ごくたま昨日日記 in August, 2003

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トピック

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Aug.11,2003 (Mon)

daylife

二泊三日の旅から帰ってきました。
ある意味で、とても無為な時間を過ごしましたが、有意義でした。社会人になってから無為な時間を過ごすことがなんて贅沢になってしまったのか。

寝冷えして頭が痛いのでさっさと寝ます。笑いすぎのせいかもしれないけど。

涅槃の読書模様

『オーデュボンの祈り』伊坂幸太郎読了。

Aug.12,2003 (Tue)

daylife

毎年家から見える鎌倉の花火大会。今年は雲が多かったせいかあまりよく見えなかった。風があった分、音だけはよく聞こえたけど。

三日間日常とは別空間で過ごし、時間の流れまで異なっていたので、頭も身体もうまく日常にシフトできない。切り替えが下手だというわけではなく、それだけ異常かつ濃密な時間を過ごした証拠だと思う。

ドラマ『ウォーターボーイズ』に最近話題のCCレモンのCMの女の子が出るという情報を聞きつけ、見てみた。うーん、CMの方が断然カワイイなあ。芝居が下手なのはまあ仕方ないけど。結局彼女よりも教師役で出演している菊池麻衣子の方が気になってしまった。

単独行動の魔術師の某作家に対する「棚確保作家ですね」という指摘に思わず頷く。

PRIDE GP 2003

旅先で『PRIDE GP 2003』を見たわけだが、全てのカードが予想通りの結果に終わった。別に予想が当たったことを自慢したいわけではなく、番狂わせがなかったということを言いたいだけである。

ノゲイラとリコ・ロドリゲスの試合は、フルタイムで放映されたわけではないので、あの結果(判定でノゲイラ)にはなんともいえない。しかし、UFCの強豪にはノゲイラの寝技もそう簡単には通用しない、ということは明らかだ。チェック・リデルの戦いを見てもUFCは侮れないことが理解出来たわけで、PRIDEはこれから本格的にUFCとの戦争になっていく気がする。それはそれで非常に楽しみではある。

さて、桜庭だが、これもまた予想通りだった。一部には「桜庭ペースだったのに」という声もあるようだが、個人的には完敗だと思う。確かに手は出していたように見えるが、シウバの攻撃を警戒しすぎて自分の間合いには入れず、効果的な攻撃にはなっていなかった。逆にシウバは余裕たっぷりで、桜庭の攻撃は見切られていたと同時に、「もし喰らっても大したことはない」と感じていたのではないだろうか。

総合の戦い方には流行があり、現在はなんといっても「打撃」である。桜庭の敗因は、その波に乗れなかったことと共に、自分の型に拘りすぎ、対策も怠っていたことだろう。昨日の試合を見た限りでは、シウバだけでなくリデルやジャクソンにも勝てそうにないな、と感じた。

しかし、桜庭はそれでいいのだと思う。勝ち負けだけに拘るなら、自分の型を棄て闘うことも大切だが、彼の闘いとはすなわちパフォーマンスであり、あの「型」で勝ってこその桜庭である。それはプロレスラーとしての桜庭和志の存在証明のようなものだ。「強い」「弱い」といった概念は基本的に相対的なものであり、実際には「最強」といった概念は存在しない。シウバは確かに現時点でミドル級のチャンピオンだし、今回のトーナメントでは誰かが優勝するかもしれないが、その選手が誰にでも勝てるわけではない。プロデューサーは、桜庭が本領を発揮できる相手を選び、マッチメイクしていけばいいだけのことである。「シウバに勝てないから桜庭は弱い」と短絡的に考えるにはまだ早い。シウバが勝てない相手に桜庭は勝てるかもしれないからだ。
ただ、もしも桜庭があくまでも打倒シウバ、もしくは「最強というイメージ」に拘るのならば、自分の型は棄てた方がいいと思う。本来ならば自分の型を貫いて勝つことが一番カッコイイのは当然だが、それが無理なことはこの三度の戦いで証明された。私はそう思う。

