ごくたま昨日日記 in September, 2002

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トピック

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Sep.11,2002 (Wed)

daylife

 日記のフォントポイントをちょっと大きくしてみました。読みやすいですか?。

 昨晩、急に乙一のTV出演を思い出してBS『真夜中の王国』にチャンネルをあわせたが時既に遅し。
 「喋りが遅くて会話のテンポを崩してしまい、スミマセンでした」と申し訳なさそうにカメラに向かって頭を下げる乙一しか見れませんでした。

memo

 これ欲しい。本気で欲しい。買っちゃおうかな。

 本の場合とは違うでしょうが何らかの参考にはなるかと。→速習!音楽著作権講座

 と、こういう情報を載せておけるトピック欄が欲しいということだな。nDiaryのスケジュールプラグインの変形のようなものが作れないだろうか(*1)

9・11

 一年前のあの日、私は名古屋の病院に入院中だった。確かその夜はBS2で映画を観ていた。スティーブン・キング特集で『ニードフル・シングス』だったと思う(*2)
 22時45分くらいに映画が終わり、23時から『ジャンク・スポーツ』を見ようと思ってフジテレビ(名古屋ではどこだっけ?)にチャンネルを変えた(*3)
 そこにあの映像が飛び込んできたのだ。はじめは何が起こったのか全く理解できなかった。ニュースもまだ混乱していた時間帯だった。そして少しずつ、これが同時多発テロだということがわかってきた。
 同時多発テロという言葉に私は急に恐ろしくなってしまった。今、こうして震えながらテレビを見ている私の元にも飛行機が落ちてくるのではないか、と。よしんば名古屋に落ちずとも東京や大阪など自分の知り合いが多く住む町に落ちるのではないか、と。
 それはこれまで経験したことのない恐怖だった。告白すると、私はあのニュースを見て完全にビビっていたのである。

 9時には消灯し、いつもなら静まり返っている病院も、今晩はいつもと様子が違った。私は12時過ぎまでテレビに釘付けになり、この事件の全容がほぼ分かってきた頃に、気を落ち着けさせるため喫煙所へ向かった。
 喫煙所には、いつもならこんな時間にはいない筈の面々がいた。当然、皆口から出るのは「恐い」「恐ろしい」といった言葉だ。
 喫煙所からは名古屋の中心部に立つテレビ塔が真正面から見える。病院のすぐ横には市庁舎がある。私達は、いつそこに飛行機が落ちてくるのではないか、どこかがいきなり爆発するのではないか、という恐怖に脅えていた。
 やがてナースがそれぞれの部屋に戻って早く寝るように、私達を喫煙所から追い立てた。私は部屋に戻り、ベッドに横になったが、とても眠れる気分ではなかった。ただでさえ不眠症で眠剤を貰って飲んでいたのに、その夜はまったく眠れる気がしなかった。仕方なく私は明け方までテレビを見続けた。

 幸い、と言っては語弊があるが、日本には飛行機が落ちなかった。私の心配は杞憂に終わった。だが、それまで経験したことのない恐怖は、今でも私の中に残っている。何ヵ月か後、再び「飛行機が落ちた」というニュースを聞いた時は心から震えてしまった。
 私はおそらくこの時生まれて初めて「此の世の終わり」というものを意識したような気がする。それはこれまで考えたことがあるような「死んだらどうなる」といった類の物ではなく容赦なく終わらせられる、そういう類のものだった。自分が死ななくとも自分の大切な人達が無理矢理人生を終わらせられるかもしれない、という恐怖だった。
 地下鉄サリン事件の時、こういう感覚を経験しなかったのがなぜだかはわからない。おそらく、それほどまでにツインタワーが崩壊する映像はインパクトがあったのだろう。あれだけ巨大な建物でさえ、砕き破壊する暴力が此の世にあるという事実を知ってしまったからだろう。

 一年経った今になってなぜこんなことを書いているのか。もっと早く書いていれば良かったのだが、この日に感じた恐怖と経験を今更でも書き残しておこうと思ったからだ。
 私は別に人道主義を表明するわけでもないし、被害者に哀悼の意を、なんて偽善者ぶるつもりもない。ただ一つの事実として、私は恐かったこと、ビビッたことを書き残しておこうと思っただけである。
 その意味では確かに私はテロに屈したのだ。

