊張。キリがないので肚を決めてGOサインを皆に送る。大広間の電気を一斉に消す。わざとらしい悲鳴とともに「来た来た」と話す声。既にバレている。10秒経ったところで電気を点ける。襖を開けて大広間に飛び込む。こうして『笑う大捜査線』は始まったのだった。

 内容については演じ手側から語るのもこっぱずかしいので割愛。個人的な所感。登場していきなりの観客側からのツッコミに思わずうろたえてしまった自分が情けない。それなりのウケは取れていたように思うが、その辺はぶっちゃけどうなんだろう。西澤さんにはどれだけ頭を下げても足りないほど感謝しています。西澤さんの協力なしにはとても終われませんでした。インタビューでは「人前に立つなんて恥ずかしくて出来ない」とおっしゃてましたが、いやいやどうしてあれだけのアドリブはなかなか出来やしません。舞台の上に立つ資格充分だと思います。是非、期待したい。
 昨年のゲリラ企画に比べると、大喜利というネタの性質もあってトントンと事は運んだとは思うし、その点ではよかったかも。芝居とネタの融合という点のついても昨年よりはスッキリと繋がったと思う。その辺は手前味噌だが満足した。しかし、まだまだ改善、反省の余地は多々あり、それをどう消化していくかが今後の仮題。しかしそれがまた楽しくもある。
 普段やっている芝居とは根本的に違うので、新たな発見も多々あり、それがまた辞められない理由かなあ。「バカやってるなあ」と思ってる方もいいのかもしれませんが、楽しんで下さる方がいる限りはできるだけ続けたい、というのが本音ではある。段々とネタは尽きているのだけれど。

朝まで大広間

 そんなこんなで怒涛の深夜企画はなんとか終了。後片付けもそこそこにスタッフ部屋へと駆け戻る。とりあえず男どもはスーツを脱ぎ出し、楽な格好に。ひとしきり「終わったああ」とか「お疲れさん」と声を掛け合った後、脱力。一転してまったりモードとなり、直後の反省など。体内のアドレナリンが急降下していくのがよくわかる。
 と、INOさんの携帯電話がいきなり鳴る。声の主はおがわさんである。おそらくそこにいたほぼ全員に電話が回る。というか途中、隣部屋の西澤さんの眠りを妨げそうなほどの大人数での会話になってしまったので部屋を移っても電話は続く。その間約50分。そのうちおがわさんがいじられていた時間約40分。やっぱり現場にいないとなに言われるかわかりませんな。途中、緊急避難先として対話相手に私が指名されたので、私もいじりたかったが大喜利の真面目な感想に終始する。おがわさんとは昨年もゲリラ企画後に結構真面目な話をしたので今年もしたかったなあ、と電話では語り切れないことがもどかしい。
 電話が他の方にも回っている間、夜食を購入しにしなのんとGAKUと連れ立ってコンビニへ。夜中の3時にカルビ丼なんか買ってしまった。コンビニから戻ってきてもおがわさんとの電話は続いている。これほどまでに愛されているおがわさんが羨ましい。
 食後の一服をしに喫煙部屋へ。まだ始まっていないはずの『山田風太郎追悼企画』が喜国さん国樹さん夫妻の思い出話を筆頭に始まっている。こういう話を聞くと「凄いなあ」以上の感想を持てない自分が情けない。しばし濃いメンツのお話に耳を傾け、山風ネタはまた追悼企画で正式に、というところで部屋を辞す。