今回のPRIDEはミドル級トーナメントがメインだったわけだが、それを食ってしまったのがミルコだ。あのボブチャンチンに何もさせず、必殺の左ハイキックで一発KO。まさに戦慄が走った。ボブチャンチンといえば、豪腕ロシアンフックで悉く相手を薙ぎ倒してきた強豪だし、なによりも相手の打撃を恐れず突っ込んで来る怖さがあった。しかしそのボブチャンチンをもってしても前に出させないだけのオーラのようなものがミルコにはあったということだ。テレビで見てもボブチャンチンが嘗てないほど小さく見えた。それはつまりミルコが大きく見えたということである。いまのミルコには組み合うことすらさせない何かがある。

ということで気になるのは現ヘビー級チャンピオンのヒョードルとのタイトルマッチ。今回のヒョードルは相手がグッドリッジということであまり参考にはならなかったが、強さは健在だった。まともに打ち合うことができればヒョードルにも当然勝機はある。なんといっても殆ど真横から飛んで来るヒョードルのフックは強烈だ。死角から入ってくるし、ガードは効かないし、真横からの一撃なので顎にもテンプルにも入ってくる。しかし、それらのパンチをいつもどおり打てることができるのかどうか。観客が「なぜ打たない」と不思議に思ってしまう展開になったら、それはミルコの威圧感がそれほどのものだという証明になる。この一戦は早く見たい。それも互いがベストな状態のときに。

最後に日本人対決となった吉田VS田村。吉田はあの程度の左フックで腰が落ちてしまうとシウバ、リデル、ジャクソンといった打撃強者との対戦は旗色が悪いだろう。ベスト4に残った唯一のグラップラーということで期待したいのだが。もし決勝進出を狙うのなら、準決勝でジャクソンとの対戦は避けたい。おそらくこのメンバーの中で一番腰が強いのはジャクソンであり、彼相手にテイクダウンを獲るのは至難の業だと思うからだ。

個人的に準決勝のカードとして見てみたいのは、シウバVS吉田。リデルVSジャクソン。シウバは打撃でのKOを狙うだろうが、決して組み合いを嫌うわけではないので、組み合えたらそれはそれで面白い試合になると思う。リデルとジャクソンは共にUFC出身者なのでやり難い部分はあるかもしれないが、観客としてはどちらが強いのか単純にみたい。ものすごい殴りあいが見れそうだし。

どういうカードになるかわからないが、予想はシウバとジャクソンが決勝進出で、シウバ優勝。もし、シウバとジャクソンが準決勝で当たれば、シウバとリデルが決勝進出でシウバ優勝。さてどうなることやら。11月が楽しみである。

涅槃の読書模様

『予知夢』東野圭吾【→bk1へ】読了。

Aug.13,2003 (Wed)

daylife

世間様はすっかり『陰魔羅鬼の瑕』京極夏彦の話一色(そうでもない?)という感じですが、なんかとても面白いようでプチハブ(*1)気分。

カミングアウトすると実は私、京極作品は『狂骨の夢』の、それも途中で止まってるんですよね。別につまらなかったとかではなく、おそらくその当時続けて京極作品を読み続けたせいで疲れちゃったんだと思うんですよ。『魍魎の匣』でかなり頭やられちゃったというのもあるとは思うんですが。