涅槃の読書模様

 『瞬間移動死体』西澤保彦【→bk1へ】読了。
 これまでのSF設定シリーズと違い、本作ではテレポーテーションという超能力を主人公が能動的に使用できるせいか、その使い方で結構楽しめた。いつも思うことだが西澤保彦のSF設定つくりの巧さには舌を巻く。限定条件の微妙さがツボだね。
 私にしては珍しくかなり早い段階である程度の真相へは行き着けた。いちいち推理しながら読んではいないのでアバウトではあるが。『ナイフが町に降ってくる』【→bk1へ】も、真相がバレ気味だったと思うんだけど、これっていうのは読者が西澤保彦の設定からある種のコツみたいのを経験値で読み解きやすくなったことも原因なのではないだろうか。「ははん、そういう縛りがくるってことはそれが鍵だな」みたいな。私の場合はそれだったんですけど。皆さんはどうでしょうか。

 『タイム・リーパー』大原まり子読み中。
 面白い言語感覚というかリズムというか語句の選択が目立ちます。それも含めて極めてSF的です。その割にはサクサク読めるから問題はないんだけど。とりあえず楽しんで読んでます。


*1: 自力では無理なのはわかってる
*2: 自信はない
*3: これまた自信がない

Sep.12,2002 (Thu)

daylife

 いろんなことを考えてみたくなり『GO』のビデオを借りて来て、観る。感想は↓。返却後、その足で原作本を買い、カレイドスコープ(テーマ曲?歌ってるバンド)のCDも借りてきました。わかりやすい反応。

 しかしタイミング悪し。
 妹の結納が近々にあり、そのために釣書が必要らしく、私の勤める会社名などを聞いてきたのだ。私は思わず「会社なんか何処でもいいだろ。そんなもので判断してほしくない」と答えてしまった(*1)。で、大喧嘩。最後にはお決まりの台詞で「家出てけ」。これ言われるとどうしようもない。自分でもパラサイトシングルでいる情けなさは承知しているだけに、結果的に負けることはわかってるんだけどなあ。

 それはそれとして、世間の慣習とかに何も考えずに従うことにどれほどの意味があるのか。「常識」とか「当たり前」って言葉をすぐに持ち出すことに疑問を感じないのか。
 別にホントに会社の名前を教えることが嫌なわけじゃないんだけど、そういうのにただ従うだけではいられないのが性なんだからしょうがない。勿論、時にはそういうものに従わなくちゃいけないことは理解はしないが知っているし、それが世の中という"ヤツ"だとは思うんだけどね。

 そういう根元の部分で家族とわかちあえないのは、分かり合おうと出来ないのは不幸なことです。自分の態度に問題あることはわかってるけど。
 そしてそのことを不幸と考えないことが一番哀しいことなのかもしれないけど。

語るということ

 蔓葉さんの日記が私個人に向けられて言ってるわけではないと思うんだけど、返信。

 決して「勝ち負け」や「善悪」の問題にすりかえた気はないんだけど、最後の一行がその誤解を生んだのかもしれない。ただ率直な感想として、もし「テロというものが相手に恐怖を植え付けることで自分の論理を通そうとする行為」なのだとしたら、ある一定の成功を私に対しては収めた、ということを認めてみた、と。未知のものに面した時は、認めることから始めることも大切かな、と。

 それと、「正しいことを発言しなくてはいけない意識」というのは決して否定すべき意識ではないと思います。それが本当に「自分の考える正しいこと」ならば。誰かの尻馬に乗ったり、大勢についていくための発言でなければ。勿論、大切なのは「発言すること」ではありませんが。その意識すらないよりも私はいいと思いますよ。

 私も昨日と言う日付の時点で、あの文章を載せることには多少の逡巡を感じましたが、それでも書き、載せたのは「自分が忘れないため」です。確かに一過性のものであってはいけないのかもしれませんし、時間に関係なく考え続けることは大切なんですが、往々にして人間というものは忘れてしまう生き物で、私自身は特に忘れがちな生き物です。だからこそ「書き残すこと」で、忘れないようにすることもアリなんではないでしょうか。
 決して、昨日という日にあの事件を書き綴った人達全員が、「発言することで問題を先送り」しているとは言えないと思うんですよ。それは蔓葉さんもご理解していて、敢えて警鐘を鳴らしているんだと思いますけどね。