 昨年はゲリラ企画で精も根も尽き果てゲリラメンバー全員が撃沈したが、そのせいで交流があまり出来なかったことが後悔として残っていたので疲れた体を引きずって大広間へ。といっても私自身はしごく小心者でシャイ(笑)なので、見知った顔が集まっている横にさりげなく座ってみる(交流になってない)。しかし疲れからか壁に背を凭せ掛けたくなり席をちょっと移動するとそこは光原百合さんの横だった。その場所で市川憂人さんと本格について熱く語る光原さんを見て思わず「光原さんがそこまで本格に思い入れがあるとは思いもしませんでした」と口を挟んでしまう。すると光原さんは「実は本格をとても愛している」と告白。暫し、光原さんの熱い語りを聞く。その話を受けて雪樹さんとともに光原作品に関しての感想などを大層にも御本人に向かって述べさせていただく。疲労で頭が上手く働いていなかったからこそ出来た不遜な行為だ。しかしそんな読者の勝手な感想や意見を光原さんは丁寧に聞いて下さり、今後の執筆についても語って下さった。
 さらに4時半を回った辺りから市川憂人さんも含めて再び本格を中心としたミステリ全体についての話で盛り上がる。この時点で眠りを放棄したメンバーはほぼ確定していた。周りのテーブルからは不毛な本格定義談義をしていると思われていたようだが、実際は違う。本格も含めたミステリのエッセンスというものについての考証というか単に皆の思っていることを述べていただけだ。しかし、個人的にはこれがかなりヒットというかなかなかに興味深い話題だった。おそらくこの話のテーブルについていた方々だけみてもミステリの度合いというか好みというか方向性はかなりバラバラなはずで、そういう人達がこうして頭を突きあわせて話が出来るのもどこかにミステリのエッセンスを愛する気持ちがあるがゆえだと思われる。そのミステリのエッセンスというのも決して確定した一つの要素ではない。イカン、何書いてるかわからなくなってきた。話すことで精一杯で記憶する、という作業を同時に進行できなかったようだ。とにかく、身のある話だったと私は思っているし、この話があったからこそ来年に向けての課題が見つかったようなものだ。この辺りの話題については杉本@むにゅ10号さんやGAKUのレポートが非常に簡潔且つ要領を得ていると思うので、そちらを参照していただきたい。市川憂人さんのレポートにも実は期待している。とにかく自分としては多種多様なミステリ好きが集まるMYSCONという場で、よりミステリの枠を広げたり、ミステリの楽しみ方を増幅してもらえるようなことは出来ないか、と考えた次第である。というわけで、徹夜組の皆様、私からなんらかの協力願いが行った場合は無下にしないで下さいませ。
 印象として残っているのはミステリのエッセンスをアルコールに喩えた部分。別にアルコールでなくてもよかったとは思うのだが、なんかとても象徴的で、的を得ていたような気がする。
 こうして結局我々は徹夜組となった。実を言うと6時頃に話しの流れで私がなにげなく発言した際に「まとまりましたね」という意見も出たし、今となっては何を言ったかすら憶えていない私(おい)も「まとまったかも。これで眠れるかも」と思ったのだった。しかし、既に息も絶え絶えな思考力の我々とは違い、たった一人元気いっぱいなお人がそこにはいて、その人の発するオーラが「もっと話ましょうよー」と言っていたのである。誰とは言わないが早起き星人ひろえである(言ってるやん)。いや、ま、実際は皆一時間の眠りよりもこの名残惜しい空気に浸っていたい、という気持ちもあったと思いますけど(笑)。

 どうやら同様に完徹だったらしいフクさんも大広間に現れ、そろそろ退出の準備に入ろうといいことになり、スタッフを起こしにかかり、起きたメンバーから片づけに入る。階段ですれ違った西澤さんはどうやらぐっすり眠れたようでなにより。昨晩よりもかなり顔色がよくなっていた。眠っている参加者がいないか部屋を見回り、忘れ物のチェックなどをして大広間に戻る。再び一堂に会した皆さんは一様に眠そうであったが、毎年恒例フクさんの「家に帰るまでがMYSCONです」の言葉と共にMYSCON3は締めくくられたのであった。