今更とはいえやっぱりこのシリーズは読んでおきたいなあ、と思い始めた。もはやよく憶えていない『狂骨の夢』の最初から読み直そうかしら。

『爆笑おすピー問題』を見て、ひとまずこの夏に観ておきたい映画をリストアップ。

ちなみに『ハルク』は久々にジェニファー・コネリーの美しさが堪能できそうで気にはなるのだが、CGのハルクがどうしてもシュレックに見えてしまうので腰が引けている。

番組見てて思ったのは小島奈津子は相変わらず自分の言葉では何も語れないということ。映画の感想くらい言えるようになったほうがいいと思う。

『トリビアの泉』はアレだね、ゴールデンに進出してネタがどうとかよりも、視聴者が増えちゃったからありがたみが薄くなったということの方が残念ですね。

『生徒諸君! 教師編』連載スタート

『生徒諸君! 教師編』庄司陽子の連載が始まったということで『BE LOVE』という雑誌を初めて買った。
設定はおそらく現在だが、あれから20年経ったのにナッキーは25歳ということになっている。まあ、40過ぎのナッキーを見るのは複雑な思いもあるので、その方がいい。しかし、ナッキーの背中を追いかけていた自分が、いつのまにか彼女を年齢的に追い越してしまった事実というのはややショックである。

初回を読んだ限りでは、問題のあるクラスに新しく赴任してきたナッキーが身体ごとぶつかっていく、という話になるようです。
ファンとして危惧するのはあの当時と今では、教育現場のあり方や子供たち自身が大きく変わっているということ。しかし、初回からナッキーは「変わらないこともあるはずです」と言い切る。それが果たして今の読者たちに伝わるのか、ちと不安ではある。私自身はナッキー信奉者なので彼女について行くだけだが。とはいえ、『生徒諸君!』はあの当時でさえ、それまでタブーとされてきたような社会的な描写を取り入れていた。だからこそ名作であったわけで、それを思えば今回の連載でもきっとなにかやってくれると思うのであった。

ちなみに岩崎とはまだ結婚していないらしい。相変わらずの豪邸住まいで、岩崎は関西の企業クラブのコーチに赴任して遠距離恋愛中、のようである。この辺はおいおい書かれていくだろう。個人的にはナッキーに横恋慕するキャラクターが出てきて、岩崎が余裕たっぷりに受けに構えるシーンが見たい。岩崎がナッキーを信じきって微笑みかける表情が大好きなので。
金田先生は出てきましたが、その他のキャラは出てきてません。この辺もおいおいなのか。

残念なのは、この『BE LOVE』という雑誌がどう考えても大人の女性向け雑誌であること。「教師編」とはいっても、そこに描写されるのは「学校」という場なわけで、私自身の経験を踏まえても是非とも中高生という「学校」という場に今存在している人達に読んでほしいと思うから。やっぱり『なかよし』とか『別冊フレンド』とかで連載して欲しかったなあ。大人はどうしても「そんなに簡単に行くもんか」というようにシニカルに構えちゃうところもあるからね。ナッキーの熱いパワーを躱さずに受け止めてくれるような年代に読んで欲しいと思います。

涅槃の読書模様

『お笑い 男の星座 芸能死闘編』浅草キッド読了。

購入物。


*1: ハブにされるってもはや死語ですね

Aug.14,2003 (Thu)

daylife

今日の日経産業新聞に、「少ないページで厚さ演出」という記事が載っていた。
出版社の要請に応えて王子製紙が開発したこの新型用紙は、一般書籍用が「OKソフトクリーム」、コミックや雑誌用が「OKアドニスラフ」といい、一般書籍でおおよそ現在の紙の2割増、コミックや雑誌で5割増の厚さが見込めるそうである。

出版社としては厚みを持たせて、高級感を演出したいのだろうが、読者にとってはこれはどうか。私自身は本の収納に四苦八苦している身なので迷惑以外の何物でもない。それに、この紙を使って通常ならば一冊で収まる本を上下巻に分けて出版されるようなこともないとはいえないだろう(売れっ子作家の場合ならそれでも売れる)。ていうか、こんなことで本を値上げされてもたまらんよなあ。

確かに厚い本を喜ぶ読者というのは存在するし(実際はページ数が多いことを喜ぶのだろうが)、薄いよりは厚い方が高級感があるのも事実だとは思う。けれども、それが結果として読者に与える影響はどうなるのか。個人的には、出版社と読者の乖離はますます大きくなるのでは、と思えてならない。