『GO』[movie][video]

 監督:行定勲、脚本:宮藤官九郎、出演:窪塚洋介、柴咲コウ、大竹しのぶ、山崎努

 名前ってなに?
 バラと呼んでいる花を
 別の名前にしてみても美しい香りはそのまま
 −『ロミオとジュリエット』シェイクスピア(小田島雄志訳)−

 ビデオを観終わって返却すると同時に原作本を買いに行った。この行動がまあ全てです。これは観るべき作品。

 ただ、それは在日韓国人の問題がどうとかそういうのとは別で、映画として単純に面白いから。なにより台詞が最高です。自分も一応台本を書く身分なので台詞がいい作品はそれだけで頭が下がる。

 「これは僕の恋愛に関する物語だ」
 「広い世界を見るのだ」
 「円の外には手強いやつがいる」

 その他にも、とにかくただ通り過ぎていかない言葉の数々に溢れている。原作をこれから読んでみないとわからないが、これはもう脚本の宮藤官九郎の勝利だろう。
 それらの言葉の数々を浴びるだけでもこの映画を観る価値はあると思う。

 単純な感想としては、男を成長させるのはいつでも女だよなとか、国籍とか教育とかも確かに大きな影響を与えるけど、やっぱり一番肝心なのは家族の在り方で、それに関しては主人公はシアワセだよなあ、とか。やっぱり自分との比較で見てしまう部分かしら。

 デリケートな在日韓国人の問題に、私ごときが何を述べることも出来ないが、一つの映画として見る場合、恐れずに言えば魅力的な題材であったことは確かだろう。冒頭の引用にもある通り、この物語は時代を超えた『ロミオとジュリエット』の変形であり、この恋愛のタブーというテーマは創作者にとってなにより描きやすい、そして描きたいと思わせる題材だからだ。

 これもまた不謹慎を前提に言うとすれば、「自分が在日韓国人だったら、こんなにドラマチックな青春が送れたかもしれない」、それくらいのことを思わせる映画だったと思う。少なくとも私は、好きな人とああいう言葉を投げ合わしたり、お互いの心を「恋愛」という部分だけで分かり合う以上の「何か」を経験した主人公を羨ましいと思いました。

 以下は映画としての不満いくつか。ただし、重箱の隅つつきです。全面的にこの映画を賛美しているわけじゃないよ、というエクスキューズ。ネタバレの可能性もあるので反転します。
 【ネタバレ→】ジョンイルの死は物語としてどのような意味を持つのか。杉原はジョンイルの死がなければ告白できなかったのか。もしくは二人が始めて一夜を過ごすためだけの前振りだったとしたら悲しい。葬儀のシーンでの杉原と行秀のやりとりのためのなのか。ただ、その後に活きたとはあまり思えないのが残念だった。まあ、遺言っていう部分があるか。
 それと山本太郎演ずるタワケ先輩のその後が個人的には気になった。ジョンイルの死と同じく、杉原と桜井の別れの後で、それらの伏線的な要素がラストまでに収束したらもっと感動的でカッコよかったのに、とは思った。
 これは原作読んでみないとわからんけど、ラストで桜井が杉原の心を溶かすための台詞が他の台詞に比べると圧倒的に弱い。他の台詞が際立っているためにそう思う。凡百の映画ならあの台詞で充分かもしれないけどね。
 最後に、あくまでも個人的にはラストでかかる音楽はもっとリズムがあってテンポが早いものの方がこの映画の印象を爽快なものにしたと思う。ちょっとしんみりし過ぎ。それが演出意図なのかもしれないが。私は違うと思ってしまった。
【←ネタバレ終わり】


*1: ホントに影響を受けやすい人間だなあ

Sep.13,2002 (Fri)

daylife

 Coccoが絵本作家に。ちょっとビックリ。絵本になってもあのシュールな世界は変わらないのだろうか。子供向けと考えない方がいいんでしょうかね。アーティスト(音楽家)としての彼女は好きだったので気になるニュースです。

 これまたメモ。あなたが選ぶ「'02文庫翻訳ミステリー・ベスト10」。今年は新刊の翻訳書を一冊も読んでない気がする。応募資格なしですな。〆切は10月7日。
 ちなみに昨年の大賞は『審問』パトリシア・コーンウェル。さすがに講談社の賞だけに頑張ってます。丁度この作品から検屍官シリーズ読むの止めちゃったんだよなあ。10年読み続けていたというのに。ん?検屍官シリーズはいつも12月に出るからこれは一昨年の作品か。昨年は検屍官シリーズは出てませんね。女性署長ハマーシリーズが出てたけど。