祭りのあと

 一人一人森川別館を後にしていく姿を見送り、やがてほぼ全員が退出。急にしんと静まりかえった大広間にスタッフとお手伝いをして下さった方々が集まる。鳶迩さんがすさまじく眠そうだったのが印象的だった。まあインタビュアーという大役は緊張もすごかっただろうからなあ。荷物をまとめる際に、企画で使用したわけのわからんブツを持ち帰るのは面倒だったので仲居のおばさん達に贈呈したら喜んで持って帰っていったのが笑えた。鯉の親子の置物なんてどうするんだ。
 車を旅館まで移動し、余ったお菓子やペットボトルをハッチバックに詰め込む。ハッキリ言ってしばらくは飲み物と食い物には困らない。だからといって一年間熟成された柿の種とかが発見されても困るんだけど。
 この後は恒例の反省会なので七沢さん、花さん、相澤さんを乗せて一足先にルノアールへ。他の方々は約10分の道程を歩いてくるはずなのだがいっこうに姿を見せる気配がない。焦れて電話をかけてみるとフクさんが道を間違ったらしく、心持ち迷っているらしい。フクさんの疲れ具合がわかるエピソードだが、毎年歩いてるんだから他のメンツも気づけよ(笑)。
 一行が到着し軽食を摂りながら簡単な反省会。内容は記さないが、フクさんの転勤などもあり開催すら危ぶまれたことを考えれば上上の首尾と考えてよかったと個人的には思う。スタッフとしてはまだまだ反省、改善すべきところは多々あると感じているけれど。何より自分自身がMYSCONが終わってしまうなんていう自体を避けたかったので、こうして無事に開催できたことで満足である。閉会の際に「MYSCON4でお会いしましょう」と言ったのは本音だし、言ったからには続けていかねば、とも思うのであった。

 ルノアール散会後、帰宅組、ライトノベルズフェスティバル移動組と別れる中、私達(七沢さん、蔓葉さん、鳶迩さん、sasashinさん、INOさん、みのるさん、私)はこれまた恒例となった後楽園のゲーセンへ。ここでT2さんと合流。T2さんとは本会では結局何も話せず閉会の際に慌ただしく互いに挨拶だけしていたので、合流できてよかった。皆、疲労困憊にも関わらずゲームを目の前にすると目の色が変わっている。特に鳶迩さんとT2さんのポップンミュージックの腕前は半端ではない。まるでロボットである。じっくり見ていると頭がおかしくなりそうだった。INOさんとsasashinさんは音楽に合わせて空手やボクシングをするという謎のゲームにはまっている。ジャブ!、ジャブ!、ハイ、アッパー!。端から見ていると何ともマヌケな風景だ。ふと気がつくと太鼓を叩くゲーム(なんでもゲームになる世の中だ)をする蔓葉さんの周りに小学生が輪を作っている。小学生のヒーロー蔓葉信博。ちなみに叩いていた曲は『ちょこっとLOVE』。卓球ゲームを目の前にしたみのるさんは昔卓球部だったという腕前を披露してくれるはずだったがどうやら卓球部だったというのは嘘だったようだ。
 ひとしきりゲーセンを堪能した後、喫茶店でまったり。思考能力のない時に安易に自分語りをしてはいけない。忘れてくれ。
 みのるさんのバスの時間が近づいたので、ここで一旦解散。鳶迩さん達はさらにお茶の水に移動しオフに参加するそうだ。タフや。みのるさん、七沢さんを東京駅まで送る。その後、蔓葉さんをお送りする際に蔓葉さんの自宅が私の以前の勤務先と目と鼻の先だったことを知り驚く。絶対にニアミスしてたって。その後、INOさんを送るが判断力が鈍っているので何度か道を間違える。INOさんがナビしてくれなかったら帰れなかったかも。INOさんをお送りした後、睡魔と闘いながら自宅まで。すぐにでも横になりたかったが車の荷物を移動して、風呂に入ってから布団へ。いつもの不眠状態が嘘のように眠れた。二時間だけだけど。
 家に帰るまでがMYSCON。ということで私のMYSCON3はここで終わったのでした。


*1: 基本的に文庫派なので新刊追っかけは無理なのです
*2: 実際面白いのだろう

Mar.31,2002 (Sun)

daylife

MYSCON3無事(?)終了。結局完徹してしまいました。4時間ほど寝てこうして起きていますが既にレポートがUPされていたりしてそちらを読んでみたり。目が腫れぼったいのはさすがに30時間以上起き続けていたせいだろう。
 眠たいけど、あまり記憶が薄れないうちにレポを書きたくなったので書き始めることにする。どうせ一日じゃ終わらないし。レポートというよりも修学旅行の感想文みたいになってしまうと思いますが、ご容赦ください。


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