どんな商売でもそうだが、目先の商品を高く売ることは目前の収入目標をクリアすることにはなるけれど、その先のことまで見据えたビジョンでなければ結果的に破綻する。まあ、破綻する時間を先延ばしにしたいのはどんな企業でも同じだろうけどね。

涅槃の読書模様

『消失!』中西智明読み中。

購入物。

『オーデュボンの祈り』伊坂幸太郎(2000 新潮社)

今年最もブレイクする作家の一人になるであろう伊坂幸太郎のデビュー作。第五回新潮ミステリー倶楽部受賞。

会社を辞め、思いつきでコンビニを襲いあえなく警察に捕まった伊藤だったが、護送中にパトカーが事故に遭い、気を失う。目が覚めたとき、彼は荻島という聞いたこともない島にいた。その島は100年以上も本土と連絡を取らず「鎖国」を続け、独自の文化を持つ不思議な島だった。
その島には不思議な人間が多くいたが、その中でも一際不可思議な存在だったのが優午という名の案山子であった。彼は人間と会話するだけではなく、未来を予知することができるのだ。伊藤がこの島を訪れることも彼は予知していた。最初は優午の存在を信じられなかった伊藤もやがて彼を受け入れていく。
しかし、翌日優午は何者かによって「殺され」ていたのだった。いったい誰が案山子である優午を殺したのか?。そしてなぜ優午は自分が殺されることを予知し、誰かに伝えなかったのか?。

痛烈な皮肉をもって、おそらくはミステリに対し、書かれた作品である、と思われる。本書の中でも何度も指摘されているように、未来を予知することのできる案山子・優午はミステリにおける「名探偵」であり、事件を予見することはできても、また解決することはできても「事件」そのものを防ぐことはできない。「自分で動くことはできない」案山子はまさしく名探偵という“記号”に他ならない。
さらに、桜という「始末屋」と城山という極悪な警察官の存在、そして荻島の無力な警察に代表される、警察という存在に対する冷ややかな目。伊坂幸太郎は本作でミステリに対するアンチテーゼを主張したかったのか?。

しかし、そういうことでもない、とも思う。というよりもそういったテーゼ自身が作品の中に埋没してしまい、もしもテーマを主張するつもりで本作を書いたのならば、それは成功しているとは言い難い。単に私の読解力不足なのかもしれないが。同時に、本作のもう一つのキーである(と思われる)「救い」というテーマに関してもいえることである。さらにいえば、「この島に足りないもの」というモノの存在についても、なぜ「ソレ」なのか私には良くわからなかった。
おかしな言い方だが、この人の小説はその巧さのために逆にテーマが見失われる、といった傾向があるように思う。それは『ラッシュライフ』でも感じたことだ。テーマ的なことを語ろうとすればするほど、その部分だけが妙に座りが悪く、文章に乗りきれない感じがするのだ。

しかし、『ラッシュライフ』では作者自身もそれに自覚的になったのか、意識してテーマを抑え気味に語っていたと思う。それを考えるとデビュー作である本作が多少ぎこちなく粗が目立つのは仕方ないとして、逆にいうとたった一作でここまで腕を上げたのかと驚かされるのもまた事実である。

伊坂幸太郎は結局、二つの道があったとき、「文章というエンタテイメント」という道を選び、声高にテーマや自分の語りたいことを主張することをせず、その作品の面白さや流れを損なわない、バランスを崩さない程度に語っている。決して一つ一つの文章自体は「巧い」と思わせるものではないが、そのバランス感覚と、全体を俯瞰して文章を書けることが彼の「巧さ」なのだと思う。
『ラッシュライフ』の黒沢や、『陽気なギャングが地球を回す』の饗野(リーダーの成瀬も)という存在はそうした「代弁者」としての役割を担って作られたキャラクターのようにも感じられるのである。