サイト改築構想

 色々と考えたり思いついたりしているのだが、まとめておかないと忘れ、混乱するのでメモ。

 全体構想。

 日記関係。

 上記2点はnDiaryがVer0.9.3になれば解決するはず。
 次の2点は色々と調査、お願いが必要。無理ならば諦める。

 本のレビュー関係

 その他。

 てなところか。
 当然一気には出来ないので順々に。ボチボチと。自力で出来ないものもなんとか協力していただけるものは協力していただいて頑張ることにしよう。
 とりあえず、日記は移転の可能性が大。さっさと移転してしまった方が来訪者にとってはいいのだろうか。移転先は既に決まったも同然で領域は確保しているのだが。

涅槃の読書模様

 『タイム・リーパー』大原まり子読み中。
 タイトルどおり、タイムトラベルもの。SFな設定でありながら、人間関係に主眼が置かれていて一見SFっぽくないように見えて、会話の端々にSF的な哲学思考が垣間見られる、みたいな。SF的な哲学思考ってなんやねん、という感じだが、SFで好んで用いられる哲学要素とでも言えばいいのか。妙に危うい文体なのは作者の技なのか。

 購入物。

Sep.14,2002 (Sat)

daylife

 現在時刻、早朝6時15分。さすがに眠い。夜通し台本を書いていたが(量はたいしたことない)頭が働かなくなってきたので気分転換に日記を書いてみる。でも日記書き終わったら寝ちゃいそう。煮詰まった頭で書いてもろくなもん書けんし。と言い訳。

 芝居の参考になるかも、と思い『メメント』を観る。といいつつ、これも気分転換という名の逃避かもしれない。でも、時系列を乱した演出にはおおいに創作意欲を掻き立てられた。同じように(というよりももっと激しく)時系列を弄った作品であるらしい同監督の前作『フォロウィング』も観てみたくなった。レンタルされてるのかね。疲れているので感想は後日。

ガラスの動物園

 滅・こぉるさんの日記で触れられていたので、大きなお世話かとも思ったのだが敢えてツッコミを入れさせていただいた。ここでは『ガラスの動物園』について多少の補足をしておこうと思う。

 『ガラスの動物園』テネシー・ウィリアムズの作品で1945年に発表された。。
 テネシー・ウィリアムズは、現代戯曲を代表する戯曲家の一人で、『ガラスの動物園』は、チェーホフ『かもめ』『三人姉妹』と並んで演劇を学ぶものなら絶対に避けては通れない作品とされている。高校や大学の演劇部には必ず常備されている一冊といっても過言ではないだろう。

 内容的には、それぞれに問題を抱えた家族の情景を抒情的に描いた作品であり、ハッキリいってストーリーと呼べるようなものはなく、小説を楽しむような多くの人にとっては面白くない作品に感じられるだろう。私も初読時は特に演劇の世界に深く足を踏み入れていなかったので「オモロないわあ」と思いつつ読んだ。
 しかしなぜそのような作品が現代戯曲において地位を確立しているのかというと、この作品が「語り」という一形式の傑作であるとされているからです。『ガラスの動物園』は主人公トムの回想という形式をとっており、このトムの語りと、回想の中で語られる彼の家族達(それぞれが病的であったり変質的であったり夢想家であったり)の会話やモノローグで構成されており、彼らの住むアパートだけが舞台となっています。
 それを踏まえてから読んでみると、なるほど「語る」、特に舞台の上で「語る」ということがどういうことか、逆にこの作品の台詞を「語らせる」にはどうすればいいのか、なかなか考えさせてくれる作品です。しかしそれでもやはり多くの読者には退屈かもしれません。

 ただ、演劇界においてのこの作品の地位は揺るぎ無いもので、今でも一年中どこかで上演されています。興味のある方は本で読むよりも、実際に舞台を見てみることをオススメします。
 またこの作品は二度、映画化されており、新しい方はポール・ニューマンが監督でジョン・マルコビッチが出たりしてます。ただ、戯曲の映画化というよりは、この戯曲を舞台化しようとしている人達を描いた劇中劇という作品です。

 テネシー・ウィリアムズの他の作品としては『欲望という名の電車』が有名で、こちらも二度、映画化されています。こちらは1951年に映画化されたエリア・カザン監督の方がダントツに有名ですね。これはまさしく名作と言っていいと思います。マーロン・ブランドヴィヴィアン・リーという二大スターが共演しています。
 もうひとつ挙げるならば『やけたトタン屋根の猫』でしょうか。こちらも映画化されており(*1)、戯曲としては劇中時間が実際時間と同じという手法を使った作品として有名です。これまた映画化されていまして主演はポール・ニューマン。こちらもなかなかいい作品です。

 いずれの作品も登場人物が病的なのが特徴で、テネシー・ウィリアムズといえば病的心理というのが代名詞になっているほどです。
 が、これが第二次大戦後のアメリカの時代とマッチしたのはある種の皮肉で、それ故に彼の作品は有名になったといえるかもしれません。


*1: 映画タイトルは『熱いトタン屋根の猫』

Sep.17,2002 (Tue)

daylife

 雨の日に本やマンガを買うのってちょっと勇気がいりませんか?。

 稽古が本格的になると土日の休みがなくなるのが辛い。好きでやってることとはいえ、体を休めることが出来ないっていうのはこの年齢になると厳しいものだ。おまけに稽古から帰ってくるのは大概夜の12時を廻ってからなので後は何もする気が起きず寝るだけ。疲れが取れない…。
 ということでしばらくは休日の更新は滞るかもしれないという言い訳でした。

 昨晩の『ランチの女王』最終回。稽古の後だったので後半しか見れなかった。ずっと見続けてきたのに最終回だけ半端になったのが残念。
 感想としては、うーん、無難すぎやしませんか?。個人的にはきっちりケリつけて欲しかったなあ。そりゃ誰と結ばれても色々言われてしまうんでしょうが、それでもあの終わり方は消化不良っすね。堤真一である必要性があまりなかったよなあ。

 最後にチョイ役で中丸新将が出てきたのにはちょいと驚いた。で、『濱マイク』には塩見三省がチョイ役で出ていた。どちらもバイプレイヤーだけど、最近のドラマでは見ないことがない。影の売れっ子ですな。よくあれだけの数を演じ分けられると思う。ある意味では主役級の役者よりもよっぽど大変だ。尊敬。

本格ミステリファン度調査

 「ファン度」を「ファンド」と打ち間違えないように >自分。

 いまや一大ムーブメントと化しているmatsuoさん「本格ミステリファン度調査」。現在(9/17 20:30時点)でトップの『すべてがFになる』森博嗣に150以上の投票が行われているということは、違反がなければそれ以上の人数がこの調査にすすんで参加したことになる。これって個人のミステリサイトの企画としては望外の(そして伝説の)企画になるかもしれない。matsuoさんおめでとうございます。
 探偵小説研究会の方々、そして原書房は、matsuoさんになんらかの御礼をしてもいいのではないでしょうか。これは『本格ミステリ・クロニクル300』【→bk1へ】をより一層有効にする素晴らしい企画です。もし改版される機会があれば是非ともmatsuoさんにご協力いただいて、このデータも載せるべきでしょう。
 以前、ランキングの話の際にも書きましたがどれだけの人間が読んでいるかというのは作品単体の評価とは別にでも重要な情報だと思います。ランキングにするなら尚更ですね。今回の場合は作品の評価ランキングではありませんが、これはこれで貴重なデータとして残るでしょう。いやホント素晴らしい仕事です。

 で、私の既読数は73.5冊。0.5っていうのは挫折本が一冊入っているため(*1)。国内、それも新本格系は全然ダメなのは重々承知してましたが、ほんとにミステリサイトかよ!という体たらくぶり。なんせ得票で上位を占める森博嗣(『F』だけは読んでます)、有栖川有栖(読んだ作品が一冊も入っていない)、麻耶雄嵩我孫子武丸といった辺りがことどとく未読。近年のメフィスト賞作品も一冊も読んでないのだから当然です。新本格でしっかり読んでるのは綾辻行人の「館シリーズ」くらいだなあ。