長々と私見を語ってきたが、本作についてもう少し述べておくと、「鎖国」され時間から取り残された荻島、未来を予知する案山子、といった魅力的な素材を持ちながら、それらを活かしきったとはいえない作品でありながらも、確かに「原石」としての期待は充分に感じることができる、といった作品です。

なにより、伊坂幸太郎の強みというのはエピソード作りの巧さにあり、本作でもその才能は充分に生かされています。嘘しか喋らない男、太りすぎて動けなくなった女、死にゆくものの手を握ることが仕事の女性、そしてタイトルにもなっている鳥類学者オーデュボンの話など、読んでいて面白いのと同時にどこか気持ちがいい。

このエピソード作りの巧さと、一本柱の通ったストーリーが結実したら、それはもう凄い作品が生まれることは間違いないと思うのです。そんなわけで評価が高い『重力ピエロ』を読むのが今から待ち遠しいのでした。

Aug.15,2003 (Fri)

daylife

終戦記念日。それにしても毎年毎年「公人」だとか「私人」だとか同じことでもめてるよなあ。戦没者も呆れてるよ。国と国の関係を、人間と人間の関係になぞらえると「なんでかねえ」と思ってしまうことばかり。ま、なぞらえるのが無意味なのかもしれませんが。

東京駅で今年の高校生クイズの優勝高校の三人組に出会う。なぜわかったのかというと、「$3,000」と書かれた大きな板(優勝者に贈呈されるやつ)を持っていたから。三人ともまだ興奮冷めやらずという状態で、すごくいい顔してた。羨ましかった。そう、私は高校生クイズに出るために高校に行き、クイズ研究会を作った男。思わず「それ触らせて」と言いそうになってしまった。

アメリカの停電にはビックリですが、まず間違いなく日本も来年停電すると思う。今年の冷夏で油断しきって来年は告知や意識が低下してボン!。別に電気を使うなとは思いませんが、その時になって騒ぎ出すのはやめて欲しい。

深川さんからタレコミ。『トーク・トゥ・ハー』はベタではないらしい。そこまで絶賛ならどうしても見たいな。しかし微妙な映画館でしかやってないなあ。どこで観ようかしら。

涅槃の読書模様

『消失!』中西智明読了。

『予知夢』東野圭吾(2003 文春文庫)【→bk1へ】

帝都大学の物理学者・湯川が探偵役となる『探偵ガリレオ』の続編にあたる短編集。

【夢想る(ゆめみる)】
16歳の少女の家にストーカーが侵入。しかし男は「彼女とは17年前から結ばれる運命にあった」と証言する。
【霊視る(みえる)】
被害者の女性が殺された時間に、その幽霊を目撃したという証言が。
【騒霊ぐ(さわぐ)】
毎日同じ時間になると不可思議な現象が起こる家。そこで何が起こっているのか。
【絞殺る(しめる)】
絞殺された男の首筋には謎の痕跡が。彼はいったいどうやって殺されたのか?。
【予知る(しる)】
女性が自殺した前日に、彼女が自殺する姿を見たという少女。彼女は自殺を予知したのか?。

東野圭吾がエンタテイメントに徹してミステリを書くと、どうもこうも言いようがない。それくらいにキッチリとした仕事をしている。当然のように面白いし、本格としてもクリアしている。あまりのソツのなさが語るべき言葉を失わせてしまう。

『探偵ガリレオ』に比べると、本作はよりオカルトな(に見える)謎を持ってきて、それを科学の見地から湯川がどう解くか、というのが読みどころ。とはいえ純粋に科学的な証拠があがるのは【騒霊ぐ】、【絞殺る】、【予知る】の三本だけで、あとの二編は科学というよりも論理的思考に基づき解決が導かれる。

さて、これ以上何を語ればいいのか。ソツがないということは、同時に物足りなさを感じる向きもあるが、作者が意図的にそうしているのだから、それを言っても仕方がない。ただ、こうした本格にも繋がる科学的トリックを東野圭吾が大作で使わないのも、また意識的なものだと思う。
それは、作中の湯川の台詞、