 逆によくこれだけ既読だったと本人的には驚きなんですが、島田荘司北村薫東野圭吾宮部みゆき西澤保彦加納朋子恩田陸若竹七海といった辺りの自分が追いかけてる作家さんの作品が多く取り上げられていたからでしょう。この数字がそのまま、私のサイトの歴史線上にあると考えてもほぼ間違いないです。ネットを知らなければ今でも新本格を知らずにいたかもしれない。

 政宗九さんも仰られていましたが、私の時代は『東西ミステリーベスト100』(文春文庫)がミステリにおける羅針盤でしたね。こっちのリストなら9割近く読んでるんだけどなあ。『冒険・スパイ小説ハンドブック』早川書房編集部【→bk1へ】とか…(*2)
 『本格ミステリ・クロニクル300』が今後どのような位置づけとして落ち着くのかわかりませんが、私のように新本格以降の作品に弱い人間としてはいいガイドブックになりそうです。ただ、300冊完遂は無理だろうな(その気もないが)。

涅槃の読書模様

 『タイム・リーパー』大原まり子読了。
 やっぱりタイムトリップ物は面白いね。この作品はタイムトリップや多元的世界を舞台にしつつ、様々な愛の形を描こうとしているのは理解できるんだけど、どれも正直ツッコミが甘い感じがしました。ちょっと読者に委ねすぎというか、その割には与えられる情報が少ないというか。全体的に「イメージの乱反射」という感じがします。多くのSF的ギミックや論理、世界観が出てくるのはいいんですが、それもツメが甘い感じ。なにより登場人物たちの描き方がある一点、ある側面にしか目が向けられていないのも残念。小気味いいテンポで、材料としては活きのいいものが揃ってるんだけど今ひとつ使いこなせなかった、みたいな。
 もし、これだけの材料で読者に言わんとすることを掴め、と思っているならちょっとサービス不足かな。断片だけを掴めればそれでいいのかもしれないけど。私の理解力が乏しいだけかもしれませんが。
 というようなことを考えちゃうくらい、巻末の解説が私の理解を越えている。この作品を読んで、そこまで語れちゃうのが凄いとしか私には言えません。

 購入物。

『メメント』[movie][DVD]

 監督:クリストファー・ノーラン。出演:ガイ・ピアース、キャリー・アン・モス、ジョー・パントリアーノ

 上映当時、リピーター現象を生み出し、一躍ヒット作となり数々の映画賞を獲得した作品。前向性健忘症を患った主人公の視点で描かれる、その時系列に遡った演出が一部では「わかりにくい」との声を出たようだが果たして。

 保険調査員だったレナードは、妻をレイプされた上に殺され、自分もその時に怪我をした後遺症で10分以上記憶を保てなくなった。ポラロイド写真に書き加えたメモと、体に残したタトゥーだけを頼りに、彼は「ジョン・G」なる男を探し出し、復讐することだけを望んでいた。

 確かにラスト近くまでは「?」の連続で、誰が怪しく、何が間違った情報なのかわかりにくかったです。ですが、ラストシーンで全てが語られてるので理解できないってことはなかったです。
 個人的には時間の逆行という演出よりも、レナードの左手に刻まれたタトゥー「サミーを忘れるな」に関連するネタのほうが驚きは大きかったし、巧いな、と思いました。

 ただよくわからないのはジョー・パントリアーノ演ずるテディの存在。彼がいったいいつから、なんのためにレナードに付きまとっているのか、それだけはわかりませんでした。
 総評としては、面白いし一つの演出手法を知っておく意味でも見て損はない作品。言い方は悪いけど一発ネタだと思うので、いずれこれと比較される作品とかが出てくるであろうから、そのためにも見ておくのが吉。

 ガイ・ピアースはカッコいいですな。最近の俳優ではヒュー・ジャックマンの次くらいにカッコええと思います。キャリー・アン・モス『マトリックス』のときとは別人。つーか結構歳いってんのね。役のためかどうなのかわかりませんが肉付きもよくなってました。『マトリックス2,3』でもあの姿だったらちょっとイヤ。


*1: 何かはナイショである
*2: 言い訳がましい

Sep.18,2002 (Wed)

daylife

 台本はラストスパート。頑張れ >自分。

 「本格ミステリファン度調査」は遂にトップの得票数が550を超えた(9/18 22:00現在)。いったい何処まで行くのか。バケモノ企画になってきましたね。

 昨日の日記で「ホントにミステリサイトかよ!」と自分で書きましたが、良く考えたら乱読者サイトとして起ち上げたサイトだったし、今でもその乱読振りは変わってないのだった。
 いつのまにかミステリサイト気取りになっていたようで反省。原点に立ち返れ。

『十角館の殺人』とは?