「僕の知り合いに推理小説嫌いがいる。なぜ嫌いなのかというと、犯人たちが愚かだからだそうだ。彼等は警察を騙そうと、殺人方法に様々な工夫を凝らす。しかし死体を隠すことには全く頭を使わない。死体を隠しさえすれば何らかの事件が起きているかどうかも不明で、したがって警察は捜査を始めることさえしないはずなのに」

という言葉からも汲み取れるように、東野自身は「トリックなどというものは、あくまでもミステリにおける知的な遊びのための奉仕に過ぎない」と思っているからではないだろうか。それゆえに、彼のもうひとつの路線である「人間ドラマ」主体の作品にはこうした「遊び」を組み入れることはしない。

この潔さが東野圭吾らしいところではあるが、個人的にはその二つが融合し、それでもどちらのレベルも落ちていない傑作(*1)を期待したいところである。

余談。何年か前に島田荘司『21世紀本格』の序文で「新時代における科学を取り入れたミステリを!(激しくうろ覚え)」みたいなことを言っていたと思うのだが、この『探偵ガリレオ』シリーズはまさしくそのものだと思う。それをさらっと書いてしまうところがまた東野圭吾だよなあ、と思うのである。


*1: 私が想像するのは『占星術殺人事件』や『時計館殺人事件』など

Aug.16,2003 (Sat)

daylife

番組開始から試合が始まるまで28分。しかもCM3回。ナメてんのかフジテレビ。まあ、その間Jリーグ見てたからいいけど。
というわけで、ボブ・サップ復帰戦。あのまま負けてたら大笑いしてたのだが、なんとか勝ちましたな。始めっからラッシュしてればもっと余裕で勝てたはずなのに、調子に乗ってミドルキック出したり、豪快な一発を狙ったりしてるからあんなことになる。打たれ弱さはまったく改善されてませんでしたね。

そしてあっという間に過去の人になってしまったキモ。サップに負けただけだったら良かったんでしょうが、そのあとのタイソンの乱入により、キモのことを憶えている人はもういないだろうな。もともとがバーリトゥードファイターだからK-1スタイルで負けても仕方ないと思うけどね。

さて、本当にタイソンはK-1のリングに上がるんでしょうか。もし上がるんならサップ戦なんてどうでもいいから、グランプリに出て欲しい。フィリョとベルナルドの凡戦のおかげでグランプリの椅子はまだ余っているはず。是非タイソンでお願いします。

それにしても久しぶりに石井館長見たよ。元気そうでなにより。

浦和レッズ、暫定首位! <おい。

Aug.17,2003 (Sun)

daylife

というわけで、マンガをブックオフに売りに行った。買取対象になったのは257冊で、〆て8040円。意外とお金になるもんだね。予想以上の収入になったのでプチハッピー。
引き取り手があったマンガは約100冊。それも今週中には全部送れる予定ですのでお待ちを。
とはいえ重い荷物を持ったので腰が痛い…。

近所のセブンイレブンでは買い物するたびに「フランクフルトもいかがですか?」と必ず聞いてくる。いつからマクドナルドになったんじゃ。

『お笑い 男の星座 芸能死闘編』浅草キッド(2003 文春文庫)

本職は漫才師でありながら、並みのライターでは取材できないような芸能界の奥深くまで侵入し、それだけでは飽き足らず自ら争いの種を蒔いてしまう浅草キッド(水道橋博士、玉袋筋太郎)が、芸能界というリングの上で巻き起こる「闘い」を赤裸々に、というよりも面白おかしく描き出した一冊。

1年以上前から水道橋博士「博士の悪童日記」を読んでいる身としては、彼の文才が只者でないことはわかっているので、この本も単なるゴシップ本以上の読み応えであることになんら驚きはなかった。「字で読む漫才」に相応しく、ところどころに散りばめられたダジャレや語呂合わせは、それ自体の面白さというよりもテンポや煽りの文句として活きている。この辺りはどこかの作家に読ませてやりたい。

この本では芸能界にまつわる対立構造がメインに描かれていて、和田アキコとYOSHIKIの最強決戦や、水野晴郎とガッツ石松という異種格闘技戦、さらには浅草キッド自身と爆笑問題の因縁など、どこまで信じたらいいのかわからないほどのネタが盛り沢山である。

それらも面白おかしく読んだのだが、格闘技ファンとしてはやはり、プロレスラーをはじめとした格闘技者列伝が興味深い。なにより浅草キッド自身が幼い頃から憧れ続けたプロレスの世界に、紆余曲折を経ながらも現在のようにリングサイドまで行きついたわけで、同じ想いを持つものとしてはシンパシーを感じざるを得ない。

笑えるコラムというのはなかなか難しいものだが、彼ら「プロの漫才師」にとっては生のライブか、紙上の文字かという違いでしかなく、ここには確かに「字で読む漫才」が存在するのであった。

言うまでもなく浅草キッドはビートたけし門下の「たけし軍団」の一員であるが、彼らが「殿」と呼ぶビートたけしに対する尊敬と愛情もこの本には詰まっている。私自身はそこまでビートたけしを持ち上げる気持ちはないのだが、彼が浅草キッドに向かって言ったこの一言には唸らされたので、最後に引用しておく。

「この商売はなぁ、てめぇが星だと思ってりゃあいいんだよ!
いいかぁ、どんなに、てめぇが、小っちゃくて星くずだろうが、
この人にだけは届かせようと一生懸命輝くこったよ」

Aug.18,2003 (Mon)

daylife

村上龍『69 sixty nine』が映画化されるらしい。脚本が宮藤官九郎で、主演が妻夫木聡だそうです。
この物語の主人公と妻夫木聡はダブらないんですが、高校生の役をやれて映画の主役を張れる役者は彼くらいしかいないのかな。

『69』は1969年当時の物語なわけだが、この1969年という年は多くの小説や音楽でマイルストーンとして描かれているような気がする。と書いておきながらすぐには思いつかないわけだが、村上春樹『ノルウェイの森』THE ALFEE『Rockdom 風に吹かれて』とかブライン・アダムス『Summer Of '69』イーグルス『ホテル・カリフォルニア』なんかがとりあえず頭に浮かぶ。きっと探そうと思えばもっと見つかるはずだ。そうでなきゃこんなこと思わないはずだし。

1969年の世相はこのサイトに詳しい。日本では言うまでもなく安保闘争が終焉の時を迎え、東大安田講堂の学生が排除された年である。アメリカでは当然ベトナム戦争が問題となっていた頃だ。さらにはウッドストックが開催された。そしてアポロが月面に降り立った年でもある。日本でもアメリカでも若者にとって単なる思い出ではすまされない年だった、ということなのだろうか。体験していない私にわかるはずもないけれど。

この年に『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫が芥川賞を取ったり、『イージーライダー』が公開されたことなども少なからず影響しているように思える。ちなみに、この年のアカデミー賞は『真夜中のカウボーイ』だ。

自分たちの世代にとって振り返ってみればこの年が、というのはいつになるんだろう。あまり統一感のある答えは得られないような気がする。強いて言えば平成元年(1989年)、つまり昭和天皇崩御の年だろうか。ベルリンの壁崩壊、そして個人的には最も影響の大きかった天安門事件があった年である。

私は18歳であった。(続きません)

涅槃の読書模様

『風よ、緑よ、故郷よ』岩崎正吾(創元推理文庫)【→bk1へ】読み中。

購入物。

『消失!』中西智明(1993 講談社文庫)

1990年、同志社大学在学中の22歳の時に綾辻行人我孫子武丸の推薦を受けて本書でデビューした中西智明。しかし、本書以来まったく音沙汰がなく作者自らが「消失」したともっぱら噂の一冊である。