 日本のミステリを、特に新本格(または第三の波)を語る上で『十角館の殺人』綾辻行人の存在というのはもはや絶対に外せないものとして定義されている。
 ペインキラーさん「ミステリ系読書サイト平均的運営者像(読書遍歴編)」でも、

綾辻行人が世に出るまで本格ミステリがなかなか出版されない本格飢餓を体験した。
当然、『十角館の殺人』を読んだときは欣喜雀躍した。

 と挙げられていることからもわかるとおり、ひとつのエポックメイキングだったのだろう。

 そのこと自体に異議を唱えるつもりは毛頭ないのだが、上記のような本格飢餓を味わったこともなければ、『十角館の殺人』を読んだのが1992年のことで特に新本格と意識して読んだ身でもない私としては、この作品の評価という点で違和感を感じてしまうのも確かだ。
 『十角館の殺人』が決して面白くない作品であると言うつもりはない。実際に「館シリーズ」をそれ以後も読み続けてきたというのは、面白かったからに他ならない。しかし、衝撃を感じたかといえばそれは皆無だった。「推理小説として普通に面白い」というのが私の素直な感想だ。

 私がいつもミステリ好きの方達と『十角館の殺人』の話をする時、肩身の狭いような、申し訳ないような気持ちになるのはそのせいだ。勿論、「本格飢餓」を味わったような人達が『十角館の殺人』と出会ったならば忘れえぬ一冊になるとは思う。本に対する思い入れというのは出会いのタイミングに左右されることが多いのも事実だ。そういった個人のレベルにおける評価というものはあるだろうが、この作品を客観的に判断した場合、ミステリとしての評価はどれほどのものなのだろう。なんというか、作品単体としてよりも「日本ミステリ界における貢献度」を含んでの評価が目立つような気がするのは私だけなんだろうか。別にそのこと自体に問題があるわけではないのだが。
 いわゆる「新本格」世代でない人達、また「本格飢餓」を味わうことなく、この作品に触れた人達にとっても『十角館の殺人』はマイルストーンであり続けるのか。私はそのことに非常に興味を覚える。

 まあ結局は、自分が「ミステリ」読者として優等生じゃないだけなのかもしれませんけどね。

 私にとっての「館シリーズ」の最高傑作は紛れもなく『時計館の殺人』であり、この作品には間違いなく衝撃を受けた。国内ミステリにおいては『占星術殺人事件』と双璧をなす衝撃だったといってもいいくらいだ。私にとってのミステリオールタイムベストの一冊である。
 それだけに余計綾辻行人といえば、「館シリーズ」といえば、『十角館の殺人』という名前がいつも挙がることに忸怩たる思いがあるだけなのかもしれない。←結局は自分が好きな作品の押し付けである。

涅槃の読書模様

 『GO』金城一紀【→bk1へ】読み中。
 詳しい感想は読み終わってからですが、いやーイイっす。これはイイよ。映画も小説もそれぞれの面白さがある。

 BOOKOFF詣で。

Sep.20,2002 (Fri)

daylife

 昨日は風邪気味で帰宅即寝。

 母校の前を通ったら文化祭の準備をしていた。数年前から顔を出す事も無くなったが、我が後輩達は元気でやっているのだろうか。いや、そもそも部活は今でも存続しているのだろうか。弱小文化部はそれが一番心配だ。

 やる気を削ぐメールが届く。何を考えてこういうメールを送ってくるのだろう。思いっきりダウナー。何でこういうこと書いてくるかね。自分が受け取った時のことを全く想定していないんだろうなあ。夜の夜中に筆が滑って書いちゃったというならまだしも、真っ昼間だよ。理解しかねる。
 愚痴はなるべく書きたくないんですが、あまりに最悪だったので書き残しておくことにする。ここまで人の気持ちを踏みにじれれば本人は楽だろうな。

涅槃の読書模様

 『GO』金城一紀【→bk1へ】読了。レビューは後日。

 昨日の購入物。


上旬 / 中旬 / 下旬

shaka / shaka@diana.dti.ne.jp