高塔市を舞台に「赤毛」を狙った殺人事件が勃発。しかも、犯人も死体も現場から「消失」してしまうという奇怪な事件だった。
かつて高塔市をモデルに『都市と犯罪』という著書を執筆し、論文中で迷宮入りの事件を解決したことのある新寺仁はこの事件の解決に乗り出すのだが、そこには意外な真相が。

世間様では「バカミス」扱いされているということだけは知っていたが、それでもことある毎に名前だけは聞き知っていたので読んでみたかった。
で、実際に読んでみたわけだが、大変ビックリしました。見事に騙された。あまりの騙されっぷりに自分が愛しくなるほどでした。

言ってしまえばただ「騙される」ためだけにある作品なわけですが、不快感はありませんでした。最近読んだ似たような傾向の作品にはあまり気持ち良く騙された感じがしなかったのですが、本作ではそれがない。それはおそらく本作が徹頭徹尾「騙す」ことだけのために書かれた作品で、その作者の稚気が随所に感じられたからだと思います。
これが誉め言葉になるかどうかわかりませんが、変に“小説ぶった”ところがない。あくまでもミステリ的趣向のためだけに書かれた潔さのようなものが感じられるので、こちらもそのつもりで読める。そして残るのは「騙されたー」という爽快感。それ以上でもそれ以下でもありませんが、これはこれで良いのではないかと。

と同時に、作中にも読者と同じように「騙される」人物がいる、というのもなかなかに心憎い配置です。このことが一方的に騙された、という感じを与えないクッションのような役割を果たしているといえるでしょう。

あまりに見事に騙されてしまい、二段オチの二段目がどうでもよくなってしまうのは勿体無い気もしますが、そこはそれ。贅沢な話。各事件のトリックひとつひとつも正直ちゃちですが目をつぶります。

ミステリとして以外の評価はまったくできませんが、久々に気持ち良く騙されたなあ、という一品でした。

Aug.19,2003 (Tue)

daylife

こんなことばっかりやっててもダメだダメだダメだ!!。

見るもの聞くものに対していちいちもっともらしいこと言ってみたり、自分の行動に理由つけてみたり、原因と結果を探ろうとしたり、何かにつけて分析めいたことをしてみたり。

そんな頭でっかちでいったいどうなるってんだ。

という思いに駆られて激しく落ち込むが、んなこといっても仕方ねーじゃん、変わりようないし。と開き直れもしないので更に深みにはまるのであった。

涅槃の読書模様

『風よ、緑よ、故郷よ』岩崎正吾(創元推理文庫)【→bk1へ】読了。

『消えた少年たち(上)』オースン・スコット・カード【→bk1へ】読み中。なんだけど早くも挫折しそうな予感。小尾芙佐の訳とは相性悪いんだよなあ。「ねしょこ」って何よ?(*1)

購入物。

『ハチミツとクローバー -5-』羽海野チカ(クイーンズコミックス)【→bk1へ】[comic]

自分の将来に思い悩む竹本と間山を諦め切れないあゆ。今時(って言い方は好きじゃないが)珍しいくらいに真面目に苦悩して青春する二人の姿が痛い。一見吹っ切れたかのように見えた間山も、自分のこと以外となるとまだまだで。そしていよいよ森田がご帰還。

なんか登場人物と同じように作者の足踏みが見えるようです。それはそれでいいんだけど。そろそろ動きがあってもいいかと。まずはあゆからなのかなあ。竹本とはぐはどう考えてもまともに付き合えるとは思えないので(それを言ったら森田とはぐの方が凄い組み合わせだけどなんとかなるんじゃないかと)、竹本がどう決着つくのか、それこそがこのマンガの落としどころになるんだろうなあ。

森田の帰還にまつわるエピソードは「いくらなんでもそりゃやりすぎ」なんてことは考えずに爆笑しました。


*1: おねしょする子供ってことみたいだけど普通使うか?

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shaka / shaka@diana.dti.ne.jp